書籍版発売記念SS 幽霊と少女
一人でいるのが好きだった。
小さい頃からずっとそうだ。
友達と遊ぶのも楽しかったけど、帰って本を読みたいなんて思ってる自分もどこかでいた。
気を使ったり、人に合わせたりせずに過ごすことができるから。
自分の時間を独り占めして、好きなことを好きなだけ楽しむことができるから。
それは大人になった今も、幽霊にとって幸福で贅沢な一時だった。
心地良く大好きな本の世界に浸る。
静かに時を刻む時計の針。
窓から射す光が埃をちらちらと反射している。
読み終えた幽霊は本を大切に閉じる。
胸に抱え、香ばしい紙の匂いを吸い込む。
美しく素敵な物語の余韻に浸っていたそのときだった。
どたどたと賑やかな足音がして、扉が勢いよく開いた。
「魔法を教えて幽霊さん!」
部屋に入ってきたのは小柄な少女だった。
六歳くらいの少女は幽霊の目の前に陣取って、『私を見ろ』と言わんばかりに手を広げる。
「ああ、余韻が……」
「よいん?」
少女は不思議そうに首をかしげる。
余韻が失われたのは残念でならなくて。
だけど、みすぼらしい服を着た少女の目は、誕生日のケーキを目にしたときみたいにキラキラと輝いていた。
(僕に魔法を教えてもらうのを楽しみにしてくれてたんだ)
幽霊は胸にあたたかい何かが広がっていくのを感じる。
「いいよ。今日はどんなことが知りたいの?」
「えっとね。これとこれとこれと――」
少女は本を広げながら、知りたいことを矢継ぎ早に話してくれる。
丁寧に疑問に答えて、一通りの解説を終えたそのときだった。
「わかったわ。ありがと。じゃあね」
少女はくるりと背を向けて部屋を出て行く。
(聞きたいことだけ聞いて即退散……自由すぎる……)
なんだか都合の良い男扱いされてるような気持ちになって。
それから、近頃感じていることを改めて思った。
(なんか猫っぽいところあるんだよな、この子)
幽霊屋敷の少女――フィーネは猫に似ている。
それは彼女と三ヶ月過ごした幽霊が導き出したひとつの仮説だった。
自分の気持ちに正直で、顔色を見て合わせたり空気を読んだりはしない。
幽霊に魔法を教わる際も、興味があることだけ聞くとぷいとそっぽを向いて部屋から出て行ってしまう。
その小さな背中は、『私は一人で生きていけますので』と言っているように彼には感じられた。
『貴方がいなくなっても全然平気だから。余裕だから』みたいな。
おそらく、両親を亡くした上に、義理の両親に冷遇されていることが影響しているのだろう。
仲良くなった相手が、またいなくなるんじゃないかってどこかで思っている。
それでも平気な自分を作ろうとしている。
その強がりを幽霊はいじらしく思った。
(いなくならない人がいるんだって僕が伝えなくちゃ)
幽霊はフィーネにやさしく親切に向き合った。
しかし初めて体験する子どもと過ごす時間は、彼が予想していたよりも大変なものだった。
(全然思うようにいかない……)
フィーネは前世でボス猿とかやってそうなくらいに暴れん坊のじゃじゃ馬で、幽霊はいつも彼女に振り回されることになった。
火の魔法を教えると発火させられ、氷の魔法を教えると氷漬けにされた。
「やりたい気持ちが抑えられなかった」とフィーネは言った。
この子はちゃんと育てないと人様に迷惑をかける、と幽霊は身震いした。
幽霊は自分にできる全力を尽くして親身に彼女に向き合った。
目線を合わせ、辛抱強く。
声を荒げたくなっても我慢して、わかるまで丁寧に教え諭した。
だけど、効果はあまり出ていないように見えた。
フィーネは植物魔法で幽霊をがんじがらめにして満足げだった。
(これが子育ての苦しみ……)
期待はいつも裏切られ、自身の無力さをまじまじと見せつけられる。
何より幽霊を悲しい気持ちにさせたのは、彼女の小さな背中だった。
一息つくとすぐにぷいとそっぽを向くその背中は『私は一人で生きていけますので』と言い続けていた。
(僕は人との関わりよりも魔法の方が好きってタイプだから。子育てなんて難しいことができるような人間ではないのかもしれない)
だけど、だからってあきらめてはいけないと思った。
これは僕が絶対にしないといけないことなのだ。
なぜかはわからないけど、そんな気がした。
そんなある夜のことだった。
雨が打つ音が響いていた。
日暮れと共に降り始めた雨は、夜が深まるに連れてその強さを増していた。
時々強い光が部屋を白く染めた。少し遅れて雷鳴が大地を揺らした。
風が屋敷を揺らし、地の底から響くような軋む音が響いた。
誰かが書庫のドアをノックしたのはそのときだった。
幽霊は最初それがノックの音だとは気づかなかった。
それは本当に小さな音だったから。
もう一度かすかにノックの音が聞こえて、幽霊は慌てて扉を開けた。
少女は猫のように右耳を向けて立っていた。
「どうしたの?」
幽霊の言葉に、廊下の先に視線を向けて少女は言った。
「……ねむれない」
幽霊は彼女の寝室で、少女が寝付くまでいろいろなことを話した。
雷鳴が轟くたび、少女はびくりと身をふるわせた。
長い夜だった。
時間の流れは引き延ばされ、いつもと違う何かが空気に混じっているように感じられた。
「ひとつ聞きたいことがあるんだけど」
耳を澄まさないと聞こえない小さな声で少女は言った。
「うん。なに?」
しかし、少女は何も言わなかった。
何かにためらっているようだった。
夜の闇の中で、そういう気配のようなものを幽霊は感じた。
「何でも言ってくれていいよ?」
少女は様子をうかがうように幽霊を見た。
しばしの間押し黙ってから口を開いた。
「幽霊さんはどこにも行かない?」
簡単に答えてはいけない大切な問いであるような気がした。
雨の音が強さを増した。
幽霊は少女を真っ直ぐに見つめて言った。
「行かないよ。どこにも行かない」
「本当に? ずっと一緒にいてくれる?」
「いるよ。大丈夫。ずっと一緒にいる」
闇の中で少女の表情が変わったように幽霊は感じた。
気のせいかもしれないけれど、少女は少しだけ安心したように感じられた。
そうだといい、と幽霊は心から願った。
だけど、それは現実ではなく夢の中のことだったかもしれない。
いつの間にか幽霊は、彼女のベッドにもたれかかるように眠っていて。
次に目を開けたとき、フィーネは唇を引き結んで彼を見下ろしていたから。
「先に寝ちゃうなんて。まったく、これだから幽霊さんは」
やれやれ、と肩をすくめるフィーネ。
「レディの扱いがまるでわかっていない。将来が思いやられるわね」
(土魔法で僕を生き埋めにしてはしゃいでた君にだけは言われたくない)
思うところはあったが、口にはしないことにした。
黙っていた方が物事が円滑に進む状況が世の中には多く存在する。
(しかし、失敗したな。先に寝ちゃってたなんて)
大人として、彼女が寝付くまでは見守ってあげようと思っていたのに。
後悔と落胆。
そんな簡単なことも満足にできないなんて。
やっぱり自分に子育てなんて無理なのだろうか。
顔を俯ける幽霊に少女は言った。
「でも、一晩中ずっと一緒にいてくれたのは……まあ、うれしくなくもなかったというか」
猫のように視線をさまよわせてから続ける。
「……ありがと」
ささやくような声で言ってから、逃げるように背中を向けて部屋を出て行く。
その小さな背中はいつものそれとは少し違っていて。
『私は一人で生きていけますので』みたいな強がりはそこにはなくて。
幽霊はなんだか胸がいっぱいになった。
ボロボロの屋敷で猫みたいな女の子と暮らしている。
一人でいるのが好きだ。
だけど、誰かといるのも悪くないかもしれない。
窓の外では、雨上がりの朝日が透明な日差しを町に注いでいる。
見つけてくれて、ここまで読んでくれて本当にありがとうございます!
本作のことでひとつうれしいご報告を。
『「君を愛することはない」と言った氷の魔術師様の片思い相手が、変装した私だった』書籍版が本日、発売されます。
折角本になるなら良い物にしたいという気持ちになりまして、全力で加筆した書籍版になっています。
書いている内に筆が乗って、気づいたら書き下ろし番外編も過去最多の三本に。
(web版はラストを短めに終わらせるのをやってみたかったのですが、その反動もあっていろいろと膨らむ結果に)
また、公式サイトにて書き下ろしSSが公開されています。
(https://magazine.jp.square-enix.com/sqexnovel/special/2023/kimiwoaisuru01_ss.html)
楽しんでいただけるものになっていることを願っています。
よかったら読んでいただけるとうれしいです!