1 皇帝の娘 ユバル
ヤバルとユバル、そして配下の工作員たちも、自分たちの時空へ戻ってきたこともあって、気の緩んだ行軍だった。
「九時方向より、敵襲!」
「敵襲だと?」
ヤバルは監視部隊の報告に動揺した。ユバルも押し寄せてくる軍勢を見て驚いていた。
「完全に奇襲だ。しかも、あれは長兄ドバールの姿。彼らは帝国正規軍の制服を身に着けている。だがなぜ帝国正規軍が私たちを襲うのか。しかも私たちに気づかれずにあらかじめ布陣していたなんて......あ、しかもあれは原時空人類を兵士に仕立て上げている。しかも彼らは、我々が捕獲した房総族とハングレの奴らじゃないか。横取したのか?」
ユバルはこれらを見て取った後、動揺を隠せなかった。
「ヤバル兄さん、少し、私に詠唱する時間をくれないかな」
ユバルはドバールの旗を睨むと、今まで聞いたことの無い詠唱を始めた。すると、結界がヤバルたちの部隊を守るように包囲した。ヤバルたちの部隊が結界内に逃げ込むと、今度は結界の外の谷いっぱいに広がっていた正規軍が、一気に壊滅した。谷には、阿鼻叫喚の声さえ聞こえなかった。文字通り、全てを塵、いやヘクサマテリアルに変えてしまっていた。
………………………………………
今日もタワルワイス領の霧が濃い。足元の石畳がしっとり濡れている。
カインエルベン族もしくはエルフ族というべきだろうか。彼らの一人一人の時は、彼らの金装色の髪のごとくに長い。この異時空の地で、かれらの一人一人が悠久の流れと同じ時を過ごしてきた。そんな彼らの、さらに先を生きていた先祖たちを、さらにはるかにさかのぼる蒼き太古の時代、彼らは原時空から迷い人となってこの時空に来た。太古の先祖たちは、その青灰色の瞳と同じ色を有する不毛土の舞いあがるこの時空で、魔國を建設した。そして、長らく代々の極魔皇帝ラーメックの下で、彼らは繁栄を謳歌してきた。
ところが、666代目の皇帝の代となった時、魔國は試練の時を迎えてようとしていた。
魔國の一領地であるタワルワイス領。ここは、普段から、大気中に舞いあがっている不毛土が濃く、それらに水分が凝結して蒼みを帯びた濃霧となりやすい。
その濃い霧に隠されることもあってか、自由恋愛花園では放熱換気のために壁が無い。筒抜けになっている男女の悲鳴のような声と物音からすると、今日は4~6人の組がいくつか来ていて、自由恋愛花園にて戒律に則って激しく愛の交換を行っているらしかった。ただし、自由恋愛花園で行われているそんな行為を、肉眼で見ることはなかなかできないし、わざわざ近くへ行って見るほどのものではない。
深い霧の中、照明石に照らされた石畳を進むと、自由恋愛花園から少し離れたところに国立出産院に隣接して国立乳児院がある。毎朝、15歳格(歳格とは、ほぼ1000年を生きるカインエルベン族の表面的姿を現す便宜的な数字。現生人類の年齢の外観に該当する数字で表される。)までの子供たちは、タワルワイス領内の近隣農村の農村学校へ出かけ、畑や生産施設で生産活動に従事している。領内の近隣農村の周囲は制御されたヘクサマテリアルを媒体にした魔力障壁で維持されており、その外側はヘクサマテリアルが暴風のように巻き上げられ惑う荒地が広がっていた。子供たちは生産活動が終わると、遅い朝食とともに学習時間となる。このような毎日をくりかえしながら、子供たちはそれぞれがこの農村学校で成人するまでの150年ほどを過ごすことになっていた。
ユバルも、他の子供たちと同様にタワルワイス領の農村学校で働いていた。但し、彼女は、他の子供たちよりも能力の高いこともあって、彼女とそりの合わない職員たちによって危険な担当域をあてがわれていた。それは、魔力障壁領域外の、ヘクサマテリアルが非常に濃く集積する場所だった。そこから定期的にヘクサマテリアルを収集して持ち帰るのがユバルの仕事だった。彼女が特別な濃度で収取したヘクサマテリアルは、現在生産している魔装具、魔道具、魔動機構を作動させる動力になりうるものだった。
ユバルは、いつもの通り、飛翔して目的ポイントに着地した。彼女の計算によれば、ヘクサマテリアルの集積量はいつ通りのはずだった。ただ、早朝の朝礼式で学校長は、いつもにもまして気になる嫌味をユバルに言っていた。
「おまえのようなところに、皇帝府からお客が来るなんて、変な日だな。そんな変な日には何が起きるかわからんぞ」
その嫌みの通り、この日はいつにもましてヘクサマテリアルが蓄積されていた。
「これでは、飛翔で運搬することが難しいな」
ユバルはそう独り言を言うと、様々な準備を始めた。集積地から魔力障壁エリアに至るには、約40キロほどの距離があった。但し、その間の荒野を何らかの動物が歩けば、その存在を検知したバハムートがそれを狩りに来るはずだった。
彼女はそのことを十分に承知していた。周りの誰よりも膨大な魔力を有する彼女は、あらゆる魔装具、魔道具、傀儡、大型魔道機構に精通しており、こんな時の備えもぬかりなかった。彼女は、あらかじめ用意していた魔槍ゲイボルグと魔槍グングニルの二つを両腕に持つと、飛翔をすることなくゆっくりと歩き始めた。
ゆっくりとしたその歩行のリズムは、はじめ単調なものだった。だが、しばらくたつと、その歩行のリズムに合わせて同じ周期で振動が拡大し始めた。バハムートが近づいている兆しだった。
ユバルは岩山にとどまると、荷物を岩山に置いて周囲を見渡した。既に歩みを止めているのだが、先ほどからの振動はユバルを追い詰めるようにどんどん拡大していた。その振動の拡大とともに荒野は隆起し、大きく谷が形成された。すると、その一角からせりあがるようにもしくは浮かび上がるようにして、バハムートがその巨大な姿を現した。体長はおよそ三千メートル級の中級種だろう。その姿は、波打つ大海に浮かんだ巨大戦艦だった。背中には船橋のごとく聳え立つ背びれがあり、両サイドにも魚雷発射管のような鰭が広げられていた。バハムートは、浮上するとともに、ユバルを獲物の目標と定めて、巨体の各所から主砲砲撃のように雷を放ちはじめていた。明らかに、ユバルは追い詰められていた。
ユバルはその時、額に有していた印がにわかに熱くなっていることに気づいた。それと同時に、異質な意識がユバルの脳に疑似声音となって響きわたった。それは明らかにヘクサマテリアルを通じて額の印を貫いてユバルの脳に伝わって来ていた。
「呪われし者よ」
「おまえは誰だ。突然に出てきて、『呪われた者』と私を呼ぶのか」
「時空の神マスティーマの言うままに動く者どもよ。我々はその時空の創造者である。我々は、かつて、おまえたちが「時空の神」と呼ぶマスティーマを従えた者である。この我々に対して、おまえたちはマスティーマを讃美してきた.....マスティーマの言うままに思い思いに動き......マスティーマが諸時空の支配者となった時、おまえたちは彼らが傲慢な権化になることを許した者どもだ。おまえたちは、我々より呪いを受けたにもかかわらず、反省もなく動き回ることでことごとく触れた土を呪われた不毛土にしてしまう者どもだ......」
「そんな私をこの怪物によって殺そうといういま、おまえがなぜ私に呼びかけるのか」
「いや、お前をこのまま死なせることはしない。その額の印を用いてお前に注がれるわが預言の言葉が、わが愛する者に注がれることになる限りは、死ぬことはないだろう。額の印がある限り、お前は死ぬことがない。ただし、その額の印を他の目的に用いた時、お前は死ぬ」
この後、ユバルははっとして我に返った。思い出してみても、あまりに謎めいた言葉があたえられたものだ。気付くと、確かに額には熱くなっている部分があった。そして、ユバルは、背中にも熱く感じる箇所があり、それとともに先ほどの疑似声音とは違う低音域の疑似声音を聞いた。
「ユバルよ、ユバルよ、われこそは諸時空の支配者マスティーマぞ。その額の印を利用せよ。それはわれらの敵がお前に着けた印。それを利用させてもらおう。すなわち、お前には、魔装具、魔道具、魔動機構全てを使いこなす能を与えよう。」
「しかし、主よ。目的外に使うと私は死んでしまうということです」
「死ぬことはない。かえってそなたがすぐれたものであることが、これによってわかってしまう。だから、彼らは目的外に使うなといったに過ぎないのだ。その印を利用せよ。我らは、その印を通じて閃きと分析力、諸々の力をそなたに注ぐ。これより、お前は彼等すなわち我らの敵の裏をかき、われらの敵を打ち破ろう」
その言葉通りに、ユバルの背中が熱くなっていた。確かに、その背中には丸めていた魔鎖網があった。それを使えということだろうか。彼女はそれを頭からかぶるようにして広げた。その直後だった。彼女めがけて砲撃のように電撃が襲った。魔鎖網は魔装障壁の機能を有しているとは聞いていたが、バハムートが発する大規模な電撃をことごとく見事に無力化していた。
バハムートは、次第に蓄えていた力を使い果たしつつあるのだろうか、その雷撃は次第に弱っていた。ユバルはそれを待っていたように両腕を動かし始めた。
「これを待っていたよ」
そう言うと、ユバルは両腕から魔槍ゲイボルグ、魔槍グングニルの二つを放った。それらによって、バハムートへ一撃をお見舞いした。
「連撃!」
この言葉とともに、二つの魔槍は再びバハムートを突き刺した。そのような攻撃が二撃、三撃と続き、次第にバハムートは切り刻まれ始めた。
「撃破せよ!」
その言葉とともに、ついに最後の一撃がバハムートの急所に突き刺さった。
ユバルはバハムートの巨体がへし折られるようにして動かなくなるのを確認すると、再び荷物を担ぎ上げて魔力障壁エリアへと帰っていった。
「今日は、謎が多い言葉を聞いた。私たちは誰に呪われているのか。それでも、私たちには時空の神マスティーマがいらっしゃり、私は生き残った。そういうことならそういうことで、精一杯生き抜いてやるさ」
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次の日の農村学校の放課後のことだった。あまりなじみのない教職員がユバルに声をかけて来た。
「ユバル、校長先生が呼んでいるぜ」
「へ、何? 私? でも、これからヘクサマテリアル集積場にいかなければ生産計画に大きな支障が出るんだけど」
ユバルは、呼び出しが無ければそのまま農作業のために、4キロ離れたヘクサマテリアル集積場まで労働をしに行くはずだった。
「いえ、それは後程、別の子供が代理作業を行うことになっている」
「でも、別の子供って? 私以外では無理じゃないの?」
「一人優秀な奴がいるらしい、そいつが代理作業をするらしいぜ」
「でも、なんで私が呼び出されるの?」
「わからないね。僕はおまえが校長室に行けという指示をつたえているだけだ」
ユバルは躊躇いながら校長室へと向かった。
校長室では、いつもユバルに皮肉と嫌味を言い続けていた学校長が、震えながら立っていた。そして、学校長の席には、見知らぬ高官がふんぞり返って座り込んでいた。しかも驚いたことに、その高官はユバルを見るや立ち上がり、うやうやしく最敬礼をしてよこしたのだった。
「ユバル殿下!」
「え、私のこと? なぜそう呼ぶの? 私は農村学校の単なる生徒だよ?」
「わたくしは皇帝陛下直属の秘書官ベラティス・ランクウェンディと申します。ユバルさま、あなたは極魔皇帝ラーメック666世陛下より、お呼び出しを受けています」
「え、なぜ陛下が?」
「ユバル殿下、あなたはユバル・タワルワイス・ネフィライム殿下。陛下の第一皇女殿下であられます。この度、皇帝陛下が直接にお呼び出しをなさったのです」
「私が、第一皇女?。そして今頃召喚? 何かあったのか? なんで今頃になって?」
「今、私からは何も申し上げられません。すべては、陛下が直接にお伝えくださるとのことです」
こうして、ユバルは魔國皇帝府から呼び出しを受けて、急に卒院することになった。
「ベラティス様、首都ペレスへは、どのように行けばよいでしょうか」
校長室で、個別卒院式を終えたユバルは、早速ベラティス秘書官に尋ねた。今までどこへも出かけたことがない若者にとって、これは至極当たり前の質問だった。
「殿下、私はまだこの嫌味な校長に少しばかり叱責とお話とをしなければならないのです。少しお待ちいただければ、私がお連れします」
「いえ、皇帝陛下の召喚であるならば、急がなければなりません。いいです、私一人で・・・・・・」
「それなら、付き人がお連れいたします。お待ちください」
「いいえ、ベラティス様、校長先生によると私は一人で何でもできるとのことですから......」
「え、殿下が一人でいらっしゃるのですか?」
すると、学校長が口を出した。それも、いつもの皮肉めいた調子は影を潜め、慎重な言葉遣いに変わっていた。
「ユバル...、いや、ユバル殿下とお呼びすべきだったな。おまえは、いや、殿下は何でも一人で問題を見出し、それを解決できる能力を持っているのを、私は知っているよ、あ、いや、存じ上げているよ」
「校長、その言い方は不敬だ。黙らっしゃい」
ユバルは、ベラティスが怒りの顔を校長に向けたのを機会に、校長室から出てきてしまった。
「申し訳ありません、ベラティス様。わ、私はここで何か叱責を受けるのですか?」
そう言う校長を見ながら、ユバルはそのままドア閉じた。しばらくすると、ドアの向こうでは、校長の悲鳴が聞こえてきた。
ユバルは一人で校長室から出ると、仕方なく学校の玄関門番に問いかけた。ユバルが殿下と呼ばれる身分であるならば、首都への行き方を親切に教えてくれるだろうと考えられた。
「首都ペレスへは、どのように行けばよいでしょうか」
だが、門番は、目の前の若者が王都から呼び出しを受けるほどの人物であるとは認識していなかったらしく、つっけんどんな答えしかくれなかった。
「おまえ、魔法を使えるんじゃろう? それなら、ヘクサマテリアルを体に十分にまぶしてから、石畳に彫られている刻印の真ん中に立ちなさいな。おまえが念じれば、このタワルワイスから首都ペレスへひと飛びじゃろうよ」
ユバルは黙ってその通りにすると、首都へ一人で飛翔したのだった。
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首都ペレスとペレス首都圏。それは魔國の行政の中心。また経済、生産基地の中心。広大な宮殿庭園のなかに皇帝宮、後宮が配置され、宮殿庭園に隣接して、経済市街地、行政郡区、教育諸機関が配置されていた。そして、経済市街地から帯状に工場団地群が周囲に広がっていた。
ユバルが転送された先は、この工場団地群に隣接する工場労働者たちの大型団地群の一角だった。ユバルはそこから魔動車に乗り込み、工場団地群、経済市街地を経て皇帝宮に進んでいった。
工場団地群は広大な敷地の各区画では入り乱れる掛け声と大きな騒音が響いていた。多様な轟音は、各区画で、多種多様な魔装具、魔道具、傀儡、大型魔道機構が生産されている音だった。その音が示すように、各区画では大量の製品群が格納されたり運搬されたり、盛んに生産活動が行われていた。但し、原時空(呪いによって生じた現在の分岐多層時空の元となった時空、現生人類が棲む)で見るような生産工場ではなく、大勢のずんぐりしたドワーフたちが群がるように大小の物体群に取り掛かり、あるものは叩き、あるものは変形させ、在るものは接合させる。それらの活動を見守るように、一帯に広がる生産区画のそれぞれの天井には、皇帝家第一皇子(皇太子)ドバールのずんぐりとした絵姿が、飾られていた。
生産を急がせている...そんな印象を持ちながら、ユバルは大きな動乱が迫っているのだろうという印象を持った。防衛かもしれない、内戦かもしれない、大規模な出撃かもしれない、広域での戦争かもしれない。
そんなことを考えながら、ユバルは宮殿庭園の衛士が守るグランドゲートの前に立った。宮殿庭園は周囲を大量のヘクサマテリアルを用いた魔力障壁で遮蔽されており、グランドゲートだけが唯一の出入り口だった。
「ユバル・ネフィライム。皇帝陛下の命により参上いたしました」
「お待ちください。魔力紋パターン照合します。照合完了。ユバルさまと確認されました。ここからは、従者に従って皇帝宮にお進みください」
従者は皇帝宮に入った後も、真っ直ぐ奥へと進んでいった。ユバルは、先導する従者に従い、初めて見る宮殿庭園を眺めながら、一キロほど進んでいった。
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はるか三階の高さもあると思える両開きの大扉が開くと、扉の高さよりもはるかに高くそびえる柱と、それらによって支える天井がみえた。その大空間こそが謁見の大広間だった。さらに中へ入り込んでいくと、黄金装飾の天井と壁の装飾、それらを輝かせるシャンデリア、それらを包み込むオーラのきらめきと輝きがあふれていた。
「第一皇女ユバル・タワルワイス・ネフィライム殿下のおなりでございます」
そう呼ばわる声を聞きながら、ユバルは金装のきらめきをかき分けるようにして、謁見室最奥の皇帝陛下の前へと進み入り、慣れない口上を述べ始めた。
「わ、わたくし、ユバルに、ございます。ご召命により参じましてございます。ご、極魔...皇帝ラーメック666世陛下....へ、陛下におかれましてはご機嫌麗しく、恐悦至極に存じ上げ奉ります」
「わが娘よ、ユバル・タワルワイス・ネフィライムよ。急な召喚に応じてくれたのだな。礼を言うぞ」
「父上、とお呼びしてよいのでしょうか」
「そうか、余を父と呼ぶことにためらいがあるのか。ならば、少しばかり説明せねばなるまいのう」
「は、仰せのままに」
「お前は第一皇女だ。お前があたえられたのは、余が正室のツィラ・ドワーフ、側室アダ・タワルワイスの二人と、戒律に従って三人以上の男女間での愛の交換をしたときのことだ。帝国では、多数の子供の誕生を願って、昔からの戒律に基づいて自由な愛の交換を行ってきたのだ。そして、お前が生まれた。ただ、おまえ達の世代は多数生まれた。おまえは、皇族としてではなく単なる多数の子供の一人として、生まれた。それゆえ、今まで召喚することもなかったのだ」
「多数のこどもの一人として...ですか...。陛下、多数の子供とおっしゃいましたが、その誕生数について、私は最近......」
「最近の誕生数? まさか、お前は何か気付いたことがあるのか...待て、それ以上の話は部屋を替えて話そう」
皇帝ラーメックは、慌てたようにユバルを制した。その直後、周囲に合図して立ち上がると、近衛兵やユバルを従えて皇帝私室へと移動していった。
「この部屋は機密情報を扱う特別な施設となっている。限られた側近しかおらん。...さて、ユバルよ、話の続きをしよう。誕生数について話していたと思うが.......」
皇帝ラーメックは、ユバルと対面するように座るとおもむろに口を開いた。ユバルもそれにこたえるようにして、会話を始めた。
「それでは、陛下、その誕生数について、私は最近一切誕生が途絶えているということを、聞いております」
「ほお、お前は優秀だと聞いていたが、すでにそのことを把握していたのか......そのとおりだ、余と限られた者しかその兆候を把握してはおらん....」
「一体どういうことですが」
「これには、この帝国の、いやこの時空に我々が来ることになった歴史、そしてそれ以降の歴史がかかわっている...」
ラーメックはそう言うと、側近に合図を送った。すると、そこに、背丈はユバルの3分の2ほどだが、短く不格好で屈強な体格に、えせというべき威厳をまとった男が、ゆっくりと入ってきた。その後には、ユバルよりは背が大きくユバルと似た顔つきの若者と、まだ幼い女児が続いた。
「彼は、第一皇子。余の一番目の息子、ドバール(dvergrre)・ドワーフ(dwergr)・ネフィライム。お前も彼の姿は見たことがあるだろう。そして、隣の彼は第二皇子。余の二番目の息子、ヤバル・タワルワイス・ネフィライム。母はお前と同じアダ・タワルワイスだ。そして、幼い女児は第三皇女として皇帝府の中でタワルワイスの手で育てられているモゼスト・タワルワイス・ネフィライムだ」
ラーメックがそう言うと、ドバールはユバルを一瞥しながらも表情を全く変えなかった。ヤバルはユバルを知っているらしく、ユバルに対して幾分か親しみのある視線を向けてきた。そのまま視線を下に移すと、その視線に気づいた女児はヤバルの後ろに隠れてしまった。
「皇帝陛下、陛下の皇太子たる第一皇子ドバール、召命により参上いたしました」
ドバールは、威厳を保つことを第一に考えながらなのだろう、他の王子たちを代表する形で、うやうやしく皇帝への挨拶を奏上した。彼はそのまま視線をユバルに移し、尊大な言葉をかけてきた。
「おお、ユバル。お前、今まで卑しい生活をしてきたと聞いておる。それは安全をはかるために身を隠していたらしいな。はたして誰からの安全なのか? 卑しい生活をしていると卑しい考え方を持つものだ」
この言葉に、ユバルはまるで殴られたような感覚を受けた。どう贔屓目に見てもとても嫌な奴だな、というのがユバルの感想だった。
その隣は、ユバルによく似た特徴を持つ男だった。正直、まるで久しぶりに同胞に会えたような感覚を覚えたのは、気のせいだっただろうか。
「ユバル、久しぶりだ、と言っても覚えていないかもしれないね。僕が乳児院を卒院したのはもう百年も前のことだから」
親しみのある言葉だった。だが、ここで二番目の王子だけに応えては、筆頭の皇太子ドバールをないがしろにすることになる。どんなに嫌な奴であっても、第一皇子への返事を優先しなければならなかった。
「ドバール殿下。あなたがわが兄であることをうれしく思います。皇帝陛下、ご紹介いただき、ありがとうございます」
ユバルは気を付けながらドバールに目を合わせ、すぐにその隣のヤバルと女児に視線を移すと、ラーメックは再び説明を始めた。
「わが子供たちよよ。おまえ達に依頼するのは、これが我々極魔ネフィライム家にとって、いやこの時空を実質的に司っている帝国にとって、存亡をかけた秘密のそして帝国規模の作戦だからだ...それでは、まず、今までの歴史などを話しておこうか」
ラーメックはそう言うと、少しばかり説明事項を整理するためか、遠くを見るような眼をして黙り込んだ。そして、ユバルやヤバルの視線に気づいたかのようにして、ふたたび口を開いた。
「......帝国は、ほんの最近だが、ぱったりと出産が無くなった。実は、我々の繁殖力はこの十年ほど前より減少傾向になっていた。もともと我らエルフ族の女は、原時空で定期的な排卵がなされていたのが、この時空に来てからは愛の交換があった時にしか排卵がなされなくなった。いまでは、その傾向が強まって排卵が必要な時にすら為されなくなったのかもしれない。それゆえ、我々は今までの固定的な多夫多妻制をさらに魅惑的にしようとした。すなわち、我々があの原時空から此処へ追放されるまえの、いにしえのやり方、つまりは固定的ではない不特定での自由恋愛を積極的に採用した。それが元来の我々のやり方だった......それによって出産数が一時回復した。そう、お前が生まれた時のようにな。しかし、ほんの最近のことだが、ぱったりと出産が無くなった......」
ユバルは確認の意味で、ラーメックを見つめながら質問をした。
「それは、5年前からのことでは?」
「その通りだ、ユバル、お前はどのようにしてそれを把握したのだ?」
「私は自由恋愛花園での行為の様子を、絶えず観察してきました。5年前から従来からの歓喜の声を伴った行為の様子がすっかり変わり、今ではまるで刑罰のような男女の悲鳴が聞こえているのです。それでも、国立出産院での出産の様子は続いていました。ところが、1年前から出産が途絶えていることが分かりました。この5年の間の急激な変化は、何かしらの不気味な現象に感じられていたのです」
「ほう、鋭いな。その通りだ。実は、5年前からのことだ。我々は、追放された元の原時空から多くの原時空人類の若者たちを連れてきた。ここで、彼らに自由恋愛、自由な愛の交換の場を与えたのだ。自由恋愛花園で催淫剤を強制投与して我々のやり方を教え、それが見事に出産に結びついた。ただし、催淫剤が多すぎたせいか、彼らは死んでしまった。それでも赤ん坊が生まれ、ヘクサマテリアルの作用によって、我々の種族のような外観に成長した。まるで、伝説で述べられているようにな。そう、我々がこの時空に流れ着いたときに、呪いの不毛土によって今のような姿になったことのように...。それゆえ、我々は、本格的に次々に原時空から多くの若者たちを連れてきて、出産数を回復させようと努力し続てけて来た。......だが、1年前から、何らかの作用が働いて、一切の出産が止まっている」
「また、別の問題も生じている。我らの神、時空の神マスティーマは、同じ5年前から将来我々の計画を阻止しようとするであろう敵が、一人現れることを我々に預言した。預言によれば、彼は我々の未来を邪魔しようと見込まれるというのだ」
「これらのことがほぼ同時に生じているのは、単なる偶然ではあるまい。そこで、我々は、原時空において、これらの偶然の背景にある何らかの事情を調査するとともに、敵となる人間を発見し、彼の動きを監視し、必要であれば抹殺することを目的として、「原時空人類監視部隊」を創設した。それも、余の直轄部隊としてだ。それゆえ、わが子供たちよ、この部隊に加わってほしいと考えている。」
「モゼストも?」
ユバルは思わず聞き返した。すると、ヤバルが彼の後ろに隠れていたモゼストを前に引き出した。皇帝ラーメックはその様子を確認しながら、彼女の紹介をつづけた。
「この子は、モゼスト・タワルワイス・ネフィライムと名乗っている。私の三女だ。だが、お前たちとは似ても似つかないだろう? その通りだ......。実は...彼女は先ほど話した原時空人類によって得た最初の子供.......5年前に、原時空の煬の首都北安から最初に連れて来た若者たちが遺した唯一の子供だ。ただし、若者たちは死んでしまったのだがな...。このモゼストであれば、成長速度も寿命も原時空人類と同じだから、調査対象の集団に潜入させ紛れ込ますことで工作員として活用することができる。既に、彼は幼いながら、工作員また指揮官など必要な教育は短期間で習得済みだ。きっと役に立つだろう」
ユバルは、この話を聞きながら、いくつかの懸案を覚えた。
長兄であり皇太子ということで尊大なドバールが、ユバルに協力してくれるのか。いや協力しないまでも、邪魔することがないだろうか。
ドバール、そしてヤバルとユバルに加えられる文字通り5歳のモゼストが、原時空人類と同様に急速に知恵をつけつつあるといえ、カインエルベン族のために有効に任務を果たすことができるのか。
1年前から出産数が絶えてしまったことには、何かもしくは誰かが影響を与えているのか。
原時空人類捕獲部隊に合わせて展開する原時空人類監視部隊の働きと、荒野で示された疑似声音の命令とが、何らかの形で関連しているのか。
これらのことを考えながらも、ユバルは行動をすぐに開始されなければならなかった。