61 君だけにしか描けない
幽霊さんが生きて目の前にいる。
立っている。
たしかにそこにいる。
「………………は?」
《黄金卿》は立ち尽くす。
信じられないという表情。
凍り付いたかのように動かない。
目の前の状況を受け入れるために時間が必要だったのだろう。
理解し、認め、それから――
「ああああああぁぁぁああああああ!!」
《黄金卿》は獣のように咆哮した。
口を限界まで開き、力任せに魔法を放つ。
一帯を埋め尽くすように展開する魔法式。
数百の炎魔法が、すべてを蒸発させながらフィーネたちに降り注ぐ。
しかし、次の瞬間それらの魔法は薄い膜のようなものに絡め取られていた。
中空で静止するそれを集めて練り込み、《黎明の賢者》は発光するひとつの球を作る。
《黄金卿》に向け手を伸ばす。
瞬間、放たれた光の球は、《黄金卿》を巻き込んで着弾して、魔法付与がされた堅い壁に巨大な穴を作って静止した。
(すごい……)
それはきっと憧れの感情だったのだと思う。
自分が無意識に探していたもの。
追いかけていたもの。
理想とする魔法のひとつの形が目の前にある。
同時に私は悲しいと感じている。
感覚的にわかってしまったから。
この魔法はこの人の見つけた正解で。
私にはどうがんばっても使えないってわかってしまったから。
私は私の正解を見つけないといけない。
いや、そんなことはいいんだ。
今はこの魔法を見てないと。
(だって、これはちょっとあまりにも綺麗すぎる)
「また負けるのか……ここまでしても私はお前に届かないのか……?」
呆然とした声が響く。
粉塵の中から、上半身が壁に埋まっているエルネス伯の姿が現れる。
「負けてなんかいないよ。君の魔法があったから僕は今の魔法を使うことができた。昔からずっとそうだ。僕は君にずっと助けられている。君の力を借りているから、僕は他の人より少しだけ高く飛ぶことができた。それだけのことだった。本当にそれだけのことだったんだよ」
「何も変わっていないな。そうやって綺麗な言葉で私を辱める。ひどく惨めな気持ちにさせる」
「違う。本心だ」
「だったらなおさら最悪だ。私が最低なやつみたいじゃないか。歯がゆい。悔しい。許せない。あってはならない」
嘆きが空気を揺らして消えていく。
「本当に、どうして私にはお前のように綺麗な魔法が使えないのだろうな」
「綺麗だよ。君の魔法は綺麗だ」
「私の魔法が醜いことくらい私が誰よりも知っている」
《黄金卿》は言った。
確信に満ちた口調だった。
「歪で醜悪で人を傷つける。それが私の魔法だ」
「醜くなんてない。僕が最初に憧れたのは君の魔法だった」
幽霊は言う。
《黄金卿》は首を振る。
「気休めを」
「本当だよ。それまでの魔法界の常識を根底から破壊する君の魔法に、僕は憧れていた。独創的でエネルギーに満ちていて、他の誰にも描けない美しい歪さがそこにはある。初めて君の魔法を見たその日から。君は偶然の出会いだと思っているだろうけど本当は違うんだ。僕は君に会えることを知っていた。仲良くなりたいって思ってた」
幽霊は言う。
「君が思っているよりも僕は君と君の魔法が好きだったんだよ。ずっと憧れていた。あんな風に魔法が使えたらどんなにいいだろうって。僕が使う魔法とは真逆で、だからこそ何よりも綺麗に見えたんだ」
《黄金卿》は息を呑む。
少しの間押し黙ってから言う。
「……本当なのか?」
「本当だよ。気恥ずかしくて言えなかった。そのことをずっと後悔してた」
《黄金卿》は呼吸の仕方を忘れたみたいな顔で幽霊を見ていた。
それは彼にとって本当に、思いもよらない言葉だったのだろう。
「ああ、なんだ。そうだったのか」
息を漏らすようにつぶやく。
「私は君の影におびえていたのか」
《黄金卿》の身体から力が抜けていく。
目の前に立つ幽霊を見上げ、それから目を伏せた。
「私は自分を許さないといけなかったのかもしれないな。できない自分を認めないといけなかった。私が誰よりも私を憎み、傷つけていた」
《黄金卿》は自嘲するみたいに笑って続ける。
「どうやら時間切れらしい。笑ってくれ。何も成し遂げることができなかった。私らしい惨めで愚かしい幕切れだ。そうは思わないか」
「思わないよ。君は懸命に生きた。許されないこともたくさんしたかもしれない。君のせいで随分傷つけられたし、死にたくもなった。それでも、僕は君を誇らしく思う。君がいないと僕の人生はもっと味気ないものになっていたから。僕の人生の中で一番仲良くなれた友達が君だったから」
幽霊は言う。
「僕は君が好きだったよ」
「私はお前が大嫌いだった」
《黄金卿》は言った。
「君に会えてよかった」
《黄金卿》の顔から力が抜ける。
魂の微少な重さが身体から抜けていったのが感じられた。
エルネス伯の肉体と静かな部屋だけが残った。
幽霊さんは穏やかな顔をしていた。
少し迷ってから、フィーネは言った。
「悲しい人だったわね」
「そうかもしれない。でも、僕は彼をどうしても悪く思えないんだ。憎まれ、恨まれ、ひどいことをたくさんされたのに、それでもさみしいと思っている自分がいる」
「いいんじゃない? 人の心って複雑なのよ、きっと」
フィーネは幽霊さんのそばにかがみ込む。
そっと髪に触れる。
頭を撫でる。
触れられる。
ふわふわとした感触に目を細めるフィーネに、幽霊さんはふっと微笑んだ。
「本当によくがんばったね。すごく綺麗な魔法だったよ」
「見てたの?」
「少しだけだけどね。でも、すごかった。僕よりずっと美しい魔法だった」
「そんなこと……」
「あるんだよ。君にしか描けない魔法がある。だから、大事にしてあげて」
その言葉には、大切な何かが含まれているように感じられた。
《黄金卿》みたいに、自分を他の人と比べて傷つく必要はどこにも無くて。
私は私のベストバージョンを目指せば良い。
人のものではなく、自分の持っているものを大切にすること。
丁寧に水をやって、愛してあげること。
多分、ちゃんと受け取ることができたとフィーネは思う。
うなずいてから、立ち上がる。
「それじゃ、特級遺物の暴走を止めてシオン様を助けに行きますか」
幽霊さんと二人で特級遺物を止める。
むせかえらずにはいられない常軌を逸した魔素濃度にもかかわらず、幽霊さんは平気そうだった。
「負けてるみたいで不服だわ……」
苦々しげに言うフィーネだったけど、幽霊さんの解釈は違うみたいだった。
「君は魔素を感知する能力が高いんだよ。小さい頃、僕の魔導書を見つけられたのもそれが理由なんだと思う。そして、見えないはずの本を熱心に読み続けることでさらにその能力が磨かれていった。君だけに僕が見えたこともそれが理由なんじゃないかな」
「自分では普通だと思うんだけど」
「才能って意外とそう言うものだよ。自分では意外とわからないものだから」
良い感じに丸め込まれた気もするけれど、悪い気はしない。
暴走し始めていた特級遺物を停止させ、二人でシオンの元へ向かう。
幽霊さんの身体は浮いていなくて、普通の人みたいに地面を踏みしめている。
一階に続く扉には無数のへこみがついていたが、アンデッドを一体も漏らすことなく耐え続けていた。
扉を開ける。
一面を埋め尽くす高位アンデッドを押しとどめるシオンの背中が瞳に映る。
少なくない傷を負ってはいたが、魔力量も余力もまだ残っているようだった。
回復魔法をかけつつ、隣に並んでアンデッドの群れを押し返す。
「さすがだ」
「シオン様の方こそ」
口角を上げつつ、言葉を返す。
シオンはフィーネの隣にいる幽霊さんを見つめて目を見開いた。
「…………あれが、君の?」
声には驚きの色が含まれている。
その響きがうれしい。
すごいでしょって言いたくなって頬がゆるんでしまう。
でも、照れくさいし調子に乗らせてはいけないから、シオンにだけ聞こえるように言った。
「私の師匠で最高のお父さんです」
幽霊は弾かれたように顔を向けて言った。
「最高!? 今、最高のお父さんって言った!?」
「…………」
どうやら全力で聞き耳を立てていたらしい。
めちゃくちゃうれしそうなその顔を冷たい目で見つめる。
シオンはくすりと微笑んで言った。
「素敵な人だな」
「訂正します。いろいろこじらせててすぐ調子に乗るダメお父さんです」
「君に家族と呼べる人がいてよかった」
それは自然にこぼれ落ちたみたいに発せられた言葉だった。
でも、だからこそ彼が意図していないニュアンスがそこに含まれているようにフィーネには感じられた。
自分には家族が居ないと思っているような。
寂しそうではない。
心からよかった、と思っているように見える。
だからこそ、少し切なくなってしまう。
それが当たり前の前提と認識しているくらい、彼は家族というものに縁遠い人生を送ってきたのだ。
「シオン様にもいますよ」
フィーネは言う。
たしかな意思を込めて。
「私がいます。家族じゃないですか、私たち」
シオンは少し驚いた様子で瞼を動かしてから、
「そうだな」
と優しい声で言った。