11 期待
『なかなか興味深いことになってるみたいだね』
シオンが部屋を出て行ってから、聞こえてきたのは幽霊さんの声だった。
「盗み聞きは良い趣味とは言えないわよ」
『悪いことをしたとは思ってるよ。ただ、君を守らないといけない僕としては聞いておかないといけない話だと思ったから』
「たしかに、今後の方針を考える上では重要な話だったわね……」
フィーネは先ほどの会話を思いだして、頭を抱える。
「《氷の魔術師》が私に片思いしてたって何よその意味不明な状況! 私、嫌がらせしかしてないのに!」
『思いはなかなか正しく伝わらないものだから。にしても、あの懸命な探しぶりも彼の本心を知ると大分印象が変わってくるね』
「…………」
顔を赤くするフィーネに、幽霊さんは目を細める。
『君が楽しいことになってて僕はうれしいよ』
「うるさい」
恨みがましく見つめてから、フィーネは言う。
「とはいえ、私たちの目的を考えれば状況は良い方向に進んでる。協力者として《氷の魔術師》の動向をつかめる立場になれたから、安心してクロイツフェルト家の探索を始められるわ。幽霊さんの研究を完成させるために必要な《ククメリクルスの鏡》。所有してたベルナールが失脚したのは想定外だったけど、次期当主夫人という立場でも十分持ち出すことは可能だろうし」
『いいのかい?』
幽霊さんの言葉にフィーネは怪訝な顔をした。
「何が?」
『僕に協力する必要は無い。それよりも僕は君に幸せになってほしいんだ。心の声を聞いて、したいことをして、自分の望みを叶えて欲しい。悪徳公爵との結婚には問題しか無かったけど、実際に結婚した次期当主は悪くない相手に見える。《黎明の魔女》としての君に強く惹かれているようだし、正体を明かせば幸せな結婚生活も送れるかもしれない』
「ありえないわね」
フィーネは言った。
「そういうタイプじゃないのよ、私。一人で幸せに生きていける性格だし、誰かに養ってもらうみたいなのは性に合わない。曲がったことは許せないから、貴族社会で生きるのは向いてないしね。何より――」
少しの間、逡巡してから続けた。
「私にとっては幽霊さんの方がずっと大切。あなたの存在にひとりぼっちだった私がどれだけ救われたか。恩人の望みを叶えることより大事なことなんてないわ」
『でも、僕は君に自分のことを優先して欲しくて』
「これが私にとって一番望んでいることなの」
フィーネは言った。
「変更は必要ないわ。計画を進めましょう」
夜の私室。
仕事を終えて一息ついてから、シオンはフィーネとの会話を反芻していた。
(想像していたものとはまったく違っていた)
外に出ることもできないほど対人関係が不得手。
そんな前評判に反して、彼女は話しやすい相手だった。
他者を信用できず、胸の内を明かすことに抵抗がある自分なのに、気がつけば正直な気持ちを口にしてしまっていたほどに。
信じられると思えたのは何故なのか。
その理由にシオンは気づいている。
(彼女は、あの人に似ている)
自分を救ってくれた《黎明の魔女》。
彼女の声と言葉使いには、あのときに聞いたそれに似たものがあるように感じられた。
(多分弟子として、彼女の傍にいたから)
魔法のことだけではなく、人間性の部分でも少なくない影響を受けているのだろう。
そのかすかな気配だけでもシオンは、この上なく満ち足りた気持ちになることができた。
四年の月日が押し流す時間と薄れゆく記憶。
懸命に追い求めていた彼女の影。
(やっと見つけた……近づけた……)
扉を開けて、私室のバルコニーに出る。
吹き抜ける心地良い夜の風。
曇り空の隙間から覗く小さな星。
北の空で瞬くそれに手を伸ばした。
つかめないのは知っている。
だけど、それでもいい。
手を伸ばしたい。
会って話がしたい。
あのときみたいに。
そして、貴方のおかげで生きていられるのだと伝えたい。
世界のすべてを手に入れる手がかりをつかんだような気がした。
彼女は自分にとってきっとそれだけ価値のある存在なのだろう。
ほんの少しの前進。
なのに、それだけで胸がいっぱいになっている。
(会えたら、いい)
子供じみた淡い期待が胸の中にあった。