48 すれ違い
「対外的には私から、王宮内の仕事を直接任されているということにしておこう」
コルネリウスの言葉に、フィーネはうなずいた。
王国を裏切っている貴族の潜入捜査をしているなんて言うことはできない。しかし何も言わなければ、なぜあの子は宰相様のところへ通っているのかと余計な疑念を持たれる可能性がある。
「私が手配できる仕事をリストアップした。どれも優先度は低いし、やっているフリだけしておいてくれればいい。好きな仕事を選んでくれ」
フィーネが選んだのは王宮内にある図書館司書の仕事だった。
「君は本が好きだという話だったね」
「はい。一度図書館で働いてみたいと思っていたので」
興味のある仕事だったが、できるなんて夢にも思っていなかった。
思わぬご褒美のような機会に胸を弾ませつつ、宰相様との会談を終えて王宮の廊下を歩く。
この気持ちを誰かに話したい。
(シオン様はお忙しいかしら)
迷惑だろうか、と思う。迷う。
でも、聞くだけ聞いてみてもいいかもしれない。
結婚しているわけだし、少し話したいというのは自然なことのはず。
(って、改めて意識するとなんか恥ずかしいけど)
結婚しているはずなのに、友達以上恋人未満みたいな感覚がある。
多分恋愛的なあれこれを経験するのが初めてで心がついてきてないところがあるのだろう。
そもそも、形だけの結婚から始まったこともあって、関係性が自分でもよくわからない。
告白されてうなずいたけれど、フィーネの方から好きだと伝えたことはなかった。
そもそも好きかどうかもわからない。
考えだすと頭がばんっ!ってなって何も考えられなくなってしまう。
(いけない。顔が熱くなってきた)
手で顔を扇ぎ、深呼吸してから使用人さんに声をかけた。
「あの、シオン様とお話ししたいのですが」
使用人さんは、「結婚されたばかりの方に止した方が良いと思いますよ」と言った。
フィーネは悲しい気持ちで虚空を見つめてから、その妻が自分であることを話した。
「大変失礼いたしました! シオン様は三時まで外出されておりまして」
またもタイミングが合わなかったらしい。
使用人さんが話してくれたところによると、職場でも近頃のシオン様は普段以上に休みなく働いているとのこと。
残念に思いつつ、馬車で屋敷に戻る。
「あの、フィーネ様。少しよろしいですか?」
ミアに声をかけられたのは帰ってすぐのことだった。
「何かしら?」
「シオン様のことなんですけど。ほら、近頃すごく忙しそうにされてるじゃないですか」
「そうね」
「ここだけの話なんですけど、実はほとんど眠れてないそうなんです。先日も仕事中立ちくらみを起こしたとか。シオン様がフィーネ様に言わないようにって使用人に戒厳令を出してるみたいなんですけど」
「ミアも私にそれ言っちゃダメなんじゃない?」
「私はフィーネ様幸せにする委員会の会長なので。フィーネ様のためなら言っちゃいけないことも言っちゃうのです」
えへん、と胸を張って言うミア。
それでいいのだろうか、という疑念はあったけれど、自分のことを第一に考えてくれるのは素直にうれしいし心強い。
「でも、どうして自分を追い込むくらいまで働いてるんでしょうね。私だったら、『何のために生きてるんだ』って悲しくなっちゃいます」
「いろいろ事情があるのよ、きっと」
ミアが仕事のために部屋を出て行ったのを確認してから、幽霊さんに聞いた。
「幽霊さんはどう思う?」
『間違いなく働き過ぎだね。でも、彼の場合はそれが不思議なくらい自然に見える。物心ついた頃からずっとそうしていたみたいに』
「子供の頃からずっと働いてたってこと?」
『仕事でなくても、勉強とか訓練とかそういう類いのことを休みなくしていたんじゃないかな。それがきっと、彼にとって唯一の拠り所だったんだよ。何かに打ち込んでいる間だけは悲惨な人生を忘れられる。そういう気持ちは僕もわかる』
「……あのベルナールに育てられたんですものね」
王国史に残る極悪非道の悪徳貴族。
実の両親から引き離され、人格が破綻した祖父の元で育てられた。
きっと、それは幼い子供にとっては過酷な時間だったはずだ。
気になって、そのあたりのことを使用人さんたちに聞いてみたけれど、知っている人はいなかった。
当時働いていた使用人さんは一人残らず辞めてしまっているとのこと。
「みんな辞めてしまってるの? どうして?」
「私は当時働いていたわけではないので、あくまで噂話として聞いていただきたいのですが」
執事さんは言葉を選びながら言った。
「ベルナール様の元で働いていた人たちは、みんな心を病んで辞めていくという噂がありました。事実かどうかはわかりません。しかし、入れ替わりは激しかったですし、一人も残っていないというのは確かです」
随分ひどい環境だった様子。
そういう親については、私も思うところがある。
『貴方なんて、生まれてこなければよかったのに』
顔を合わせるたびに、そんなことを言っていた義理の両親。
とはいえ、私の場合は辺境の屋敷に幽閉されていたから、顔を合わせる機会は限られていたし、幽霊さんがいたからつらい経験よりも楽しい記憶の方が多い。
外の世界を知らなかったのもあったと思うけど、これはこれでいいかと思えるくらいに幽霊屋敷での生活は心地良いもので。
だからきっと、私よりシオン様の方がずっと過酷な環境で子供時代を過ごしたのだろう。
(無理をしすぎてないと良いけど)
そんな気休めの思いに何の意味もないことを、誰よりも自分自身が知っていた。