6 歪な家族
「ひどいです! いくらなんでも失礼ですよ、いきなりあんなことを言うなんて!」
シオンとお付きの従者が退室し、二人きりになった部屋の中でミアは言った。
「冷酷非道で人の血が通っていないとは聞いてましたけど、まさかあんな方とは」
「いいじゃない。話が早くて助かるわ。関わらないで済むのもむしろ楽だし」
フィーネはまったく気にしていない。
それどころか、鼻歌さえ歌い出しそうな調子なのだが、ミアは納得いっていないようだった。
「おっしゃってた通りでしたね。上げて落とす作戦……」
ミアは顔を俯けて言う。
「折角フィーネ様に本当の家族ができると思ったのに」
「本当の家族?」
「大奥様と大旦那様は、フィーネ様のことを邪魔者みたいに扱ってるじゃないですか。ウェストミース家だって、本当はフィーネ様のご両親のものだったのに、亡くなった途端『この家は私のもの』だって大いばりし始めて」
「叔父様に権利があるのは、相続法の規定でも認められていることだから」
「でも、違法なこともたくさんやってましたよ。自分たちが抱えていた借金の支払いをするために、フィーネ様に権利があるものをどれだけ勝手に売ったか」
苦々しげに息を吐いてから、ミアは言う。
「だから、私は今回のお話に少しだけ期待してたんです。フィーネ様に、本当に信頼できる家族ができたらいいなって」
「大丈夫よ。ミア、知ってる? 人生っていうのは、名作ロマンス小説みたいなものなのよ」
「えっと……事故に遭ったら大体記憶喪失になるってことですか?」
「違うわ」
「うーん……降参です。どういう意味ですか?」
首をかしげるミアに、にっと目を細めてフィーネは言った。
「一人でも十分すぎるくらい楽しめるものなの」
(まさか、あんなに明るい声で返事をされるとは)
シオン・クロイツフェルトは会話を反芻しつつ考える。
フィーネ・ウェストミース。
早逝したウェストミース伯爵家前当主の娘であり、人付き合いが苦手で外に出ることもできないひきこもりの令嬢。
社交界に顔を出したことはなく、器量が悪く教養も無いどうしようもない出来損ないだという噂が、現当主夫妻から語られて広まっていた。
しかし、実際の彼女は噂されていたそれとは異なる人物像をしているようにシオンには感じられた。
(そこまで人付き合いが苦手という風には見えない。社交界に顔を出さなかったのには何か別の理由があるのか)
しばしの間、考えてからシオンは顔を上げる。
(俺には関係の無いことだ)
貴族の結婚に愛はない。
少なくとも、彼が育ったクロイツフェルト家ではそういうことになっている。
放蕩の限りを尽くし、救いようのない外道として幾多の人を傷つけ、最後には実の息子に裏切られた祖父ベルナール。
絶大な権力を持っていた彼の我が儘によって、家の中はひどい有様だった。
祖父を嫌っていた父母は、滅多に家に帰ってこないから、シオンはいつも一人で過ごしていた。
信頼できる相手なんて一人もいない。
自然とシオンは魔法の世界にのめり込むようになった。
魔法に打ち込んでいる間だけは、歪な家族と愛されない寂しさを忘れられたから。
しかし、幸か不幸か彼は類い希な資質を二つ持っていた。
『すごい……こんな数値見たことががない……』
ひとつは、他を寄せ付けない突出した魔法の才能。
『ねえ、教えて。あの素敵な方のお名前は?』
もうひとつは、望まずとも他者を惹きつける魔性の瞳。
周囲は自然と彼に惹きつけられ、冷静さを失った。
羨望の目で見られることも多いその資質は、彼の場合ほとんど呪いだった。
八歳の誕生日を迎えた数日後、シオンはずっと年上の男性に腕尽くで押さえ込まれ、身体を触られた。
男は祖父と仲が良い聖王教会の司教様だった。
シオンは大人を信じられなくなった。
十歳の夏に彼はずっと年上の女性に物陰に連れ込まれ、身体を触られた。
シオンは女性を信じられなくなった。
寒気がする感触が頭の中に残っていた。
自分が汚れてしまったような感じがした。
近いことが他にも何度もあったから、シオンは常に周囲を警戒していたし、誰も信じることができないと思うようになった。
(人間は生まれてから死ぬまで一人だ)
シオンは思う。
(人は信じられないし、信じる必要も無い。家族も恋人も自分にはいらない)
しかし、そう思おうとしているのに、頭をよぎるのはひとつの面影。
ずっと死にたいと思っていた自分を救ってくれたある人のこと。
(これから結婚するというのに、何を考えているのか)
シオンは首を振って深く息を吐く。
(俺は一人で良い。それでいい)