3 クロイツフェルト家の新当主
結婚するはずだった悪徳貴族は、目前で身内に裏切られ、地位を追われることになってしまったらしい。
「申し訳ないね。我が家のことでウェストミース家のご令嬢を巻き込んでしまうとは」
到着した公爵家のお屋敷。
豪壮な応接室でクロイツフェルト家新当主、シャルル・クロイツフェルトは穏やかに微笑んでそう言った。
四十代半ばのはずなのに随分と若く見える男性だった。
指の先まで丁寧に磨き上げられた立ち振る舞いと、優しげな物腰はつい気を許してしまいそうになる独特の力があったが、だからこそフィーネはこの人を怖いと思った。
その優しさに何か自然ではないものを感じたのだ。
悪い噂も多いクロイツフェルト家で、強固な権力基盤を持っていたベルナールを追い落として新しい当主になった男性。
警戒しておいて損はない、とフィーネは思った。
「父との結婚をどのように考えていたかはわからないが、今回のことで君にいくらかの精神的負担を強い、不安にさせてしまったことを心から謝罪したい。お詫びとして、代わりとなる相手を用意しようと思っている」
シャルルは目を細めて続けた。
「ご両親はクロイツフェルト公爵家と関係を深めることを望んでいる。君の立場を考えても、相応の相手を用意するべきだと思ってね」
「お申し出はとてもありがたいですが……」
フィーネは言葉を選びながら言った。
「どうしてそこまでしてくださるのですか? シャルル様なら、私を強引に送り返しても問題ないと思いますが」
「父はかなり長い間当主を務めていたからね。私が当主になったことを不服に思う者の反発が予想される中で、ウェストミース伯が味方になってくれるのは心強い」
(なるほど、そういうこと)
先代を追い落として当主になった直後であるがゆえに、少しでも味方を増やしておきたいのだろう。
(ただ、心強いというのは完全なお世辞ね)
前当主だったフィーネの父の弟である現ウェストミース伯は、決して優秀な人物ではない。
表沙汰になってこそないが、当主になってからも何度となくトラブルを引き起こしている思慮の浅い人だ。
(そんな叔父に心強いと本気で思ってるみたいに言えるところが、油断できないわ)
警戒を深めつつ、フィーネはにっこりと笑みを返す。
「ありがとうございます。お申し出、とてもうれしく思います。それで、代わりの相手というのはどういう方なのでしょうか?」
おそらく、あまりいい相手ではないだろう。
辺境の屋敷からまったく出てこないフィーネについて、王国の社交界ではよくない噂が立っていると聞いたことがある。
器量が悪く粗忽で人前に出ることさえできない、というフィーネについての嘘を、義母と義妹は社交界で話して回っているようなのだ。
(まあ、どう思われようが別に気にならないけど)
厳しい環境の中で、たくさんの本を読んで育ったフィーネは逆境に負けない強い心と簡単には流されない独自の考え方を会得していた。
(どんな相手でもいいわ。元々、幽霊さんにやりたいことをさせてあげるために結婚という手段を選択しただけだし)
目的さえ果たせば、適当に理由を作って姿を消せばいい。
(ただ、良い人だとちょっと困るわね。気兼ねなくぶっ飛ばせないから。もっとも、悪い噂の多いクロイツフェルト家だし、そこは心配ないと思うけど)
きっとまた、殴り甲斐のある不正塗れの悪徳貴族を紹介してくれるのだろう。
期待に胸を弾ませるフィーネに、シャルルは言った。
「君には、私の息子と結婚して欲しい」
人好きのしそうな笑みがやけに印象に残った。
「シオン・クロイツフェルト。近い将来、王国の未来を担う男だよ」
(まさか、次期当主様を紹介されてしまうとは……)
会談の後、フィーネは予想外の言葉を反芻しながら応接室のソファーに腰掛けていた。
(年齢は二十二歳。王国富裕層における結婚の平均的な年齢差を考えると、三つ年上というのはかなり年の差が少ない部類。家柄と将来性も申し分ないし、願っても叶わないくらいの好条件……)
五十歳以上年上の鬼畜外道と結婚する予定だったことを考えると、振り幅がすごすぎて頭がくらくらしてしまう。
(でも、この顔どこかで見たことある気がするのよね)
写真をじっと見つめて考えるが思いだせない。
人付き合いをほとんど経験せずに育ち、人の顔を覚えるのがあまり得意じゃないフィーネだ。
(私がどこかで見たことあるって感じてることはそれなりに関わりがあった相手の気がするんだけど)
記憶を辿るけれど、なかなか思いだせない。
『良かったね。とりあえず想定していたより悪い相手ではなさそうだ』
明るい声で言う幽霊さんに、フィーネは小声で言う。
「そうね。あのうさんくさい新当主の息子ということは、間違いなくかなりの悪人。これはぶっ飛ばし甲斐があるわ」
『期待の方向が斜め上すぎる』
虚空を見上げる幽霊さんを余所に、拳を握って士気を高めていたそのときだった。
「フィーネ様! あの、今敷地内にある別邸でフィーネ様のためにご用意されたお部屋に案内されたんですけど……」
慌てて、部屋に入ってきたのはメイドのミアだった。
「お部屋のご様子が、ちょっとお伝えしづらい感じと言いますか」
(なるほど。そういう風に嫌がらせしてくるわけね)
さすが悪い噂の多い悪徳貴族家というところか。
(もっとも、雨漏りしまくりのお屋敷で便所虫さんとお友達になって生活してた私に、住環境での嫌がらせが通用するかしら)
挑戦的な笑みを浮かべて、フィーネは言う。
「いいのよ、大丈夫。多少汚くても私は問題ないわ」
「いえ、汚いわけじゃありません。そうではなくて、私の語彙ではうまく言葉にできないくらい綺麗ですごいと言いますか……」
「………………は?」