15 鬼畜教授の実技課題
第六演習室。
学生達から《鬼畜眼鏡》と恐れられるシュテーゲン教授の実技課題。
そこで使用される《エメラルデラの箱》は最高硬度を誇る最新鋭の魔道具だ。
百九十八の魔法障壁によって厳重にコーティングされたその箱を開けるには、設定された解となる魔法式を導き出さなければならない。
魔導皇国の宮廷魔導師でも開けられなかったという異様な難易度の課題。
しかも、箱の準備を任された助手の女性には、フィーネに対する個人的な恨みがあった。
(あんな子がシオン様と結婚なんて許せない……!)
わき上がる怒り。
学生時代からシオンを知る彼女は、彼が《みんなのシオン様》として声をかけてはならない特別な存在だったことを深く記憶していた。
抜け駆けは絶対に許されない。
もしそんなことをすれば、相応の制裁が下されることになる。
(痛い目に遭って当然なのよ。だって、シオン様と結婚なんてうらやましすぎる状況を経験できてるのだから)
胸を激しく焼く嫉妬の炎。
強くなりすぎた思いは、冷静な視点を彼女から奪い去っていた。
(間違えたふりをして解答が設定されてない予備の箱とすり替えてやる。みんなの前で大恥をかけばいいわ)
急遽行われることになったシュテーゲン教授の実技課題。
第六演習室は、好奇心に誘われた学生と先生たちがあふれそうなくらいに詰めかけていた。
(めちゃくちゃ注目されてる……なんで!?)
それはこの一ヶ月、名誉教授がことあるごとにフィーネの名前を出し、本物の天才だと言って回っていたからなのだが、フィーネはそんなこと知るよしもない。
(大勢に見られるのは慣れてないのに……胃が痛い……)
めまいがしそうなフィーネに、《鬼畜眼鏡》のシュテーゲンは冷ややかな声で言った。
「貴方には、私が用意した《エメラルデラの箱》を開けてもらいます。この箱がどういうものなのかはもちろんご存じですよね」
「……なんですか、それ」
辺境の幽霊屋敷で魔法を学んだフィーネなので、現代魔法の知識には疎い部分がある。
《鬼畜眼鏡》はあきれ顔をしつつも、先生らしく丁寧に箱の基本的な情報を教えてくれた。
「実用化されている中で最高硬度を誇る最新鋭の魔道具です。百九十八の魔法障壁によって厳重にコーティングされた箱を開けるには、設定された解となる魔法式を起動する必要がある」
(なるほど。設定された正解の魔法式を導き出せばいい、と。パズルみたいなものね)
「制限時間は十分。それで構わないかね」
「わかりました。問題ありません」
深く息を吐いて、意識を集中する。
「始め」
号令と共に、箱に手をかざした。
織り込まれた百九十八の魔法障壁。
思考の海に沈んで正解を探す。
既に彼女の世界からは音が消えていた。
何も聞こえない。
脳内で高速展開する魔法式。
深い海の底で答えを探す。
時間が過ぎていく。
張り詰めた空気。
固唾を呑んで見守る観衆たち。
やがて、目を開けた彼女は少し意外そうな顔で言った。
「答えが存在しないです、この箱」
それは明らかに不正確な解答だった。
シュテーゲンはたしかに解答を設定していたし、彼がその類いの嫌がらせをしない人間であることは周知の事実だった。
「誤りだ。答えは設定してある」
「何か手違いがあったのではありませんか?」
「人を疑う前に、もう少し自分を疑ってみてはどうかね」
注がれる疑いの視線。
首をかしげつつ、箱を見つめるフィーネ。
「やっぱり、どう見ても解答は存在しないように見えますけど」
シュテーゲンが瞳を揺らしたのはそのときだった。
箱に刻まれた識別番号が用意したものとは異なっている。
どこかで手違いがあって入れ替わってしまったのだろう。
それなら、答えが設定されていないというのがたしかにこの課題における解答になる。
(あのわずかな時間でそれに気づくとは……)
内心驚きつつ、シュテーゲンが制止しようとしたそのときだった。
「なるほど。力尽くで開けろ、と。そういうわけですね」
瞬間、シュテーゲンは頭の中が真っ白になった。
爆発的に上昇する魔力圧。
焼け付くような魔力の気配。
何が起きたのかわからない。
その場で立っていられず、思わず後ずさる。
幾重にも高速展開する魔法式。
同時に複数の魔法を起動する多重詠唱。
魔法障壁を無力化する反魔法式が、次々に《エメラルデラの箱》の防御機構を解除していく。
(まさか、最高硬度を誇る百九十八の魔法障壁を力尽くで――)
ありえない。
ありえるはずがない。
しかし、現実として彼女は目にも留まらぬ速さで魔法障壁を無効化していく。
誰もが言葉を失っていた。
まばたきも、息の仕方も忘れて見入っている。
口の中がからからに乾いていた。
(なんだ……なんなんだ、この子は……)