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第一部 5

職員室への(不法)侵入経路をもつ蕗谷先輩は教師用PCでの情報収集。友人の多い板室さんは容疑者3名の成績等聞き込み調査。適所を持たない私たちは、自動的に神崎先輩の図書室から自習室への移動時間計測が任務となった。

「危険な仕事を押し付けたうえ、応援だけして、仕事はしません。なんて都合のいいことあるわけないよね?」

などと、不法侵入までして情報収集に勤しんでいただいた先輩に詰められれば引き受けることもやむなし。任務内容も、障害物競走のタイム測定という平易なものなので、そうそう不満もない。しかし、職員室の前で全力疾走をしてタイム計測するなんてことをすれば、先生たちからお叱りを受けることは予想にかたくない。そのため、先輩とは特別棟3階の空き教室前での待ち合わせとなった。

しかし、

「遅すぎる。」

廊下の時計は16時半を指している。約束の時刻から30分以上経っているのだ。基本的に本校では携帯電話の使用は禁止されているため、連絡を取ろうにも難しい。かと言って神崎先輩が校内で普段どのような場所を生活圏にしているか知っているほど親しくはなかった。仕方なく図書室のある一階へと向かう。すると図書室の前から、神崎先輩の声が聞こえてきた。

「〜ですわね。ふふふ。えぇ。〜、〜ッ。」

誰かと話しているのだろうか。不審なのは声が1人分しか聞こえない点である。図書室でお茶会を始める彼女に、携帯での通話をタブー視する感覚はないということなのだろう。私は神崎先輩以外の先輩との邂逅を未然に防ぐべく、小さな窓から中を覗き込んだ。やはり、図書室には神崎先輩の姿しか見当たらない。しかし、こうして遠目に眺めている分にはただの楚々とした女性である。その様子は引き戸についた小さな窓が額縁の役割を果たし、まるで一枚の絵画のようにも見える。楽しい時間を邪魔することに気後れしてしまうほど美しく思えた。だが、相手は神崎先輩である。後輩との約束をすっぽかしてお友達と歓談しているただの先輩だ。遠慮は無用。えいやと音が鳴るように勢いよく扉を開け、こちらの存在をアピールした。

「うふふ。嗚呼、何で美しいのかしら。ええ、今日もとても素敵だわ。」

扉によって遮られていた声がダイレクトに聞こえてきた。ここで、先輩が持ったいたものが携帯であったなら、『誰と何話してるんだろう。怖いな〜。本来なら近寄りたくない人種だな〜。』で済んだだろうし、鏡ならば、『自己肯定感が高くて羨ましい限りで』程度で終わっただろう。しかし、先輩が恍惚とした視線を向けている先にあったのは、一冊の本であった。背表紙を長い指でなぞり、口説くかのように、恋人とじゃれあうかのように、甘い声をかけている。本を読んでいるのではない。本そのものを愛でているのだ。ふと、蕗谷先輩の他己紹介を思い出す。

『彼女は図書館の副委員で、倶楽部会員、2年の神崎三春。ビブロフィリアで恩地孝四郎が装幀した詩集が恋人の変態だよ。』

変態という言葉が腑に落ちる。比喩抜きで詩集が恋人とというのは顔がいいからギリギリ許される性癖だ。もし私が同じ嗜好の持ち主だったとすれば、ネットのおもちゃまっしぐらだ。クソコラ、音MADが作成され、フリー素材としてインターネットの海を周遊する運命を辿るだろう。

「あの、先輩。お楽しみのところ申し訳ないのですが、約束の時間でして。」

「あら、明菜さん。いらしたの?ごめんなさい、夢中になってしまって。」

『本に夢中になる』という言葉に複数の意味があることを知った日であった。


◇⬛︎◇


「じゃあ、測りますよ〜。」

「よろしくてよ!」

事件当日、先輩が実際に持っていたバスケットに、重りとして先程夢中になっていた本を入れ、廊下の端に立たせる。反対端に私が立てば準備完了だ。

「位置について、よ〜い、ドン。」

ストップウォッチを押すと同時に、先輩も動き出す。バスケットをほとんど揺らさず、しゃなりしゃなりとしずしずとこちらに向かってきた。ほとんど歩いているような小走りである。

「あの〜、誠に申し上げにくいのですが。もう少し本気で走ってもらってもいいでしょうか?」

「これが、全力でしてよ。」

「いや、めっちゃ優雅に歩いてたじゃないですか。何のために1階じゃなくて3階で測定してると思ってるんですか?」

「これ以上スピードを上げれば、足がスカートを巻き込んでしまいますわ。バスケットの布も落ちてしまいますし。淑女として、そんなはしたない真似できませんわ。」

しかし、この数値では読書家倶楽部の皆様は納得して下さらないだろう。これは案外、損な役回りを押し付けられたのかもしれない。

「ですが、犯人を追いかけていたあの日はバスケットの布も落ちかけてましたし。もっと速いスピードで走れていたんじゃないですか?」

「いいえ。わたくしはいつだって貴女たる振る舞いを心掛けておりますわ。」

そう言って勝ち誇ったように胸を張り、その胸元に手を添えた。

これでは埒が明かない。私は先輩の背を押して再度スタート位置に戻しつつ、決死の覚悟でバスケットの中に手を伸ばした。やっていることは、スリと寸分違いないが、今回の場合は必要に迫られているのだ。バスケットに振動が伝わらぬようにそっと手を入れれば、厚く、重みのある本がに手が触れた。活版印刷がなされているのだろう。指先からは凹凸を感じる。ゆっくりと取り出せば、茶色地に群青や金、白で装丁された詩集が出てきた。

「は?」

急にバスケットの重みがなくなった先輩はこちらを振り返り、一瞬にして表情を抜け落ちさせた。瞳孔はキュっと小さくなり、眼球を小刻みに震わせる。密度の高い睫毛は全く動くことなく目全体でこちらを伺っているようだ。

「貴女、いったい何を?」

ギギギと音を立てるようにして首が傾く。私は状況を飲み込めていない先輩を置いて、走り出した。

「ほ、本取った!」

「死になさい。」

静かな声だった。しかし、殺気を凝縮したような、高圧的な声であった。

私はすかさずストップウォッチを押した。この機を逃せば、2度と記録を取ることは叶わないだろうと本能で感じたのだ。正真正銘、最初で最後のチャンスである。後ろから迫る鬼人は、先ほどの優雅さなどどこかに放ってこちらを追いかけてくる。風のような凄まじいスピードだ。一方こちらは、万年運動不足の帰宅部。ずしずしという足音は自分でも恥ずかしいほど大きい。廊下という短い距離ではあるが全力疾走などすれば、あっという間に息は上がり、膝は燃えるように熱くなった。

「次はないと思いなさい。」

階段に差し掛かるころには、手に持っていた青い詩集を奪われた。同時にストップウォッチを止める。

「先輩、めっちゃ足速いじゃないですか。」

知らなくていいことを明かしてしまったかもしれない。



◇⬛︎◇


「ええ、それでは読書家倶楽部、成果報告会を始めたいと思います。まずは板室くんから!」

「えっと、3人の成績とか部活とかに関してだけど、密告者候補のうち橘花香織先輩と安藤美穂先輩、それぞれ15時53分、16時3分に入室記録のある2人はかなり成績がいいみたい。橘花先輩はバスケ部でキャプテン。安藤先輩は放送委員の副委員長で、校内活動も活発。指定校推薦を狙っててもおかしくないって感じだった。逆に、16時半ごろに入室記録のあった樋口真雛先輩は、陸上一筋のスポーツマン。勉強の方はからっきしみたい。うちにもスポーツ推薦で入学してる。密告者は橘花先輩か安藤先輩とみて間違いないと思うよ。」

「なるほど、なるほど。報告ありがとう。次、神崎くんと隈内くん!」

「神崎先輩ですが、普通に脚が速いです。」

私は、スマートフォンから先輩の廊下爆走記録の写真を見せた。写真の中のストップウォッチには、陸上選手ならば輝かしいほどの記録が残されている。

「階段でも、廊下でも先輩が犯人の姿を全く見かけないのは明らかに不自然です。」

「おぉぉ、神崎くんの新たな一面だね。」

「明菜さん、そんなものお見せにならないで。恥ずかしいですわ。」

いくら口元を隠して頬を赤らめても、その正体は鬼神であることに変わりはない。おっかない先輩である。

「そしたら前提が変わってくるね。先輩この前の見取り図ある?」

「残してあるよ。この二枚だよね?」

「あと、神消しゴムと犯消しゴムも出しましょう。」

「何それ?」

「ほら、あのときの消しゴムだよ。先輩が自分の消しゴムちぎって作ってくれた。」

「君、ネーミングセンス独特だね。」

自身に美的なセンスがないことは百も承知だが、蕗谷先輩に言われると何だか納得がいかない。

「じゃあ先輩は、何て呼んでるんですか?」

「神崎くん(仮)と、犯人くん(仮)。」

私の方がまだマシな気がするのは気のせいではないはずだ。少しばかり丸くなった神消しゴムと犯消しゴムは見取り図の上に並べられた。

「まず、犯行を終えた密告者兼盗賊が神崎くんと出くわすのが、16時5分ごろ。」

「そのあと神崎先輩は階段へ向かう犯人を追いかけるも、見失うと。」

「先輩、もしかしてなんですけど、犯人は階段へは向かってないんじゃないですか?」

「えっ?」

「神崎先輩は、逃げてる犯人はできるだけ遠くに行きたいだろうって先入観で階段へ向かったって言ってたじゃないですか?でもただの思い込みで、実はもう一回職員室に戻ってるんじゃないかなって」

そういうと、板室さんは犯消しゴムを階段側のドアから職員室へと入れ込んだ。

「ほらここ、この階段側から職員室に逃げ込めば階段を登るために曲がったように見えなくもないかなって。」

「いや、板室さん。いくら何でも職員会議中の職員室のドアが全開なんてそんなこと、」

あり得る。過去経験した当校のセキュリティーを考えれば全然あり得てしまう。

「つまり犯人は一度、職員室でわたくしが去るのを待ち、その後悠々と自習室に戻って行ったわけですのね。どうりで姿が見えないわけですわ。」

「残された問題は、どうやって退出記録が付けられないようにセンサーを反応させ続けてたかってわけだ。」

「やはり、何か熱源を用意していたのではなくて?ほら、ハムスターのような。」

「その説はもういいですって先輩。」

結局その日は結論の出ることがないまま解散となった。


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