59 黄金卿
地下室は三重の扉で厳重に施錠されていた。
この扉の鍵を開ける前に、アンデッドの群れが侵入者をすり潰す設計にしているのだろう。
地下に引き込み、必然的に逃げ道が失われるよう誘導しているのが製作者の性格の悪さを感じさせる。
フィーネは慎重に鍵を開けていく。
物理的な干渉を受けない幽霊が、その間に中の安全を確認する。
『中に人影はない。開けて大丈夫』
幽霊の言葉に心の中でうなずいて、慎重に扉を開ける。
地下とは思えない開けた空間が広がっていた。
息を呑みつつ、長い階段を降りる。
研究施設のような建物の中、扉から光が漏れている。
強い光だった。
扉の枠から漏れ出した光は、魔導灯の光よりもずっと白い光の線を壁に刻んでいる。
扉を開けたフィーネは、中からあふれ出した魔素濃度の濃さに思わず身体を折った。
むせかえる。吐き気がする。
こんなに魔素濃度が濃い空間、経験したことが無い。
『フィーネ』
「大丈夫」
扉を閉じて呼吸を整える。
「中はどうなってる?」
『特級遺物を暴走させようとしている。いくつかの特級遺物は既に起動しているみたいだ。このまま暴走が進めば、目も当てられない悲劇が起きる』
「何が起きるの?」
『地図上からこの地域が消える。魔素汚染で二百年の間は誰も住めなくなる』
フィーネは言葉を失う。
握りしめた拳がふるえる。
「絶対に止めないと」
『僕が遺物を解析して安全に止める方法を探す。少なくない時間がかかると思う。手順が分かったら、君が遺物を止めて』
「わかった」
幽霊さんが扉の奥へ消える。
落ち着かない気持ちでフィーネは周囲を見回す。
どこかに隠れた方がいいだろう。
しかし、身を隠すために立ち上がるより先に、その行動自体無意味であることがわかってしまった。
「君が噂の《黎明の魔女》か。これは興味深い」
立っていたのはエルネス伯夫人だった。
《薔薇の会》で会ったその人は、しかしまったく別の誰かのように見えた。
話し方も立ち姿も何もかもが違う。
「貴方はいったい誰?」
フィーネの言葉にエルネス伯夫人は言う。
「その質問に答えるのは難しい。私がどういった存在か私自身も明確な答えを得られてはいないからだ。かつては《黄金卿》と呼ばれていた。今は人の心を破壊し、人格を乗っ取る精神体とでも言えばわかりやすいだろうか。とはいえ、それも私の持つある性質を表しているに過ぎない。本当の私に対する表現としては一面的だし不足があると言わざるを得ないだろう」
エルネス伯夫人に入っているもの――《黄金卿》は言う。
「かつての私は優秀な魔術師だった。君たちなど到底足下にも及ばないほどのね。しかし、そんな私でも生きている間に魔法というもののすべてを解明するには明らかに時間が足りなかった。私は考え、ある方法を思いついた。永遠の寿命を得ることはできない。だが、永遠に生き続けることはできるかもしれないと気づいた」
研究成果を講義するかのような口調で続ける。
「自らを霊体化し、他者の精神を破壊して成り代わる魔法。人体を使った実験は簡単には成功しなかったが、最後には正しい手順を発見することができた。私は精神体となり、私を慕う若手魔術師の身体を支配した。あとは繰り返しだ。私は生き続けた。しかし、ふたつ誤算があった」
《黄金卿》は、指を折りながら続ける。
「ひとつは、時間をかければかけるほど魔法のすべてを解明するのは不可能であるように思えたこと。もうひとつは、私の為したことが後生に正しく評価されなかったことだ。愚かな民衆は私の偉業を理解できなかった。それどころか、私が最も憎み、嫌悪していた者の残したものを特級遺物などと呼んでありがたがっていた」
《黄金卿》は憎悪に満ちた目をフィーネに向けた。
「ああ、《黎明の魔女》。その名前がどれだけ私にとって腹立たしいか君は到底理解できないのだろうな。偶然の一致だとしても殺意が湧く」
「偶然の一致……?」
彼の言葉は、フィーネの心を激しく波立たせた。
何かが彼女の中で繋がろうとしている。
「貴方は幽霊さんを……《黎明の賢者》を知っているの?」
「《黎明の賢者》……?」
《黄金卿》は、撃たれたような顔で目を見開いた。
そのまま、静止して動かなかった。
時間が止まったかのような静寂。
それから、言った。
「《黎明の賢者》……《黎明の賢者》と言ったか。どうして知ったかは知らないがその名前をまだ知っている者がいるとは。これは可笑しい。なんという偶然だろう」
堪えきれないように笑って言う。
「そうだな。私はあいつのことを知っている。拾ってやったのに自らの才能に驕り、思い上がって私の顔に泥を塗った。今でも昨日のことのように思いだす。屈辱。憎しみ。憎悪。そして、愉悦」
《黄金卿》は言う。
「あれは私の人生で最も幸福な瞬間だったよ。あいつの魔法に罠を仕掛けてね。永遠にこの世から消えてなくなるようにしてやったのさ。そして、やつの残した魔道具を人を傷つけ、生命の尊厳を破壊する兵器に作り替えた。あいつが知ればとても生きてはいられないだろうね。何せ、人を救う魔道具なんてぬるいことを言っているやつだったからさ。すべて台無しにしてやった。ああ、思いだしただけで胸が高鳴る」
フィーネは何も言わず《黄金卿》の言葉を聞いていた。
呼吸の仕方を忘れていた。
握りしめた拳。
柔肌に爪が深く食い込み、赤い跡を作る。
しかし、痛みは感じていない。
気づいてさえいない。
(ダメだ)
フィーネは思う。
感じている。
今まで経験したことのない憎しみを。
憎悪を。
許せない。
絶対に許してはいけない。
この存在は私が絶対にこの世から消さないといけない。






