20 交錯
前当主の所有する別邸の三階。
黒猫になったフィーネは尻尾を揺らしつつお屋敷の中を探索していた。
肉球の下に感じる絨毯の感触。
豪奢な調度品と芸術品で彩られた別邸は、元々のそれとは異なるのであろう異様な状態だった。
散乱した書類と本の束。
開けっぱなしのひきだしとそこから垂れ下がる深紅のマフラー。
まるで泥棒が荒らした後のような、散らかった部屋。
しかし、魔法結界が正常に作動していたのを見るに、部外者が内部に侵入して犯行を行った可能性は低いように見える。
(そういう事実があれば、公爵家の中でも情報が回ってくるはずだし)
必然的に、別邸を荒らしたのは内部の誰か。
「新しい当主が前当主の隠してる何かを探したっていうのが一番自然な線よね」
『そうだね。ただ、決めつけすぎると状況を見誤る可能性もある』
「新しい当主が持ち去った何かを前当主が探してたって線もあるか」
『いずれにせよ、探す価値のある何かがここにあったと考えていいと思う』
探す価値のある何か。
(最も可能性が高いのは、私たちが探している《ククメリクルスの鏡》――)
「随分慌てて探してたみたいね。何か想定外のことがあったのかしら」
『見つからなくて焦っていたのかもしれない。あるはずの場所から既に持ち去られていたか――』
「あるいは、そう見せかけることで既に捜索済みだと偽装したかったのかも」
フィーネは言う。
「荒らされてる部屋を探すのは無意味だわ。偽装工作かもしれないし、これだけ必死で探してるのだもの。もしあったとしても間違いなく既に持ち去られている。私たちが捜索すべきは、まだ手が付けられていない場所」
『手が付けられていない場所?』
「隠し部屋」
くりんとした猫の目で不敵に笑みを浮かべて言った。
「疑い深く慎重な前当主のことだもの。厳重に隠された秘密の地下室とか、ありそうだと思わない?」
「本当にいいんですか? こんなことして」
不安そうなハンスの言葉に、シオンは表情を変えずに答えた。
「よくないだろうな」
「なら、どうして――」
「見つからなければ問題無い」
落ち着き払った声で言ったシオンに、ハンスは困り顔で言う。
「そんなに堂々と不法行為の片棒を担がせないでください」
「安心しろ。お前は何があっても絶対に守る」
たしかな決意が感じられる言葉だった。
最年少で五賢人の一人に選ばれ、王宮で宰相に重用される稀代の天才。
彼が規格外の速さで出世を重ねているのは、公爵家らしい裏工作以上に、最も危険な場所自ら赴く自信と責任感によるところが大きかった。
四年前、北部地域を襲った歴史的な規模の《魔物の暴走》
国境警備隊の半数が逃げ出した絶望的な戦況。
最後まで戦い抜き、北部の村と町を守り抜いた伝説が偽りではないことを、周囲の者達は知っている。
「別にいいですよ、守ってくれなくても」
そういう彼だからこそ、部下たちは言うのだ。
「寂しいこと言わないでください。シオン様のためなら、多少処罰されても構いません。そういう覚悟で俺たちは働いてます」
シオンは意外そうに小さく目を見開く。
少しの間、押し黙ってから言った。
「……ありがとう」
素直。
悪い噂の多いクロイツフェルト家の出身とは思えない実直な性格。
こういうところがずるいんだよな、とハンスは嘆息する。
たどり着いた別邸。
敷地の外縁に張られた魔法結界を怪訝な顔で見つめた。
「随分厳重な魔法結界ですね」
「祖父は常に裏切りを警戒していた。父もその慎重さを引き継いでいる」
「だからってここまでしなくても」
ハンスは結界の魔法式をじっと見つめて言う。
「こんなの歴史に名を残すレベルの魔法使いでないとまず突破できないですよ」
「できないことはないと思うが」
「貴方は歴史に名を残す類いの人なので」
結界に穴を開けて別邸の敷地内へ。
ハンスは内側から結界を振り返って深く息を吐いた。
「ここまで警戒するっていったい何を隠してるんでしょうね」
「違法薬物の製造施設とか」
「まさか。ありえないですよ」
笑みを零すハンス。
シオンは無表情で屋敷を見つめている。
結論から言うと、前当主の別邸には秘密の地下室があった。
厳重に施された十九種の隠蔽魔法。
書庫の本棚の裏に隠された秘密の入り口。
かなり腕のある結界魔法使いの仕事なのだろう。
地下室の存在を意識して探して、それでも簡単には見つけられなかったから、魔法の知識がない人にはまず見つけられないはずだ。
その奥に広がっていた光景にフィーネは頭を抱えることになった。
「なんでお屋敷の地下に違法薬物の製造施設があるのよっ!」
研究員と警備兵に気づかれないように小声で言った。
漂う薬品の香りにくらくらする。
常識的な数値を遙かに超えた危険域の濃度。
悪い噂の多かった前当主だけど、実体は噂以上にひどいものだったらしい。
(シオン様は積極的に人と関わろうとしない性格って聞いたけどこういうのも影響してるのかもね)
身内の最も権力を持っている存在がこんなやばいやつだと、仲良くした相手にも迷惑をかける可能性がある。
(恵まれているように見える人も、いろいろ大変な事情を抱えているものね)
そんなことを思いつつ、研究施設を見回す。
(警備してる私兵は五人。身のこなしを見るに相当の手練れ揃い)
『違法行為が行われているのは明白だ。しかるべき組織に伝えて対処してもらおう』
「お断りするわ」
フィーネは小声で言った。
「折角気兼ねなくぶっ飛ばせる悪党共が目の前にいるのよ。ずっと待ち望んでいたストレス解消の好機! 最近《黎明の魔女》として魔物をぶっ飛ばしたりできなかったから、私の世直し正義パンチしたい欲求は最大限に高まってるわ!」
『前々から思ってたけど、世の中のためとかじゃなくて自分のストレス解消のために魔物とか倒してるよね、君』
「当たり前じゃない。私の中にあるのは、ぶっ飛ばしたいって純粋な思いだけ。気持ちよければそれでいいのよ」
『僕はとんでもないモンスターを作り上げてしまったのかもしれない』
幽霊は頭を抱えて嘆息する。
『でも、相手は違法魔法武器で武装してる。簡単に倒せるような相手じゃない』
「だからこそいいのよ。歯ごたえがないとぶっ飛ばし甲斐がないわ」
にっと目を細めてフィーネは人間の姿に戻る。
「見てて」
起動したのは水魔法。
煙のような白い霧があたりに立ちこめる。
「おい、何をしている!」
「いや、私は何も――」
研究員が何かミスをしたと思ったのだろう。
言い争っている隙を突き、背後に回り込んでからの不意打ち。
電撃魔法で一人をノックアウトしてから、近くにいたもう一人との距離を詰める。
首筋への電撃で二人目の意識も刈り取った。
「おい! 何かいるぞ!」
残りは三人。
違法製造された魔法杖による遠距離攻撃はかすっただけで即致命傷の異常な威力。
しかし、視界を奪われたこの状況では、周囲の仲間と同士討ちをしてしまう可能性がある。
混乱と迷い。
「なんだ、何が起きている……!」
深い霧がすべてを覆う中、見えない敵に動揺する兵士たち。
霧の中で明滅する電撃の閃光。
「落ち着け! 集まって連係するんだ」
リーダーらしき男が声をかける。
「もう貴方だけよ」
そっと背後から声をかける。
首筋に電撃を流して、気絶させた。
あとは、研究者たちも電撃で気絶させて、いっちょあがり。
「どう? 見事なものでしょ」
霧を発生させる水魔法を解除してから、気絶した兵士さんと研究員さんを縛り上げて世直しのお仕事完了。
(あとは、王立騎士団あたりに通報……いや、先にシオン様に伝えた方が良いか)
当主交代直後のこのタイミングでシオンが前当主の不正を暴けば、旧体制を支持する人たちはさらに力を失い、彼の評価も高まる可能性が高い。
(ふふん。名目上とはいえ、妻として最高の仕事をしちゃったかも)
幽霊さんの研究を完成させるための一時的な結婚だからこそ、旦那様にも相応の恩返しをしておきたいところだ。
快適ですごくいい生活をさせてもらってるしね。
「でも、《ククメリクルスの鏡》の手がかりは見つからなかったわね」
『そうでもないよ』
「え?」
『この資料を見て』
そこに書かれていたのは、複雑な魔術文字で書かれた禁忌魔法の研究資料。
(どんな願いも叶えられる万能の願望機……)
難しすぎて詳細までは把握できなかったけど、ろくでもないことを考えているのはなんとなくわかった。
(とりあえずこれは持って帰って後でじっくり読もう)
そう思いつつ、資料に手を伸ばしたそのときだった。
『まずい、フィーネ!』
声に慌てて手を引っ込める。
瞬間、指の先をかすめたのは氷の槍。
(禁忌魔法の研究に気を取られていたとはいえ、私が気づけなかったなんて)
間違いなく凄腕。
ひりつくような強大な魔力の気配。
(いったい何者……)
警戒しつつ、視線を向けた私はそのまま硬直することになった。
「貴方、は――」
そこにいたのは唖然とした表情で目を見開く――《氷の魔術師》。
《黎明の魔女》に片思いしているシオン様がそこにいた。