54 潜入捜査
「王宮の警備態勢を強化して欲しい、か」
フィーネの言葉にコルネリウスは唇を引き結んで言った。
「何者かが王宮内に侵入し、悪事を働こうとしている兆候があると」
「はい。少なくない数の人が傷つき損なわれる可能性がある。最悪の場合、王室の方々が被害に遭う可能性もあります」
「その言葉、簡単に言っていいものではないことを理解しているかい?」
コルネリウスは感情のない目でフィーネを見つめる。
いつものやわらかい物腰とは違う口調と表情。
一瞬気圧されそうになって、だけどフィーネは宰相様を見返して言った。
「理解しています。極めて重大な事態だからお伝えしています」
「……君の言いたいことはわかった。だが、敵の正体や詳細がまったくわかっていない段階でできることには限りがある。人を動員するには明確な事実が必要になる」
「離宮にあった裏工作の痕跡は」
「あれだけでは判断がつかない。人為的なものではない可能性もある。王立魔法大学に鑑定を依頼しているが結果が出るまでには数日かかるだろう」
「五賢人の方は何と言っていますか」
「彼らに確認するほどのことではないというのが現場の結論だった」
心の中で舌打ちをする。
かなり精密な偽装が行われていたと幽霊さんも言っていたし、現場を検証した魔術師はその危険性を見落としてしまったのだろう。
「今すぐ確認してください」
「彼らは別の案件で手いっぱいだ。動かすためには、誰かに割を食ってもらわなければならない。そのためには、納得させられる根拠がいる」
コルネリウスもフィーネのことを心から信じてはいないのだろう。
そこには錯覚や誤りの可能性が含まれていると感じている。
(当然か。この人にとって私は、そこまで信用が置けるような対象ではない)
世間の物事においては何を言うかよりも誰が言うかの方が重要なことがあって。
フィーネの言葉には、彼を動かすだけの重さが足りていない。
「わかりました。根拠を持ってきます」
フィーネは言って、早足で王宮の外へ出る。
『どうするの? 《薔薇の会》の次回会合は来週末。警戒されずに自然な形で接触するのは不可能だよ』
「大丈夫。やりようはあるわ」
公爵家の馬車を帰らせてから、人気のない物陰へ。
懐から取り出したのは、《黎明の魔女》の仮面とフード付きのコート。
「力業で潜入して証拠をつかみ取るわ」
『……うん。薄々わかってた』
幽霊さんは深く息を吐いてから言う。
『力になるよ。君が望むならどこへでも行く』
猫に変身して、シュトラウス公爵夫人のお屋敷に潜入する。
カラスが羽を休める屋根の上を歩くフィーネに、幽霊さんが言った。
『でも、王宮の警戒態勢を強化していいの?』
「念のためできることはしておいた方がいいでしょ。その方が悪巧みしてる連中も嫌だろうし」
『離宮に潜入して《星月夜の杖》を持ち出すのは難しくなる』
「できるでしょ。私たちなら」
当然みたいに言うその言葉に、幽霊は嘆息する。
『いったいどこから来るのその自信』
「だって私たち最強だし」
『弟子が自信過剰で僕は胃が痛い』
幽霊は首を振ってから続ける。
『自分に不都合でも、傷つく人が出る可能性を少なくするのを優先するところはすごく好きだけどね』
「ただやりたいようにしてるだけだから。あと、気持ち悪い」
『照れてる?』
「照れてない」
むっとして言うフィーネに、幽霊さんはくすくすと笑う。
ムカついたからパンチしてやった。
今は当たらなくて。
当たるようになってほしいと思って。
だけど、それなら今みたいに気安くパンチできないな、と思った。
力加減とか調整できるようにならないと。
人と人との関係は本当に考えないといけないことがたくさんある。
それはなかなかに面倒で。
でも、その面倒さが価値なのかもしれない。
そんなことを考えつつ始めたシュトラウス公爵邸探索は、想像していた以上に難航した。
何を調べればいいのかがわからないのだ。
どこに手がかりとなる情報があるかわからないし、そもそもシュトラウス公爵夫人が犯人なのかもわからない。
その日は他にチャンドラー公爵邸と、ラーソン侯爵邸も回ったが真相に近づけるような何かを見つけることはできなかった。
「五里霧中ね……いくらなんでも情報が少なすぎる」
『しらみつぶしに《薔薇の会》関係者の屋敷をすべて回るのは無理があるよ。急いでいる分、見落としが出る可能性も高くなるし』
「既に見落としをしている可能性さえあるものね」
どの家にも清廉潔白とは言えない裏事情があることも、調査を複雑なものにしていた。
気になる情報があったとしても、それが今回の一件に関わるかどうかを判断して取捨選択をしないといけない。
調べれば調べるほどフィーネは混乱し、真実は遠ざかっているように感じられた。
『見かけの良い言葉に流されないように。その裏側にあるものを探る注意深さを大切にして下さい。深い森の中で迷子にならないように』
そんな言葉が頭の中でリフレインする。
「当たりをつける必要がある。ある程度、容疑者を絞り込まないと」
『でも、絞り込めるような情報は何も――』
「待って。本当にそうかしら。私たちは犯人に繋がる何かに意外と近いところにいるのかもしれない」
『どういうこと?』
「犯人は裏社会とつながりを深めている。それって、裏社会側からすると今までつながっていた誰かが消えたから新しい人とつながりを深めているんじゃないかしら」
『――ベルナール卿』
「真実はここではないどこかではなく、すぐ近くにあるのかもしれない」
フィーネは言う。
「シオン様と話せれば一番良いんだけど、仕事中だろうし簡単にはいかないわよね」
『うん。夜帰ってから話す方が間違いないと思う』
「それまでに話を聞くことができる相手。それも話す言葉に信用ができそうな人……」
考えて、フィーネは顔を上げた。
「シャルルお父様はどうかしら」
『悪くないアイデアだと思う。クロイツフェルト家は今、ベルナール卿の負の遺産を精算している最中だ。当主である彼もそのあたりの事情をかなり深くまで知っているはず』
「試してみる価値はあるわね」
フィーネはシャルルが入院している病院に向かった。
王都にあるその病院はフィーネがシオンから思いを伝えられた場所でもある。
思いだして頬をかきつつ、受付へ。
「退院は明日のご予定ですよ?」と言われて驚く。
そんな話はまったく知らなかったから。
シオン様も使用人さんたちも何も言わないので、まだ先のことなのだと思っていた。
(私には話さなくていいと思われてるのかしら)
一抹の寂しさを感じつつ、病院の廊下を歩く。
「やあ、よく来てくれたね。うれしいよ」
朗らかに笑うシャルルは、以前より少し痩せて見えた。
人の良さそうな笑みに少しほっとしつつ挨拶をする。
「明日退院なんですね。知りませんでした」
「ああ。伝えない方が良いと思ったんだ。僕のことで君たちの時間を奪ってはいけないから」
「君たち……?」
その言葉が少し引っかかって、フィーネは言う。
「もしかして、シオンさんにも?」
「うん。伝えてないよ」
当然のように言う。
その言葉が、フィーネは気に入らなかった。
「伝えた方が良いと思いますよ。シオンさんも寂しく感じると思います」
「彼は僕のことなんて気にしてないよ。元々ほとんど一緒にいることはできなかったし」
「それでも、気になってしまうのが親という存在だと思います。シオンさんには頼れるような親代わりがいなかったと思いますし」
「……そうなのかな」
シャルルは顔を俯ける。
「僕は彼が自分を必要としていないと思いたいのかもしれない。その方が自分がしたことへの罪悪感を感じずに済むから」
「罪悪感?」
「彼を迎えに行かなかったこと。どんな手を使っても取り返そうとしなかったこと」
「どうしてしなかったんですか?」
「……妻が死んだんだ」
シャルルは言う。
「彼女は僕のすべてだった。僕は生きていく力を失った。何もする気になれなかったし何もできなかった。正直に言うと、当時のことはあまり覚えていないんだ。僕は何度か死のうとして、それにも失敗した。本当に何をやってもうまくできないんだよ、僕は」
自嘲するみたいに笑う。
続ける。
「シオンのことはずっと頭にあったよ。でも、遠ざけずにはいられなかった。彼の目は彼女に似てるんだ。不出来な自分では彼に悪い影響を与えるだけだと思った。自信が無かったんだ。それに、伸ばした手が届かないのが怖かった。もう僕は何も失いたくなかった」
シャルルは吐き出すように言う。
「傷つくたびに臆病になる。君はこんな大人になっちゃダメだよ」
「臆病でいいじゃないですか。そんなの普通のことだと思います。私は貴方以上に臆病な人を知っています」
フィーネはシャルルを真っ直ぐに見つめて言った。
「その人は、人と関わるのが怖くなって、周囲との関わりの一切を断ちました。だけど、私はその人が好きです。その人は私にすべてをくれたから。他の人には見えなくても関係ない。かけがえのない大好きなお父さんだから」
フィーネは言う。
「私が気に入らないのは、貴方が自分をずっと卑下してることです。自分に価値がないってそんなわけないじゃないですか。貴方のことを大切に思っている人がいる。貴方にはそう思えなくてもいるんです。もっと自分のことを大切にしてください。気持ちの良い弱音で汚さないで。まだ何も終わってません。できることはいくらでもあります。間違えてもきっとやり直せる」
シャルルは何も言わなかった。
静かにフィーネの言葉を聞いてから、その姿勢のまま押し黙っていた。
不意に零すみたいに言った。
「私にできるだろうか」
「できますよ。絶対できます」
シャルルはフィーネの言葉に答えなかった。
不安と迷いが沈黙になって部屋を包んだ。