32 万能の願望機
王都の外れにある豪奢な邸宅。
対外的には存在しないことになっているその屋敷は、十五種類の隠蔽魔法と魔法結界によって厳重に守られている。
ベルナールに招かれて屋敷に入ったオリビアはその荘厳さに思わず見とれた。
どれだけのお金があればこんな建物が建てられるのだろう。
見えない細部に至るまでそのすべてがこだわり抜かれた逸品で統一されている。
「お招きいただきありがとうございます」
そう微笑んだイザベラの表情には隠しきれない喜びが滲んでいる。
ベルナールの力の一端を見て、彼がクロイツフェルト家の当主に返り咲くことを確信したのだろう。
「現当主と近い距離にいる主らを招いたのは、仕事を頼みたいと思ったからだ」
ベルナールは言う。
「彼らに近づき内通し、価値のある情報を取ってきてほしい。そう考えていた」
ウェストミース伯はうなずく。
「お任せ下さい。必ずやお役に立って見せます」
「だが、先の報告で少し予定が変わってな。予定より早く儀式を行うことができそうだ。邪魔が入る前に進めなければならない」
「もちろん構いません。ベルナール様の望むとおりに進めてください」
「君たちも見ていくといい。時に《ククメリクルスの鏡》という迷宮遺物の話を聞いたことがあるかね?」
「申し訳ありません。不勉強なもので」
「いや、一般には知られていないものだから当然のことだ。失われた旧文明の遺跡から発見されたとても貴重な魔道具でな。かつて存在した古の賢者が作ったという伝承もあるが真実とは異なるだろう。ここまで強大な力を持つ魔道具を人間が作ることは不可能だからだ」
ベルナールは口元のしわを深くして続けた。
「百年に一度、どんな願いも叶えることができる万能の願望機。だが、この《鏡》を使って願いを叶えようとした者は例外なく悲惨な末路を辿っている。なぜだがわかるか」
「なぜですか?」
「《鏡》は対価を求めるからだ。願いを叶えるためには相応の代償を払わなければならない。先人たちはそこで過ちを犯した。対価の本質を見誤り、代償を求める《鏡》に飲み込まれた」
「人を飲み込むのですか、その鏡は……」
「正確には人の魂を飲み込む。それも、魔力を持った者の魂をな」
ベルナールは言う。
「重要なのは魂が持つ魔力の総量だ。願いを叶えるために必要なだけの魂と魔力を捧げなければならない。考えてみれば当然のことだ。大きな火をおこすためには、それが可能な量の薪をくべる必要がある」
奥の部屋の扉を開けて、ベルナールは続けた。
「だから私は薪を用意した。クロイツフェルト公爵家が王国内に八十二カ所の孤児院を保有しているのは知っているかね」
「まさか……」
「魔力を持つ身寄りの無い子供。三百人も集めれば、私一人が永遠の命を得るためには十分すぎる量であろう?」
カッカッと乾いた笑みが響く。
暗い部屋の中では、魔法で眠らされた子供たちが人形のように横たわっていた。
その異常な光景に、ウェストミース伯は息を呑む。
自らの欲望のために、ためらいなく罪のない子供を犠牲にすることができる。
この人は完全に狂ってしまっている。
「だが、少し状況が変わった。愚か者どもが反旗を翻し、今も何者かが狂ったように私の拠点を潰して回っている。《鏡》の力で永遠の命を得たとしても、富と力を失ってしまえば何の意味も無い。まずは敵対者を葬り去るための力を得る必要がある」
ベルナールは暗い部屋を奥へと歩いて行く。
横たわる子供たちを蹴飛ばしながら、中心に置かれた大きな鏡に手をかけた。
「願いはこうだ。《鏡》よ。私にこの世界で最も強い存在になれる力を寄越せ」
《鏡》が紫色の光を放つ。
異常な量の魔素があたりに充満したその瞬間、倒れた子供たちの姿は消え、ベルナールだけがそこに残っていた。
暗い部屋の中で満足げに笑みを浮かべた。
「これが力か。なるほど、皆が求めるのもよくわかる」
何かを試すように腕を振る。
その風圧で、屋敷の壁は巨人に引きちぎられたかのようにはじけ飛んだ。
(ば、化物……)
立っていられず腰を抜かすウェストミース伯。
「す、素晴らしいですベルナール様」
そう言ったイザベラの声はごまかしきれないほどにふるえていた。
本能的に悟ってしまったのだ。
この人の少しの気まぐれで、自分の命は簡単に失われてしまう、と。
そのとき、部屋に駆け込んで来たのは外を守っていた私兵の一人だった。
「ベルナール様! 屋敷に侵入者が!」
兵士たちの中でも、責任ある立場の男なのだろう。
装飾が施された鎧に身を包んだ彼の身体は、次の瞬間二十メートル後方の壁に叩きつけられ、三つの壁を貫通したその奥で瓦礫に埋もれて動かなくなった。
赤い液体がウェストミース伯とイザベラとオリビアの身体を濡らした。
液体には、何が起きたのか気づいていないかのような無垢な生ぬるさがあった。
「ひっ、はっ、あっ」
息がうまく吸えない。
腰を抜かし、身体をふるわせながら、意味をなさない声をあげる三人。
「気が変わった」
ベルナールは退屈そうに言った。
「これだけの力を手に入れたのだ。協力者などもはや必要もあるまい」
無機質な二つの目が、三人を捕らえる。
(嫌だ……死にたくない……!)
オリビアが恐怖に目を閉じたそのとき、屋敷を破砕しながら飛び込んできたのは巨大な水の大砲だった。
三階建ての屋敷を一瞬で半壊させる威力を持ったそれはベルナールの身体を横殴りに吹き飛ばし、背後の壁に叩きつける。
「私、ずっと貴方に会いたかったの」
粉塵の中から姿を見せたのは、仮面の女性だった。
サイズの大きなローブをはためかせた彼女は、大きな帽子のつばを上げて言う。
「何度夢に見たかわからない。やっと願いが叶う。それがうれしくてたまらない」
魔女は仮面の下で口角を上げる。
「一発でなんて済まさないわ。生きてることを後悔するくらいボコボコにしてあげる」