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38 戸惑い


 めんどくさい。

 すべてがめんどくさい。


 それがフィーネの現状に対する率直な感想だった。


 訳知り顔でにやにやしてる半透明の父親も、些細なことでバカみたいに騒ぐ自分の感情も。


(恋愛なんてくだらないこと。取るに足らないものだってわかっているのに)


 何度理性で抑え込もうとしても、うまくいかない。


 余計なことを考えて、ふわふわしたりもやもやしたりしてしまう。


(このままじゃいけないわ。自分の心を整えるために、もっと恋愛感情の本質について学ばないと)


 フィーネはクロイツフェルト家の書庫で、恋愛にまつわる古今東西の文献を読みふけった。


 彼女が求めていたのは浮ついた心を落ち着かせる冷や水だったから、自然と現実的でシニカルな視点の意見が多く目に留まった。


(なるほど。恋愛というのは、一時的な発情期みたいなもの。時が過ぎれば薄れてなくなるし、自分の中で美化した相手を見て過剰に期待してるだけだったと知ることになる。やはり、私の人生において価値のあるものではないわね)


 フィーネはひねくれた皮肉好きの劇作家みたいな恋愛観になった。


(やれやれ、こんなくだらないことで一喜一憂できるなんて。聡明で成熟した大人である私には、理解できないわね)


 そんな風に紅茶を飲みながら思ったのは二時間前のこと。


 しかし今、屋敷の廊下を歩くフィーネの胸はどうしようもなく高鳴って収まらない。


(この私がなんで……どうして……)


 考えれば考えるほど広がる動揺。


 辺境でほとんど人と接することなく育ち、初めて出会った同世代の異性。


 ロマンス小説の中みたいな形式上の結婚生活。


『俺と一緒に人生を歩んで欲しい』


 再会した日、伝えられた言葉。


『好きだ』


 その響きは、時間が経つにつれてさらに彼女の中で大きくなっているように感じられた。


 自分のことを好きだと言ってくれる人がいる。


 その感覚が、フィーネという存在の芯を揺るがしている。


 しかし、その一方で彼への気持ちについては明確な結論を出せていないのがフィーネの現状だった。


 自分はシオン様のことが好きなのだろうか。


 そう考えると、少しの迷いが生まれてしまう。


 人としては尊敬できるし、好きだと思う。

 外見も素敵だと思うし、魔法の話も合う。


 形式上の結婚生活を送ることには何の不満もない。


 でも、それが本当に好きという感情なのだろうか。


 辺境でほとんど人と関わることなく生きてきたフィーネには答えが出せずにいる。


(わからない……自分の心がわからない……)


 そして今、始まった夕食の時間は恐ろしいほどの静けさで進行していた。


 弾まない会話。

 ぎこちない空気。


 フォークが食器に当たる音がやけに大きく聞こえる。


 その原因はフィーネの方にあった。


 考えすぎて、うまく言葉を返すことができない。


 意識してしまうが故に、そっけない感じになってしまう。


 いわゆる好き避けに近い状況。


 しばらく会っていなかったことで、シオンに対する距離感が迷子になってしまっている。


(この人は私がす、好き……)


 そう考えると頭の中が真っ白になって何も考えられなくなってしまう。


(びっくりするくらいうまく話せなかった……)


 自室に戻ったフィーネはベッドに倒れ込んで深く息を吐く。


 募る後悔と自分への落胆。


 普通に話すことさえままならなくなってしまうなんて。


(こんなの私じゃない。いったいどうしてしまったのよ私……)


 枕に顔を埋める。


 半透明な幽霊さんのくすくすという笑い声を恨みがましく睨んだ。


 私は全然これっぽっちも面白くない。






 ◇  ◇  ◇


 フィーネが自室で幽霊に枕を投げていた頃、シオンも同じように深い後悔の中にいた。


(うまく話せなかった……)


 要因はいくつかあるように思う。


 今までとどこか違う彼女の纏う空気。

 警戒心の強い野良猫のような反応。


 場を和やかにしたいと変に意識してしまった結果、逆にぎこちないやりとりを重ねることになってしまった。


(俺にもっと対人コミュニケーションスキルがあれば……)


 それはシオンが幼い頃から最も苦手とする事柄だった。


 実務上必要なことなら話せるが、他愛ない雑談となるとまるで言葉が出てこない。


 できないから黙っていることを選択した。

 貴族の社交場に出るのは昔から苦痛で。


 窓の外の景色を眺めるふりをしたり、壁にかかる絵画を見るふりをしてやりすごした。


 周囲にはたくさんの人がいて、だけど一人でいるときよりも孤独であるように感じられた。


『ねえ、あの子すごくかっこよくない?』

『シオン様よ。クロイツフェルト家の』


 だけどその外見は、魔性と呼ばれるほど周囲を惹きつけた。


 うまく話せないだけなのに、クールで素敵と言われるようになった。


 人との関わり方がわからないだけなのに、自分を持っていて流されない芯があると言われた。


 勝手に魅力的な内面を期待されて。

 見当外れな言葉で褒められるたび、心が冷えていくのを感じる。


 貴方が思っているような人はどこにもいないよ?


 そんな意地悪なことさえ言いたくなってしまう。


 結局の所、人は誰かと完全にわかりあうことはできなくて。


 理解してるように見えたとしても、それは誤解の総体にしか過ぎないもので。


 だから一人でいいと思っていた。


 人間は生まれてから死ぬまで一人だから。


 一人で生きていかないといけない、と思っていた。


 でも今、自分にはわかりあいたいと思う相手がいる。


 怖いと思う。

 無理なことなんだとあきらめて、遠ざけておく方がずっと楽だと思う。


 傷つくかもしれない。

 後悔するかもしれない。


 だけど、都合の良いところだけを取ることはできないから。

 痛みも後悔も全部引き受けて前に進まないといけないのが人生だから。


(フィーネが話していて楽しいと思える会話力を身につける……!)


 自分を変えるべく努力することを決めた。


 そこには彼女に対する、ひとつの不安もある。


(君は多分、俺のことが恋愛的な意味で好きでは無いのだろうから)


 想いを伝えた。

 うなずいてくれた。


 彼女と過ごす時間は楽しくて。

 ころころ変わる表情を見ているだけで幸せで。


 しかし、そこにはどこかぎこちないものが常にある。


 何より、彼女は自分の思いを一度だって口にしていない。


 それは多分、一緒に過ごす形式上の結婚相手としては良くても、恋愛的な意味で好きというわけではないから。


 でも、それでいいと思った。


 片思いでも構わない。


(好きになってもらえるよう、がんばるんだ)


 シオンは密かにそう決意している。




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tobira
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