25 王子殿下の誕生日パーティー
ロストン王国王宮は《紺青の大王宮》と称される美しい建物だった。
左右対称の構成で作られた巨大なファサード。エントランスの前には、みずみずしい芝生と噴水庭園が広がり、季節の花々が咲き誇っている。
雨漏りが止まらないボロボロの幽霊屋敷で育ったフィーネからすると、何から何までまったく異次元の空間。
すっかり圧倒されつつ案内してくれる執事さんの後に続く。
不意に声をかけてきたのは、ローブを着た男性だった。
「シオン様。申し訳ないのですが、少しお力を貸していただきたい案件がありまして」
どうやら、仕事のお話らしい。
「私は一人で大丈夫です。気にすることなく力を貸してあげてください」
「……すまない」
旦那様の背中を見送る。
(今のは、次期公爵夫人としてなかなか良い感じの対応だったんじゃないかしら)
そんなことを思いつつ会場に到着したフィーネは、そこに広がる光景にたちまち目を奪われた。
(色とりどりのお料理とお肉とケーキがいっぱい!)
見たことのないほど豪勢なお料理たち。
さすが第二王子殿下の誕生日パーティーということだろうか。
(生きていてよかった。神様ありがとう)
とりあえず食べてから考えよう。そうしよう。
うきうきで料理に向かうフィーネに、声をかけたのはふわりとした巻き髪のご令嬢だった。
「あら! フィーネ様? フィーネ様ですよね?」
弾んだ声。
いけない。次期公爵夫人として、ちゃんとした振る舞いをしなければ。
「はい。そうですけど」
「見違えました。結婚式のときは少し心配になってしまうくらい痩せていらしたので」
「そうなんです。ごはんがおいしすぎてつい食べ過ぎてしまって。ダイエットを始めたのですが体重の増加が止まらなくてですね」
「十分細いですし、私はもっと食べてもいいくらいだと思いますけれど」
「では、あちらのお肉をいただいてもいいでしょうか」
真剣な声で言ったフィーネに、巻き髪のご令嬢はくすりと笑った。
「いただきましょう。折角用意してくださったお料理ですから」
二人でおいしいお肉を並んでいただく。
レイラと名乗った彼女は、グレーシャー公爵家のご令嬢でシオンとは幼なじみだったと言う。
「昔は素直で明るくて活発な性格だったのですよ。でも、八歳くらいの頃に何かあったみたいで別人みたいに心を閉ざすようになって。理由を聞いても教えてくれませんし、気がつくと人間不信でいつも一人でいるみたいな状態に」
「たしかに、友達とお会いしているのは見たことがないかもしれません」
「こういう場だと、ぽつんと一人でいることも多くて。それはそれでちょっとかわいいのですけどね」
小さく笑ってからレイラは言う。
「その上、何かから逃げるみたいに危険な仕事ばかりして、いつも無表情だから冷酷無慈悲の《氷の魔術師》みたいに言われて……私は心配でならなかったのです。あの社会不適合者のシオンにまともな結婚生活なんて送れるわけがない。お相手の方は大丈夫だろうか、と。しかも、フィーネ様は少し人とのコミュニケーションが不得手というお話でしたし」
「たしかに、客観的に見ると絶対うまくいかなそうです」
「でも、実際のフィーネ様は少しお噂とは違いました。話してる感じ、人に会うのが怖くてお外に出られなかったなんて信じられないですし。魔法の才能がすごくて王立魔法大学でもご活躍されていると聞いています」
「いえいえ、みなさんが過分に評価してくださっているだけなので」
面倒そうだからと出ていなかった社交界だけど、いつの間にか私に対する風向きも変わってきているみたいだった。
(お母様と妹に絶対悪い噂を流されてると思ってたのに)
多少の悪い噂くらいではびくともしないくらいに、王立魔法大学での評判がプラスに働いてるということだろうか。
(そういえば、今日は姿を見てないけどどこにいるんだろう?)
クロイツフェルト公爵家とつながりを深めつつあるウェストミース伯爵家。
呼ばれていないというのはありえないし、だとすれば絶対に嫌味を言いに来るはずなのに。
「どんなことでも力になりますから、相談してくださいね」
レイラ様は言う。
「シオンはかなり人間性に問題がありますが、でも根は悪い人ではないんです。辛抱強く付き合えば、きっと仲の良い夫婦になれると思います。だから、あの人をあきらめないであげてほしくてですね」
「レイラ様はシオン様のことがお好きなのですね」
「好きというよりは、つい心配になってしまう腐れ縁という感じですね。ほんとあの人、危なっかしくて不器用で見ていられなくて」
あきれ顔で嘆息するレイラ様。
どうやら、本当に心配してくれているらしい。
「でも、シオン様は最初の頃から結構いろいろ話してくれましたよ。朝食と夕食は一緒に食べようとしてくれますし」
「彼に気を使って嘘をつかなくても大丈夫ですよ。私、シオンが救いようのない社会不適合者だってよく知ってるので」
レイラ様は女神のようなやさしい顔で言った。
嘘ではないと信じてもらうまでにしばらく時間がかかった。
「ほ、本当にシオンが朝食と夕食を一緒に……!?」
「はい。お互い魔法が好きなので、共通の話題があったこともありまして」
「そんな……あの社会性が終わってるシオンがそんな人間らしい行動を見せるなんて……」
レイラ様はしばしの間呆然としていたが、やがて目元を拭って言った。
「良い人に出会えてよかったですわね、シオン……」
それから、私の手を握って続けた。
「多分、フィーネ様が思ってるよりもシオンにとって貴方は特別な存在になってると思います。どうか見捨てないであげてくださいね。根は悪い人ではないんです。私も力になりますから」
(特別な存在、か……)
たしかに、シオン様にとって私は特別な存在なのだろう。
ずっと追いかけてきた片思いをしている相手――《黎明の魔女》の話が聞ける相手として。
だから、彼が好きなのは私ではないし、レイラ様の思っているような関係とは違う。
(いや、その片思い相手の正体は私だから、その意味では私のことが好きなんだろうけど)
誰かに好意を持たれるのは初めてで。
だからうれしくて、気恥ずかしかった彼の《黎明の魔女》への気持ち。
だけど、今は少し胸がもやもやする私がいた。
それがどうしてなのかはわからない。
(まさか、心臓の病気……!)
生死にかかわる問題かもしれない。
帰ったら、魔法医学関係の本を読んで症状を確認しようと思うフィーネだった。