異世界編 14
「ただいま」
「チハルさん、お帰りなさい」
部屋に戻った私を、クオくんが出迎えてくれる。
私は肩にかけていたカバンをおろしてから、ぼふんとベッドにうつ伏せにダイブした。
しばらくの間、ごろごろー、と柔らかい布団に癒されていたのだが、クオくんのじっとした視線を感じ、急に恥ずかしくなって起き上がった。
「ルナさん、何の用だったんですか?」
「ん、結界石が完成しましたーってのとね、あと、私の探し物の情報が見つかったんだ」
「本当ですか!? 良かったですね!」
彼が自分のことのように喜んでくれる。
私もありがとう、と笑顔で応えた。
「……でもね、ちょっと危ない橋を渡ることになりそうだから、今回はクオくんにはフェンリルと一緒にお留守番していてほしいんだ」
私の言葉に、クオくんは少し暗い表情をして、すぐにそれを取り繕うように笑う。
その、僅かだけど彼の心情を映し出す変化に、私は胸が痛くなった。
きっと、足手まといだから、とか考えているのだろう。
確かに実力的には、今はまだ剣を握ってばかりだからしょうがないけれど、それ以外の部分で、私は彼にたくさん助けられてきたのに。
でも、今それを言ったところで、彼は信じないし、余計に気を遣わせてしまうだろう。だから私は、それ以上このことについては言わなかった。
空気を変えようと、私は説明を続ける。
「で、その間クオくんは、ルナさんに頼んで城で預かってもらうことにしたから」
「……え? お城で、ですか? ルナさんに頼んで……って、え?」
「ルナさんって王女様らしいよ?」
「えええ!?」
彼の喉から、悲鳴にも似た声が上がる。
驚愕に彩られた表情に、そりゃあ驚くよなあ、と他人事みたいに思った。
大体、普通の王女様は、あんな風に剣とか使えないだろう。
「あと、誰かにクオくんの稽古を、ってルナさんに頼んでおいたから、頑張って剣の腕を磨いてきてね」
「あ、はい……!」
彼は一瞬驚いたが、すぐに嬉しそうに頷く。
きっと、彼にとって、いい経験になるだろう。
「そうそう。私がいない時の結界だけど、テレポートの魔法があるんだよね、実は」
「てれぽーと?」
彼がつたない口調で言って首を傾げる。
恐らくだが、テレポートという概念がこの世界にはないのだろう。
ならば口であれこれ説明するより、実演した方が早い。
投げ出していたカバンから銀貨を一枚取り出し、転移の際の目印となるように魔力を込める。
必ず目印が必要なわけではないが、初めてなので一応万全を期しておく。
ちなみにこの魔力込めのノウハウは、魔法を込める実験の過程で生まれた副産物だ。
「……クオくん、見ててね? まず、この銀貨をここに置きます」
「は、はい……?」
銀貨を、辺りに何もない床の上に置く。
クオくんは疑問符を頭に浮かべるが、私は説明せずに次の段階へ進む。
「そして私は部屋を出ます」
「え? え?」
疑問符を頭の上に乱舞させるクオくんをその場に置き、私はいつものように、トイレにこもった。
そして、魔法を使用する。
「『踏み入れしは、次元の裂け目。我が願うは、愛しき姿』」
魔力を込めたコインを思いながら呪文を唱えれば、瞬きした次の瞬間には、目の前にクオくんがいた。
どうやら成功のようだ。
「ち、チハルさん……!?」
「と、まあ、テレポートっていうのは、こういうこと」
「……っ! ……!? っ、……えっ……、あー……」
私が笑いかけると、彼は面白いくらいに狼狽する。
「……チハルさんって、何でもアリなんですね……」
「今更じゃな」
なにやら葛藤した結論がそれらしい。
フェンリルの笑い声をバックに、クオくんが疲れたような笑みを浮かべた。
「……もう僕、チハルさんは何かが根本的に違うんだって思っておきます」
それだったら、いちいち驚いて疲れませんから。
投げ遣りに呟いたクオくんに、心からごめんと言いたくなった。
でもここまで悟ってしまったのなら、その内伝えるであろう、私が異世界から来たということもすんなり受け入れてくれそうだ。
「……こほんっ。ということで、クオくんにはこの銀貨を持っていてもらいます。で、テレポートする前にはフェンリルを通して教えるから、周りに何もない場所に置いてね」
そうしないと、*おおっと*とかいう状態になりかねない。
つまりは、「かべのなかにいる」だ。
「わかりました」
彼は頷き、銀貨を受け取る。
その表情はどこか達観して見えた。
そして、翌日。
ルナさんに迎えを寄越すと聞いていたので、今日はギルドにも向かわずのんびりと宿で過ごす。
余りにも暇だったので、銀貨でテレポート魔法や結界魔法が使えないかを試してみたりもした。
しかし、色々とやってみたのだが、銀貨ではそれらの魔法を発動することが出来なかった。
ちなみに、100の魔法をこめようとした時に、どれくらいまでその物質に入るのかを魔導率、100の魔法がこもった時に、どれくらいの量までそれを保持し続けていられるのかを魔蓄率、とそれぞれ呼ぶことにしている。
今までの実験で、魔導率は鉄<銀<銅<金、魔蓄率は鉄=銅<銀<金だということが判明している。鉄はクオくんの剣を少し借りて試したものだ。
お金に余裕が出来たら、もしくは光属性の魔法が使えるようになったら、宝石類も試したい。
閑話休題。
真昼を少し過ぎた頃、一人の男が宿を訪ねてきた。
綺麗に伸びた姿勢とはきはきした声に、恐らく兵士なのではないだろうか、と推測する。
「チハル様にクオ様、ですね? 私はルナフィリア様の使いの者です。お迎えに上がりました」
「あ、はい、ご丁寧にありがとうございます」
「では行きましょうか」
彼が先行して歩き出し、私たちもそのあとをついて行く。フェンリルはクオくんの腕の中だ。
人ごみの中歩く私たちは、何度かその姿を見失いそうになったけれど、その度に男は歩く速度を落としてくれた。
そんな、人に気を遣い慣れている様子に、国というのは教育が行き届いている場所なんだな、とぼんやり思った。
「……おおー」
辿り着いた王城に、私は酷く興奮してしまう。
遠くから何度か見たことはあったが、近寄りたくなくて一度も来たことがなかったのだ。
でも、いざ来てみると、すごくうずうずする。探検したいと全身の細胞が訴えてくる。
が、そんな暇あるわけがなく。
客間らしき一室に、真っ直ぐ私達は案内された。
「こちらでお待ち下さい。ルナフィリア様をお呼びしてきます」
「はい、宜しくお願いします」
そう言って男が去ってから、クオくんと二人で革張りのソファに座る。身体が沈むような感触に、あ、これ高いな、と確信した。
よくよく辺りを見てみれば、床には金糸で刺繍された赤絨毯がしかれており、見るからに高級そうであった。
かけられている絵も、私にはよくわからないが名のある画家のものなのだと思う。
この部屋にあるものだけで、きっと途方もない金額になるのだろう。
そう思った途端、何だか眩暈がした。
「待たせたな、チハル……ってどうした?」
ちょうど入ってきた彼女が、項垂れている私を見て疑問に満ちた声を上げる。貧乏人の気持ちなんて金持ちにはわかんねーよペッ、と、心の内で思ったような気がしなくもない。
私は気を取り直し顔をあげ、彼女を視界に入れる。彼女はいつもの地味なローブ姿でなく、白く輝く軽鎧をつけていた。
その鎧は彼女の銀髪に良く似合い、まるで女神か天使か、はたまた戦乙女か、といった様相だ。
「えっと……ルナさん、ですか?」
隣のクオくんが、震えた声で言う。
ふと、クオくんと会うときのルナさんは、いつもローブ姿だったことを思い出した。
「どうした、クオ。何故そんな顔をしている?」
「……クオくんに素顔見せたの、初めてですからね。いつもルナさん、ローブ着てましたし」
「む、そうだったか。ならば、この姿では初めまして、だな。改めて宜しく頼むぞ、クオ」
「は、はいっ……!」
彼の赤く染まる頬に、まさか惚れたか? と邪推してしまう。
限りなく茨の道だが、第二王女だし、可能性が全くないわけじゃないかもしれないので頑張れ。
そもそも惚れた腫れたの話ではなく、ただ単にルナさんの容姿に見とれただけかもしれないが。
私だってそうだったのだから。
「ではチハル、行こうか。クオはメイドに案内させる。少しここで待っていてくれ」
「あ、はい、わかりました」
「じゃあね、クオくん。何かあったら……」
フェンリルを指差す。クオくんは了解したのか、小さく頷いていた。
(フェンリルも、またね)
(気をつけるんじゃぞ)
(ありがとう)
手を振って、クオくんにお別れを言う。そしてルナさんの後をついて、城の中を進んでいった。
そうして連れられたのは、城の一室だった。
誰かとすれ違うたびに、誰だあの町娘は、という視線を向けられ、非常に居心地が悪かったので、部屋に入れたのは嬉しい。
客間のような煌びやかさはないその場所は、どうやら誰かの執務室らしい。たぶんルナさんのだろう。
一面には本棚が並んでおり、大きな執務机の上には紙の束がどん、と積まれている。
「さて、チハル。まずは、これを」
引き出しから取り出された一枚の紙を渡される。
それに軽く目を通すと、今回のことについて書いてあった。
今回の任務で、一気に組織を壊滅させるつもりらしく、同時進行で事を起こすらしい。
そうしなければ一箇所潰した時点で情報が漏れ、潜伏先を変えられてしまうからだろう。
それぞれ、第一王子はペルテストの街、第二王子は港町シーナ、第三王子はここ王都ディルティア、そして第二王女であるルナさんがシルヴァニアの街が割り当てられていた。
第一王女が載っていないのは、恐らく武芸に恵まれていないのだろうと思った。というより、ルナさんが恵まれすぎている、と言った方がいい気がする。
それより、私達が行くのはシルヴァニアか。思ったより近い。
クオくんを城に預ける必要もなかったか。まあ、今更だが。
作戦内容は、組織の人間の捕獲、または殺害。
ただし、幹部だけは必ず捕まえるように、とのことだ。
ちなみに私は、敵を無力化するだけに留めるつもりだ。
人殺しは、きっと私には出来ない。殺そうと考えれば考えるだけ、私は動揺するに決まってる。
それくらいなら、容赦なく意識を刈り取って先に進んだほうがいいだろう。魔法万歳。
「それを読んだら、すぐに出発するぞ。同行者は私たちのほかに2名だ」
「わかってましたけど……少ないですね」
「信頼できる人員のほとんどが、他の街に回されているんだ。シルヴァニアより、他の場所の規模の方が大きいからな。だから、チハルには期待している」
「出来るだけ頑張ります」
大規模な戦闘は、剣士よりも魔法使いの方が適している。
ちまちまと剣で薙ぐよりは、魔法でばばーんと攻撃した方が遥かに効率が良いのだから。
彼女はそれを期待しているのだろう。
了承の意を込め、頷いた。
「なら、行くか」
そう言って立ち上がったルナさんは、すぐ近くにかけてあった、いつものローブをまとい、本棚に手を掛ける。
まさか、と思った瞬間、彼女が一冊の本を引き抜いた。
その途端、ががが、と本棚が動き、道が現れる。
「私専用の抜け道だ。外に繋がっている。待ち合わせ場所までの近道だから使うぞ」
……この人、どこまで国家機密を私にばらすつもりなんだろう。
真正面から私を近衛に誘ったら断られたために、搦め手で来ているようにしか思えない。
そんなことまで知ったんだ、消されたくなかったら私に仕えろゴルァ、みたいな展開を狙っているとしか思えない。
でも知り合って少ししか経ってないけど、彼女はそんな性格じゃないだろう。
だから実際は、私を信じているがための行動なのだと思いたい。
……ただのうっかりさんじゃないよね? 考えなしとかじゃないよね? 違うよね?
ルナさんが我が道を……いやいや、その抜け道を行く。
私も引き攣った笑顔を浮かべながら、彼女の後をついていった。
ちなみに隠し通路は、右に行ったり左に行ったり上に行ったり下に行ったりで、まるで迷路のようだった。どうやら、王都に張り巡らされた地下通路に繋がっていたらしいです。