37 プロローグ
第二章投稿開始です!
ロストン王国王都の中心に位置する大王宮。
最上階にある《アトラスの間》はこの国の中で最も贅を尽くした一室になる。
部屋の調度品は赤と黄金の二色で構成されている。
真紅の絨毯。女神が象られた黄金の蝋燭台。
巨水晶のシャンデリアが橙色の光を放つ。
フェリペ・ライオラ作『天地を裂く巨人』の天井画が淡く照らされている。
部屋の最奥に置かれた椅子に腰掛けているのは、長身の男だった。
煌びやかな装飾品に身を包んだ彼を、この国の頂点に位置する存在だと誰もが考えている。
神からこの国を賜った特別な存在――国王陛下は低い声で言った。
「《黎明の魔女》が王都に現れ、ベルナール卿を討った、か」
向かいの椅子に腰掛ける男――この国の宰相を務めるコルネリウスはうなずく。
「ベルナールの別邸にあった痕跡を調査しましたが、やはりただの魔法使いではありません。その全容は未だ不明な上、年を重ねるごとに力を増しているようにも感じられると《花の魔術師》は話していました。自分や他の五賢人でも勝てるかどうかは五分五分だろう、と」
「たしか《氷の魔術師》は接敵しているのだったか」
「ええ。密かに彼女を追っている中でそういう状況もあったようでした。とはいえ、彼の場合は捕縛することが目的のようでしたし、生死を問わない戦闘となるとまた話は変わってくると思いますが」
「この国の国防を考える上でも最優先で考慮する必要があるだろうな」
「はい。現代において、突出した魔力と高度な魔法技術を持つ魔術師は、一般的な兵士が何人集まっても敵わない絶大な力と影響力を持つ存在になりつつあります。《焔の魔術師》アンリ・ロズヴェルグが単騎で一万のアンデッドを灰に変えたと伝えられるように」
「それほどの力を持つ者を首輪を付けずに放っておくわけにはいかない」
「わかっています」
コルネリウスはうなずいて言った。
「五賢人を招集します。彼女の正体は必ず突き止める」
◇ ◇ ◇
魔法が好きだった。
食べることよりも、寝ることよりも、誰かと遊ぶことよりも。
考えているだけで幸せな気持ちになれた。
他には何もいらなくて。
だから、一人の方が楽だと考えるようになった。
一人なら裏切られることも傷つくこともないから。
みんな心の中では何を考えているかわからないから。
良い人はいなくて。悪い人もいなくて。
すべての人が良い部分と悪い部分を併せ持っている。
優しい人だと思っていた相手が、お金と欲に揺り動かされて悪魔のような一面を覗かせる。
だから、一人の方が幸せだと思ったんだ。
大好きな魔法はどんなに心の体重をかけても、離れていったりはしないから。
元々人間は生まれてから死ぬまで一人。
だったら捨ててしまった方が気楽でいい。
裏切られることも傷つくこともない。
誰に邪魔されることもなく、時間のすべてを自分のために使うことができる。
ささやかな幸せと空しさを孕んだ繭の中で、僕は長い時間を過ごしすぎたのだろう。
明け方の猫みたいに寂しくなって、人恋しくなって。
なのに僕の存在は誰にも認識されなくて。
終わりにすることを本気で考えた夜もあった。
だけど、人生は予想できないことばかりで。
今、あの子といる煩わしさを僕は心から愛しく感じている。
「幽霊さん! 新しい実験のアイデアを思いついたの。幽霊さんにも協力してほしくて」
教え子であり血の繋がらない娘であるフィーネは目を輝かせて言った。
『いいね。どういうアイデアなの?』
「土魔法で掘った穴の中に幽霊さんを生き埋めにして本当に実体がないのか確認する実験なんだけど」
『…………』
訂正する。
心から愛しく感じてないこともある。
『……ひどい目に遭った』
「お疲れ様。なかなか面白い光景だったわ」
いたずらっぽく笑ってから続ける。
「やっぱり実体は無いように見える。まるで本物の幽霊みたいに。でも、幽霊さんは幽霊とは違う。自分の存在が他者から認識できなくなる魔法を自分にかけた結果、こうなったって言ってたわよね」
『そうだね。少なくとも僕はそう理解してる』
「魔法式を構築する際に他者という部分が拡張されてしまったのかもしれないわ。他の物体から認識されない状態になってるのかもしれない。髪も伸びてないし年も取ってないみたいだから、時間の流れからも隔絶されているのかも。そしてだからこそ、解除する魔法も干渉することができない」
フィーネの考えは、ずっと昔に自分が導き出した結論と同様だった。
だけど、意識して何も言わないことに努める。
魔法を学ぶ上で、自分で見つけるという経験には得がたい価値があるからだ。
何より、自分が教わるならそういう先生に教わりたいから。
僕は何も言わず、ゆっくりでいいよと表情で示しながら彼女の言葉を待つ。
「でも、ひとつだけ例外がある。私は幽霊さんが見えている。認識してる。これは明らかに異常なことよ。他のものすべてが認識することのできない幽霊さんをどうして私だけは認識できるのか」
『そうだね。それについては僕も本当に不思議なんだ。ずっと考えているけれど、手がかりになりそうな何かも見つけられずにいる』
「多分、ここに鍵があると思うのよ。この謎を解明することができれば、幽霊さんにかかっている魔法を解くことができるかもしれない」
口元に手をやり、真剣な声色でフィーネは言った。
『最近妙に張り切ってるよね。僕に関する実験も多いし』
「幽霊さんが幽霊じゃないってわかったからね。自分にかけた魔法が失敗したことが原因なら、魔法の力で解決できる。そして、幽霊さんが解決できない問題を解決できれば、私は貴方より優れた魔法使いになれたってことになるでしょ?」
いたずらっぽく笑ってフィーネは続ける。
「あるいは、私の中に幽霊さんという存在にとって特別な何かがあるのなら、それができるのは私だけなのかもしれない。何より、私は貴方にもらったものをまだまだ全然返せてないから」
『僕がやりたくてやっただけだから、返す必要なんてないよ?』
「それでも、私がやりたいの」
フィーネの言葉には強い思いと意志があるように感じられた。
僕は胸の奥にひだまりみたいなあたたかい何かを感じる。
同時に、少しだけ申し訳なくなるのは彼女の結婚相手であるシオンくんのこと。
なりゆきで形だけの結婚をすることになった二人だったけれど、彼がフィーネのことを好きになって、その関係は変わり始めているように感じられた。
結婚してしばらく経つけれど、恋愛としてはまだまだ始まったばかり。
大事な時期に自分のことで時間を取られてしまうのは申し訳ないし、フィーネの幸せを考えると、シオンくんに向かい合う時間が増えるように意識した方がいいだろう。
『そういえば、シオンくんとは最近どう?』
世間話の中でさりげなく情報を収集する。
近頃のシオンくんは忙しい毎日を送っている様子だった。
先の一件でクロイツフェルト家当主である父親が入院しているからだ。
王国屈指の名家となると、こなさなければならない仕事も多く、帰れない日もある様子。
しかし、会える時間が減っていても、二人の関係に悪い影響は出ていない様子だった。
恋愛偏差値が致命的に低いフィーネだけど、シオンくんはそんなこの子のことを気に入ってくれている。
こちらからは干渉せず見守っておけば基本的には良い方向に進むだろう。
幸せな二人の未来を想像して目を細める幽霊に、フィーネは言った。
「私、恋愛って一種の神経毒みたいなものだと思うの。だって、感情の浮き沈みが激しくなって、些細なことを延々と考えちゃったり、何も手につかなかったりするでしょ。何より、失敗して嫌われたらとか考えたら、不安になったり怖くなったりする。それって、自分の幸せを他の人に委ねてて、かっこわるいなって。結論として、恋愛って人生にいらないものだと思うのよね」
告げられた言葉に、幽霊は言葉を失った。
(目を離した隙に、斜め上の結論に至ってる!)
息を呑む幽霊にフィーネは続ける。
「そもそも、聡明で最高にかわいくかっこいい私が、色恋くらいで振り回されてたのがおかしいのよ。恋愛感情は結婚して時間が経てば消えていくって言うし、結局は一時的な発情期みたいなものじゃない?」
『またひねくれたことを』
「私は現実が見えてるだけ。そんなことに時間を使っていられるほど暇じゃないの。読みたい本も試したいアイデアも山のようにあるんだから。さあ、実験の検証を始めるわよ」
記録された魔素濃度の数値を書き写す彼女の表情は真剣そのものだった。
時間を忘れ、研究に励んでいる。
仕事が好きだからこそ得られる喜びと充実感がそこにはある。
先ほどのひねくれた恋愛についての考えも、虚勢ではなく本心なのだろう。
何かの本を読んで影響されたのかもしれないが、昔の自分も似たようなことを考えていたし、あながち間違いとは言えないようにも思う。
それでも、少しだけ寂しさもあった。
この子には、人生を構成するいろいろな事柄をできるだけ前向きに楽しんでほしいと思っていたから。
好きなことを見つけて打ち込んでいるのは素敵なことだけど、他の可能性を閉ざしてしまうのは勿体ない。
(とはいえ、僕が口を挟むのも違うんだろうけど)
この子の人生はこの子のものだから。
理想や幸せを押しつけてはいけない。
(初めての恋愛に振り回されるフィーネをもう少し見ていたかったな)
小さく息を漏らした幽霊の視線の先で、部屋に入ってきたのは一人の侍女だった。
幽霊屋敷からフィーネのお世話係をしているミアは、先日の事件による怪我から退院したばかり。
腕には包帯が巻かれている。
完治するまで休んでいてもいいのよ、とフィーネは言ったけれど、「フィーネ様は天然さんなので、しっかりしてる私がついておかないと」と少しずつながら仕事を再開していたのだった。
「この前、庭でカブトムシさんを見つけまして!」と興奮した顔で話すミアも相当な天然さんだと思うのだけど。
ともあれ、そんなミアはフィーネに歩み寄って言った。
「フィーネ様。シオン様が今ほど帰られまして、フィーネ様と夕食をともにしたいとおっしゃっているのですが」
激しい音を立ててフィーネが持っていた本と資料が散らばる。
フィーネは慌てて拾い上げて机の上に並べてから言った。
「落ち着いて。冷静になりましょう。ただ一緒に夕食を食べるだけ。全然まったくこれっぽっちも慌てることなんてないわ」
「えっと、私は慌ててないですけど」
きょとんとした顔のミアの返事も聞こえていない。
頬をほんのり赤く染めて、「冷静に、冷静に」と呪文みたいに唱えている。
「恋愛って一種の神経毒みたいなもの」と言っていた先ほどまでとはまるで別人なその姿に、幽霊は笑ってしまった。
幽霊屋敷でほとんど人と関わることなく生きてきた彼女なので、初めて経験する恋愛感情の衝撃はそれはもう大きなものなのだろう。
『色恋くらいで振り回されないんじゃなかったの?』
「うるさい」
フィーネは野良猫みたいな目で幽霊を睨む。
不服そうに頬を膨らませてから、鏡の前に向かって髪を整えている。
(おもしろ)
形式上だった結婚の先で、生まれたばかりの淡い想い。
幽霊はにっこり目を細めて鏡に映る彼女の顔を見つめている。
見つけてくれてここまで読んでくれて本当にありがとうございます。
(すごくお待たせしたのに……大感謝!)
第二章、良いものにしたくて全力で書きました。
いつも応援してくれている皆様にも楽しんでもらえたらいいなと願ってます。
励みになるのでよかったら、ブックマーク&評価で応援していただけるとすごくうれしいです!
(作者のやる気がみなぎるのでぜひ!)