45 昼下がりのお茶会
(どうしてこんなことになっているのだろう)
中庭のベンチに腰掛けたフィーネは、手の先にあるティーカップを見下ろして思う。
隣では《花の魔術師》アイリスが優雅な所作で紅茶を飲んでいた。
腰のあたりには、陶器のティーセットが置かれている。
王国魔法界の頂点に立つ五賢人。
仕事の面接に来ただけなのに、なぜかその一人に《黎明の魔女》ではないかと疑われ、もう一人と肩を並べて紅茶を飲んでいる。
(というか、なんでティーセットを持ち歩いてるんだろう、この人)
聞きたいことはたくさんあったが、聞いて良いものかもわからない。
何せこの人は王国の要人であり、シオン様の同僚なのだ。
下手なことをして嫌われてしまったら、今後の生活にも影響が出るかもしれない。
(とにかく無難に。無難にやり過ごそう)
「お味の方はいかがですか? 飲みづらければお砂糖とミルクもありますが」
「いえ、おいしいです。苦みと甘みがちょうどいい感じというか」
「ふむ。紅茶のお味がおわかりになるのですね」
透き通った瞳で私を見つめている。
(いや、私紅茶の味なんて全然分からないし、喉を通るものならなんでもおいしいと感じる人なんだけど)
謎の重圧を感じつつ、曖昧な返事を返す。
「この世界には二種類の紅茶があります。価値のある紅茶と価値のない紅茶。私は私個人の持つ狭量かつ頑強な偏見を持ってこの二つを区別することにしています。何かを選ぶと言うことは他の何かを選ばないと言うこと。私たちは暴力的で残酷な選択の連続の中に生きているのです。貴方ならこの意味がわかると思いますが」
(まったくわからない……)
困惑するフィーネに目を細めてから、アイリスは言った。
「本題に入りましょう。規格外の力を持つ伝説級の魔術師――《黎明の魔女》が王都に潜んでいるのではないかという話があります。目的はわかりませんが、王国にとって脅威になる可能性がある。王室は私と《風の魔術師》、他にも百名近い魔術師にその動向と正体を探るように指示を出しました」
アイリスさんは言う。
「そして《風の魔術師》は貴方が《黎明の魔女》ではないかという疑いを持っています。北部辺境で育ち、突出した魔法技術を持っている。《黎明の魔女》が追っていたベルナール卿とも関わりがあった」
「誤解です。その、まったく関係が無いと言えば嘘になりますけど」
それらしい理由を何も言わずにごまかすのは無理だと感じられた。
(シオン様に話した嘘の設定を使いましょう)
フィーネは頭の中でシオンとの会話を思いだしつつ伝える。
「秘密にするよう言われているのですが、私はあの人の弟子だったことがありまして」
「その話なら存じています。シオンくんに話していますよね」
「彼から聞いたんですか?」
「いえ、彼は《黎明の魔女》についての情報提供を拒んでいます。救われた恩があるから、と。それが理由で今回《黎明の魔女》捜索の任からは外されているのですが」
「では、どうして?」
「彼の国境警備隊時代の部下から聞き出しました。もっとも、私たちはそれほど多くのことを知っているわけではありません。知らないからこそ、彼女を警戒し、その動向を注視しているわけですが」
アイリスさんはフィーネを見て言う。
「よろしければ、《黎明の魔女》について教えてくださいませんか」
(シオン様に話したように、弟子として見てきたという体でそれらしい情報を提供しましょう)
一度経験しているから、出すべき情報は整理できている。
「なるほど。とても興味深いお話です」
アイリスはフィーネの言葉を手帳に書き込みながら言った。
「すみません。私もあの人のことについては知らないことの方が多くて」
「いえ、十分以上のものをいただきました。明日もう一度北部辺境に向かってみようと思います」
確認するように手帳に視線を落としてから、顔を上げる。
「お返しと言ってはなんですが、今日貴方が受けた面接について、秘密のお話を少しお教えしましょう」
アイリスさんは周囲を確認してから、小声でフィーネに言う。
「今日貴方を面接した五人の文官。彼らは貴方のある事柄に対する資質を見極めることを目的としてあの場にいました。結果は悪くないものだった。コルネリウス様はおそらく、貴方にある仕事を任せるのではないかと思われます」
「ある仕事?」
「危険を伴う仕事です。しかし、あの方はその危険性について貴方に話さないでしょう。私がお伝えしたいのはひとつだけです。見かけの良い言葉に流されないように。その裏側にあるものを探る注意深さを大切にして下さい。深い森の中で迷子にならないように」
アイリスさんは、何か大切なことを伝えようとしている気がした。
この人がどこまで信用できるのかも今はわからないけれど、ひとまず胸に留めておくことにする。
「近頃は何かと騒がしいですからね。絶大な権力を持っていたベルナール卿が失脚し、この国の貴族社会における力関係は大きく変わろうとしています。いつ何が起きるかわかりません」
アイリスさんはそれから、思いだしたみたいに言った。
「ひとつ聞いておきたいのですけど、貴方は《黎明の魔女》なのですか?」
突然の問いかけだったけれど、心の準備をしていたので動揺せずに言葉を返すことができた。
「違います。そうお伝えしたと思いますが」
「念のための確認です。弟子だというお話はたしかに筋が通っている。しかし同時に、こうも思うのですよ。貴方が《黎明の魔女》だとすれば、いろいろなことについてよりシンプルに筋が通る。本当に貴方は《黎明の魔女》の弟子なのでしょうか?」
フィーネは何も言わなかったが、アイリスさんはそもそも返事を求めていないようだった。
「いずれにせよ、私は貴方に期待しています。今日はただ、そのことを個人的にお伝えしたかったのですよ」
「めちゃくちゃ疑われてたわ……」
帰宅後、自室に戻ったフィーネはげんなりした顔で幽霊さんに言った。
自分が《黎明の魔女》の正体なのではと疑われていること。
交わした言葉について、その概要を幽霊さんに話す。
『なるほど。北部辺境で育ち、高度な魔法技術を持っていて、ベルナール卿とも関わりがあった。疑うなという方が無理な話か』
「しかも、相手はこの国トップの魔術師二人。気を抜いていたのもあるけど、気づいたら幻影魔術をかけられてたし」
『あー、君そういう類いの魔術への対処は得意じゃないもんね』
「ついついかかってしまうところがあるのよね。どうしてだろう。人がいいからかしら」
多分、単純な性格だからじゃないかな、と幽霊は思ったが口には出さなかった。
「あと、小細工されたところで正面から思いきりぶっ飛ばせばそれで解決できたし」
発想がボス猿以外の何物でもない、と幽霊は思ったが口には出さなかった。
『大丈夫? 次からは僕も着いて行こうか?』
「ううん、このことについては私に任せて欲しい。いつまでも幽霊さんについてきてもらっているようじゃ、本当の意味で大人になれないしね。あと、幽霊さんが実体に戻ったらそういうこともできなくなるわけだし」
『だけど、相当の手練れが相手みたいだし』
「一筋縄ではいかないでしょうね。でも、幽霊さんは知ってるでしょ?」
フィーネは不敵に目を細めて言う。
「私、相手が強いほど燃えるタイプだから」
その姿は幽霊の目に、頼もしく、そして誇らしく映って。
同時に、寂しいという感情が自分の中にあった。
ずっと一緒にいて、守ってあげたいと思っていた少女が自分の手から離れていこうとしている。
行かないでほしいと思ってしまう自分がいる。
このままずっと頼ってくれて良いのに。
僕はそれがうれしいのだから、とわがままなことを言いたくなる自分がいる。
だけど、手を離さなければいけないのだと思う。
一番大事なことを間違えてはいけない。
この子が幸せな人生を歩むことが何よりも大切なことだから。
だから、その気持ちを幽霊は口には出さないことを選ぶ。
『わかった。君に任せるよ。でも、ひとつだけ忘れないで』
「何?」
『僕は何があっても君の味方だから。世界中すべての人が敵になったとしても、僕は絶対に君の側に立つ。そういう人がいることを忘れないで』
「うん」
フィーネはうなずく。
少しの間俯いてから言う。
「実体に戻ったらダンスをしましょう。手と手を取り合って一緒にくるくる回るの」
『でも僕、ダンスなんてしたことないけど』
「私もないわ。でも、見よう見まねでいいじゃない? それでも絶対楽しいと思うの」
『たしかに。すごく楽しそうだ』
「筋肉痛で次の日動けなくなるくらい思いきり振り回してあげるから」
『お手柔らかに頼むよ』
苦笑する幽霊に、フィーネは言う。
「私、幽霊さんの娘でよかったって思う」
それから、自分の言葉に驚いたみたいな顔をする。
そんなことを言うつもりなかったのかもしれない。
「ま、まあ、そういうことだから」
ぷいと背を向けて、部屋を出て行く。
扉を閉めるときに、赤くなった耳が目に留まる。
それは彼女がいなくなった後も、瞼の裏に残っている。
幽霊は幸せの余韻を大切に反芻している。
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