53 薔薇の会3
ドレスの汚れを落とすのは簡単なことではなかった。
洗濯の正しいやり方なんて知らないフィーネなので、別のものを応用してなんとかするしかない。
(まずは水魔法で)
水流を制御して汚れをすすぐ。
しかし、白を基調にしたドレスには薄赤いシミが残ってしまっていた。
「ありがとうございます。もう大丈夫ですので」
申し訳なさそうな声で言うレンブラント伯爵夫人。
しかし、思考の海に沈んでいるフィーネはそれどころではなかった。
「お待ちください。今、どうにか落とす方法がないか考えてるので」
「大丈夫ですよ? 家で使用人と一緒になんとか落とせないか考えますから」
「いいえ、やらせてください。これはプライドの問題です。私の魔法はワインのシミなんかには負けないので」
汚れを落とすにはたしか活性酸素が有効だったはず。
物質を酸化して汚れの色素を他の成分に変える働きがあったと記憶している。
(水を電気分解して酸素を作り出せば)
水流に電撃魔法を通して反応させる。
効果はてきめんだった。
何度も繰り返す中で着実にシミは落ちていき、最後には元通りの綺麗な色に戻った。
「すごい……こんなに綺麗に……」
シミがついていた生地を見つめて言うレンブラント伯爵夫人。
「お困りのときは言って下さい。頑固な汚れもばっちり倒してみせますから」
「あ、ありがとうございます」
戸惑い混じりの声で言ってから、おずおずと続けた。
「で、でも、大丈夫ですか?」
「何がですか?」
「私を助けると、その、フィーネ様の立場が」
心配してくれていたらしい。
「大丈夫ですよ。それより、よく私の名前をご存じでしたね」
「当たり前です。貴族女性なのに独学で魔法の道へ進み、ご活躍なされているフィーネ様は私の憧れ。何より、元ひきこもりだったというところが親しみやすくて素敵です。人見知りで引っ込み思案な私もがんばっていいのかなって勇気をもらえるんですよ」
「人見知りで引っ込み思案……」
対人関係の経験は少ないが初対面には強い方であり、暴力の化身と裏で幽霊さんに思われているフィーネである。
実情は随分違うのだが、彼女の言葉はフィーネの胸をいたく打つものだった。
『私の憧れ』というところがとてもよかった。
加えて、幽霊さんにボス猿気質と言われているフィーネは、自分を頼ってくれる不憫な気弱系女子にめっぽう弱いところがあった。
(この人は私が守らなければ)
謎の使命感が生まれている。
「また何かあったら言ってくださいね。嫌がらせしてくる人がいたら私がぶっ飛ばすので」
言ってから、自分が貴族女性の中で生きていくためには不利な発言をしていることに気づく。
一瞬まずいかも、と思ったけれど、どうでもいいかと思う自分もいた。
(私は私の道を進む。その方がかっこいいしね)
風魔法で夫人のドレスを乾かしてから、パーティーに戻る。
それからのパーティーで、フィーネはレンブラント伯爵夫人の隣から離れなかった。
周囲から変な視線で見られたりもしたけれど、好きなように思ってくれていいと割り切った。
横目でちらちら見ながらひそひそ声で話すワインかけ女には、睨んで圧を送って黙らせた。
シュトラウス公爵夫人と話していたレイラが寄って来たのは、そんなときだった。
フィーネは小声で言う。
「ごめんなさい。会の輪を乱してしまって」
自分のせいでレイラ様の立場にも良くない影響があったかもしれない。
レイラは首を振った。
「いえ、かっこよかったです。それに、意外と皆さんの心証も悪くないみたいですよ」
レイラはフィーネに耳を寄せて言う。
「シュトラウス公爵夫人も実は困っていたようなんです。自分は気にしてないのに、周りの人たちが過剰に気にしてああいう空気になってしまっていたみたいで。フィーネ様は芯のある優しい人だからとお伝えすると『素敵な人ですね』と仰っていました」
「皮肉で言ってる可能性もあると思うんですけど」
「いえ、あの言い方は本心だと思います」
どうやら、結果的に悪くない印象だった様子。
パーティーが終わり、馬車に乗ってほっと息を吐く。
戻ってきた幽霊さんに小声で言う。
「私が心配じゃなかったの? 大変だったんだから、まったく」
『君なら大丈夫だって途中でわかったからさ。かっこよかったよ。君を誇りに思う』
「そんなに褒めても何も出ないから」
そう照れ隠しをしつつも、悪い気はしない。
『しかし、君って妙に慕われやすいところがあるよね。正直で真っ直ぐな性格だからかな』
「自分では普通だと思うけど」
『普通では無いよ。絶対』
断言されてしまった。
おかしいな、と首を傾けてから言う。
「そう言えば、気になることって何だったの? かなり熱心に探してたみたいだけど」
『そうだ。その話をしないといけないと思ってたんだ』
幽霊さんは言う。
『《薔薇の会》が行われる離宮の地下に宝物庫がある。おそらく、王族と極一部の側近しか知らないものだろう。厳重に保管されたその中に僕らが探しているものもあった』
「まさか《星月夜の杖》――」
『そういうこと。あの感じだと悟られずに盗みだすのは簡単じゃ無いだろうね。何せ、王族が生活する離宮だ。侵入するのはこの国で一番難しいと言っていい。一歩間違えれば君はすべてを失うことになる。諦めた方が賢明じゃないか。僕はそう考えている』
幽霊さんはフィーネに諦めて欲しいのだろう。
危険を冒してほしくないと感じている。
同時に、そこにはもうひとつ別の不安が含まれているように感じられた。
「幽霊さんは実体に戻りたくない?」
あるいは、それはフィーネ自身の不安だったのかもしれない。
ずっとどこかで感じていた。
幽霊さんを実体に戻してあげたいというのは自分のわがままなんじゃないか。
大切な人に恩返しがしたいという気持ちが先走った考えで。
幽霊さん自身はそんなこと望んでないんじゃないかって。
あるいは、それはフィーネ自身の願いなのかもしれないと思う。
実体に戻った彼と同じ時間を生きることができたなら――
触れてみたいと思う自分がいる。
誰にも抱きしめられることなく大人になったからだろうか。
ずっと大好きなこの人に、小さな子供みたいにぎゅっと抱きしめてほしいと思う自分がいる。
答えを聞くのが少し怖かった。
幽霊さんは少しの間押し黙ってから言った。
『不安と怖さはあるよ。ずっと人に見られることなく生きてきたから。続いてきたことが変わるのが怖い。シオンくんに受け入れてもらえるかも不安だし、君にも嫌われてしまうかもしれない』
「ありえないわ」
『今はそう思えても、未来のことはわからない。変わらないものはないし、人と人との関係というのは意外に脆いものだから。ずっとこのままの方が良いのかもしれない。正直に言えば、そう思ってしまう自分もいる』
幽霊さんは、フィーネよりたくさんのことを経験していて。
裏切りや悲しい記憶もそこには含まれていて。
だからこそ、怖いと感じずにはいられないのだろう。
しかし、フィーネはそんな幽霊さんを許容することができなかった。
「それでも、私は貴方と同じ時間を過ごしたいと思ってる。一緒に生きていきたい。触れてみたい。子供みたいにぎゅっとしてほしいと思う」
幽霊さんは驚いたみたいに瞳を揺らした。
それから、やさしく微笑んで言った。
『ごめんね』
幽霊さんの腕の中にいる。
だけど、そこには実体がない。
触れられない。
それでも、特別な何かがそこにあるのをフィーネは感じる。
『弱音ばかり言ってちゃいけないか。子供のわがままに答えるのが親の仕事だもんね』
幽霊さんは言う。
『勇気と理由をくれてありがとう。フィーネのためならがんばれる。僕は実体に戻るよ』
「……いいの?」
『うん。そして、手を取り合って踊るんだ。いつか君が言ってたみたいに』
幽霊さんはにっこりと笑う。
わがままを言ってしまった罪悪感がある。
弱音を受け止めてあげられなかった。
だけど、それ以上に救われたと感じている自分がいる。
願いを受け入れてくれた。
やさしく抱きしめてくれた。
あたたかい何かがそこにはある。
自分はきっとまだまだ子供なのだろう。
だけど、このままではいけないと思う。
支えられるだけでは無くて、自分も幽霊さんを支えられるようにならないと。
密かに決意するフィーネに、幽霊さんは言った。
『そのために、乗り越えないといけない障害がもうひとつある』
抱きしめられた状態でフィーネは顔を上げる。
「障害?」
『離宮にはもうひとつ気になる兆候があった。何者かが魔法障壁に工作をしている痕跡。多分《薔薇の会》運営に携わる誰かだ』
「宰相様が言っていた裏社会と通じている誰かかしら」
『その可能性が高いだろうね』
「でも、一体何のために」
『わからない。ただ、宝物庫には《星月夜の杖》の他にも極めて強い出力を持つ魔道具が多く貯蔵されていた。悪用されれば多分、大勢の人が犠牲になる』
幽霊さんは目を伏せる。
そこに彼にとって気にせずにはいられない何かが含まれていることにフィーネは気づく。
「たしか、幽霊さんが存在を認識されなくなる魔法を自分にかけたのも、作った魔道具が悪用されたからだったわよね」
『……うん。たくさんの人が犠牲になった』
「今回は絶対に止めないとね」
幽霊さんは少しの間押し黙ってからうなずく。
長い付き合いだから気づいている。
宝物庫に貯蔵されている魔道具の中には、幽霊さんが作ったものが多くあって。
それこそ、過保護な幽霊さんが私から目を離して見に行かずにはいられないくらいで。
そして、その魔道具たちは悪用されればたくさんの人を傷つける可能性を孕んでいる。
私はそれを絶対に阻止しないといけない。
すべての人と関わりたくないなんて思うような悲しい思いを二度とさせないために。
どんな手を使ってでも止めるとフィーネは決意している。
見つけてくれて、ここまで読んでくれて、本当にありがとうございます。
お話の途中ですが、少しだけ告知をさせて下さい。
2月7日本日、『「君を愛することはない」と言った氷の魔術師様の片思い相手が、変装した私だった』書籍版2巻が発売になります。
今回も改稿がんばりまして、web版よりも質の高い小説になっています。
さらに、作者渾身の書き下ろし番外編を二本追加しています。
『満天のプレゼント』
九歳のフィーネと幽霊さんの過ごしたクリスマスのお話。
子供の頃を思いだして、書いていてノスタルジックで幸せだった記憶があります。
雪で遊んでるところとか作者的には不思議なくらい良かったなって。
この本で一番読んでほしいまである一本です。
『ささやかだけど価値のあるもの』
シオン視点。
恋愛ポンコツな二人のお話。
フィーネがファイティングポーズ取ってるところが好き。
葉月の好きを目一杯込めて書きました。
よかったら、楽しんでいただけるとうれしいです!