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第一部 4


時刻は16時。5限までの授業をこなした私たちは再び図書室へと集まっていた。それぞれが担当となった生徒へのインタビューを終えたため、招集がかかったのだ。1人、また1人と互いの音声データを流していく。終わりが近づくにつれ、顔つきは暗く、雲行きは怪しくなっていった。

「調べれば調べるほど、彼女が人格者だったってことしか出てこないね。腹立つくらい。」

温められたミルクを注ぎながら板室さんが呟く。

「本当に人格者だったんじゃないですか、腹立つくらい。」

2回目にも関わらず、図書室でのお茶会にすっかり慣れてしまった私もそれに続いた。神崎先輩に至っては、追加のフィナンシェを受け取りに、特別棟の入り口へ行ってしまった。実家から家令がきているらしい。

「それじゃあ困るんだよ。彼女には嫌味で、卑怯で、内臓から腐ってるみたいな、恨みを買いまくってる人格破綻者でいてくれなきゃ。これじゃあ、魔女が誰なのか候補者すら挙がらないじゃないか!」

フィナンシェの最後の一つをジャンケンで勝ち取った委員長は眉を顰めながらそれを頬張った。神崎先輩が持ってきて下さったフィナンシェは芳醇なバターの香りと、濃厚な甘さが素晴らしい逸品であった。表面はサクリとしているのに、中はしっとりと重厚でいくらでも腹に入る。実際に何個も食べた私たちはこうしておかわりを所望しているわけである。不機嫌な蕗谷先輩も神崎先輩の焼き菓子にはタジタジであり、みるみるうちに眉間の皺を伸ばしていった。幸せそうな先輩の表情を見るだけで、神崎先輩が戻るのが待ち遠しい。

「次週はインタビュー範囲を広げた方がよさそうだ。なにせ今回は収穫がほぼゼロなんだから。」

「今回わかったことといえば、藤堂さんの点数稼ぎが組織内外ともに素晴らしいということくらいですからね。」

雑談に花を咲かせていれば、ガラガラと大きくドアが開かれる音がした。

「大変ですの!ふ、不審者ですわ!わたくし、この目で見ましたのよ!」

バスケットからは被せ布が落ちかけ、飴色の美しいフィナンシェが顔を覗かせている。淑やかに音もなく入ってくる普段の神崎先輩を考えれば、混乱していることは明らかだった。


◇⬛︎◇


『神崎先輩の証言』

インタビューアー 読書家倶楽部


わたくしは、いつものように特別棟入り口に待たせていた家令から、バスケットを受け取って図書室に戻ろうとしましたの。そしたら、職員室から出ていく方をお見かけしましたわ。背丈は分かりませんが、服装からして女子生徒でした。胸元のおリボンの色は青でしたから、三年生の方で間違いありませんわ。

今日この時間は職員会議で先生方はいらっしゃらないはずでしょう?ですから不思議に思ってその方に少し近づきましたの。そしたら、向こうもわたくしに気づかれたのか、走ってお逃げになられて。わたくし思わず「そこの貴女!お待ちになって!」と声を張り上げて追いかけてしまったのですわ。ですが、もともと距離があったうえ、わたくしは荷物もあったものですから全く追いつかなくて。自習室のある2階にまんまと逃げ込まれてしまいましたの。わたくしが階段を駆け上がったときには、もう廊下にはだれもいらっしゃらなくて。

けれども、わたくしをみたときのあの慌てよう。絶対怪しいことをしていたに違いないですわ!なにより、わたくしの顔を見て逃げるなんて!とんだ無礼者でしてよ。捕まえて私的制裁を加えなければ気が済みませんわ!



◇⬛︎◇


神崎先輩の言葉による事件のリプレイを一通り聞き終えると、新たに用意されたフィナンシェに手をつけた。興奮に鼻息を荒くしている神崎先輩の”素晴らしい”脚力では不審者とやらには全く追いつけなかったようである。捕まえてお仕置きしようにも相手は三年生の女子であることしか分からない。

「まぁ、職員室がどんなに荒らされようと、僕たちには関係のないことだよ。」

慣れた手つきでカップをソーサーへと戻す先輩は、不審者にほとんど興味がないらしい。そんな蕗谷先輩に、神崎先輩は不服そうであった。

しかし、その後この不審者とは無関係ではいられなくなる。職員室で、書類用金庫から数枚のプリントが消えていることが判明したのだ。消えたのは「三年生 理科期末テスト問題用紙」「三年生 理科期末テスト解答」そして「藤堂絢音についての密告文」である。3枚の重要書類は不注意からの紛失ではなく故意の盗難であること、そしてその犯人は3年生女子生徒であること。これらを知っているのは私たち読書家倶楽部だけだろう。

「理科のテストはミスリードだろうね。今になって密告文を回収しにきたんだ。」

「そういった記録って電子でも残ってるものじゃないんですか?」

「ポートフォリオには残ってるはずだよ。でも、それを確認できるのは教師のPCからだけで普通はそんなこと知り得ない。」

ポートフォリオのシステムを詳細に知っているのは、教師と不法侵入者だけというわけだ。

「それに、もし匿名での密告で完結してなら、密告文さえ回収できれば完全な証拠隠滅になるしね。」

「うちに犯人の目撃者がいるのは不幸中の幸いだ。まずは状況整理から始めよう。」

そういうと、蕗谷先輩は図書だよりの裏に特別棟の見取図を書き始めた。一枚目に図書室のある一階。二枚目に、自習室のある2階が書かれる。そして筆箱から取り出した消しゴムを二つにちぎり、一つに「神」、一つに「犯」と書いた。神崎先輩と犯人ということなのだろうが頭文字だけを切り取ると子供向けに簡略化された神話の登場人物のようである。

「まず、神崎くんが図書室を出たのがおよそ16時くらいだったよね?」

「ええ、フィナンシェの入ったバスケットを受け取るだけででしたもの。図書室を出てから犯人を見かけるまでは5分ほどしかかかっていないはずですわ。」

神崎先輩の言葉に合わせ、神消しゴムと犯消しゴムが所定の位置に置かれる。

「じゃあ、16時5分に犯人目撃だね。で、そのあと、走って追いかけっこか。ここは先輩の走るタイムを後で測ればわかるとして。その後先輩は、犯人を見失ったんですよね?それって3階に向かった可能性ってないんですか?」

「いや、3階では職員会議中だ。ただでさえ、今回の職員会議の議題は指定校推薦についてで、特別棟3階の出入りは禁止だった。って、全クラス、ホームルームで通達があったはずだろ?」

うちのクラスは言われていないが、まあそんなことは置いておいて。確かに教師陣から盗みを働いた生徒が、その教師たちのいる3階へと逃げ込むとは考えにくい。

「神崎先輩は自習室には入られたのでしょうか?」

「ええ、念の為。」

犯消しゴムを自習室の隅に追いやり、神消しゴムにその後を追わせた。

「で、諦めて図書室に帰ってきたと。それが大体16時15分くらいかな?」

その後、神消しゴムだけがゆっくりと図書室へ移動する。

「自習室の中の様子は?」

「自習中の生徒全員、机のライトがついておりました。ライトがつけっぱなしの机もいくつかありましたが、ライトがついていない状態で勉強なさっている方はいらっしゃらなかったようにお見受けしました。犯人も入室登録をしていたはずですわ。」

「神崎くん。そこまで詳細に確認してたなら犯人候補の顔くらい覚えてたりしないのかい?」

「人間の顔なんてどれも同じようなものですわ。目が二つに、鼻ひとつ、口がひとつでそれきりではありませんこと?」

この時点で、犯人の絞り込みに必要なものはひとつ。自習室の入室記録だ。


補足説明をするならば、我が校自慢の一つに完備された自習室がある。この特別棟2階にある自習室は全50席、冷暖房完備の充実設計で、利用にはICチップの入った学生証が必要となる。学生証を各机のライト下にあるセンサーにかざし入室登録をすると机のライトが付き、逆に退席すればライトは自動消灯し、退出登録がされるシステムとなっている。教師が生徒の学習時間を把握することによる成績アップを期待したらしいが、今のところそのような効果は見られていない。また、自習室の入室記録など生徒たちに公開されているものではない。つまりは

「じゃあ、また深夜侵入ミッションじゃないか!」

まぁ、そういうことだ。


◇⬛︎◇


翌日は、土曜日。休日、休校であった。にも関わらず、蕗谷先輩は僕たちを図書室へと集めた。早速、自習室の利用者記録を入手したようである。仕事の早い先輩方だ。深夜の緊急連絡がなかったことを見るに、今回の不法侵入は滞りなく行われたらしい。仕事のできる先輩と異なり、信用ならないセキュリティである。

「えぇ〜、これから僕が心血を注いで入手した極秘資料を配布します。心して読むように〜。」

配布された資料には、既に三年生の女子生徒にマーカーが引かれている。誰も何も言っていないというのに、蕗谷先輩は政治家が声援を受け取るかのように胸を張り、悠々と手を振った。「暖かなご声援ありがとうございます。」という機械的な声が聞こえてきそうな笑顔で、無視され続けている。

「さすがは授業終了直後の時間帯。利用者が多いや。」

「それでも、三年生女子まで絞られてますから、そんなに候補者は多くないですね。」

「優秀なわたくしのおかげでしてよ。」

「16時ごろに入室登録を行った三年生女子生徒。この条件に一致するのは2人だけだね。」

反応がないためか、はたまた単純に手を振り続けることに飽きたのか、先輩は名簿に書かれた2人の女子生徒の名前を指差した。1人は15時53分に入室した橘花香織。もう1人は16時3分ごろに入室記録が残っている安藤美穂という女子生徒だ。その次に入室記録の残る3年生女子生徒は16時27分の樋口真雛となっている。

「わたくしが階段を全力で駆け上がりましたのに、姿を捉えることもできなかったのですわ。間違いなく、この2人のうち脚が速い方が犯人でしてよ。」

「神崎くん。君、50メートル走何秒?」

「10.1秒ですわ。何か問題でも?」

「じゃあ2人とも、少なくとも先輩よりは速いですよ。」

「足の速さで特定するのは無理があるね。」

「おそらく、当校で神崎先輩が一番鈍足かと。」

3人に言われたい放題の神崎先輩は顔をしわくちゃにして、拗ねてしまった。

「話は変わるのですが、自習室の自動退出ってどのタイミングで記録されるのでしょうか?」

「わかんないけど、10分くらい席外すとライト消えちゃうイメージかも。」

「実際にどれくらいで退出になるか確かめてみればいいさ。好都合にも、自習室は真上なわけだし。」

蕗谷先輩はいつもの笑みで、図書室の鍵束を鞄から取り出す。そこには自主室の鍵も含まれていた。

「相変わらず、うちの高校のセキュリティって終わってますね。」

「この緩さのおかげで助かってることも多いんだ。そんなこと言わないの。」

「では貴方、確かめに行きなさいな。その鍵の責任者は図書委員長たる貴方に他なりませんもの。」

「えぇ!また僕ぅ?!」

「わたくしに汚れ仕事が似合うとお思いですの?ほら、適材適所と言うではありませんこと?わたくしたちはその間にティーセットの準備をさせていただきますわ。」

「似合う、似合わないの問題じゃない気はするんだよなぁ。あ、僕の分のお菓子もとっておいてよ!」

捨て台詞を吐きながらも自習室に向かうあたり、蕗谷先輩も人がいい。

「せっかく、女子3人になったんだし、先輩がいるとできない話しません?」

「賛成ですわ、明菜さんとも仲良くなりたいですし。」

「となれば、話題は一つしかないね。コ・イ・バ・ナ。」

出た。人間15年生きていれば恋したりされたりのエピソードトークは一つや二つくらいあるよね?という胸糞悪い前提。だって女の子だもんと言わんばかりの満面の笑み。さらに秘密の共有により、親密になれると信じて疑わない姿勢。根明の人間との会話が苦痛なわけだ。何せ今まで得てきた経験も、培ってきた常識も全く違う。

「言い出しっぺ、行きまーす。私の初恋はねぇ、中学生のときで近所のお兄さんだった!高校で生徒会長とかやってた人でねかっこいい人なんだ。」

「随分とありきたりですのね。」

「確かに、私結構ミーハーかも。あと、歳上の人が好きかもな。隈内さんは?」

ここで、ありもしない話を披露するのは簡単だ。だが、私はストーリーテラーでも、恋愛小説家でもなんでもない。即興の作り話など、恋に関する解像度が低すぎてたちまち嘘だと露見するだろう。その方が気まずい。というか、恥ずかしい。恋したことがないことを恥じているという意識そのものが恥だ。

「ないです。」

「橙香さんが話された程度でよいのだから、

明菜さんもお話になって。」

「私も気になる!どんな男の子がタイプ?あ、もしかして委員長だったりする?!私黙っとくよ!」

「ですから、存在してないんですよ。恋した記憶もされた記憶も。」

気まずさのあまり、ティーカップを手に取る。しかし、こんなときに限って中身は空であった。ティーカップを音が鳴るように置き、代わりにクッキーへと手を伸ばす。

「、、、。」

いっそ、バレバレな嘘をついてこの場を濁しておいた方が良かったかもしれない。頬が引き攣った感覚がする。15年も生きているんだ。もう少し、平静を装ってその場を濁すことくらい上手くなれないものなのだろうか、私も。沈黙が痛い。チラリと前を見れば、思わずといった様子で口を押さえている2人の姿があった。同情の目を向けるな。私は1人でいることを、わざと、あえて、(以下略

しばらくすると、この地獄を何も知らない蕗谷先輩が帰ってきた。

「あら、想像より随分と早いお帰りですわね。」

「本当だよ!ストップウォッチで測ったけど、退席してから5分で自動退出になった。僕たちの想定以上に短い。」

空気を読まないのか、読む気もないのか。何はともあれ、先程の空気が終わったことは幸いである。

「それじゃあ、5分くらい立ち話してた神崎先輩が職員室から出ていく犯人を見てる時点で、あらかじめ入室登録してたとしても自動退出になっちゃってるんじゃないですか?」

「でも、先輩が追いかけっこしてた時間帯に入室記録のある3年生の女子生徒なんていないよ。」

「自習室ってどんなシステムで人を感知してるのでしょうか?」

「人感センサーじゃないかな?ほら、洗面台とかで自動で水が流れたりするやつあるだろ?あれは、生き物が出す赤外線に反応してるんだ。おそらく同じシステムだと思うよ。人感センサーと呼ばれるものの中では一番ポピュラーなタイプだ。」

「わかりましたわ!ピンときましたわ!」

「神崎くん、急にうるさい。」

急に耳元で大きな声を出した神崎先輩を非難するも、先輩は止まらなかった。

「いいこと、下々の皆さま。自習室のセンサーが赤外線に反応するタイプてあること。これは少し自習室を観察すれば気がつくはずですわ。計画犯である密告者もそんなこと、気づいていたはずですの。密告者はわたくしが居なくとも、この自習室をアリバイ工作に使うつもりだったのですわ!センサーが切れないようにするには熱源の移動が必須。その場に犯人が居なくとも人感センサーに反応してくれる熱源。それは小さな生き物ではございませんこと?密告者は小さな生き物を予め机の上に放っていたのですわ!」

神崎先輩は自信満々に立ち上がり、蕗谷先輩を指さした。

「つまり!2人のうちハムスターかラットを飼っている方が密告者でしてよ!」

そのポージングでは、まるで蕗谷先輩が犯人であるかのようだ。

「で、あの日君は見たの?」

「何をですの?」

「机の上で動き回るハムスター。」

「、、、。」

「あの、素人質問で恐縮なのですが。夜行性のハムスターって昼間でもそんな都合よく活発に動いてくれたりするのでしょうか?」

「ッ!」

「てか、ハムスターってその場に置いておいたら逃げちゃうよね?ケージごと移動させるなんて目立つ気がするなぁ。」

再び、3人に言われたい放題された神崎先輩は、再び顔をしわくちゃにして拗ねてしまった。





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