10 動揺
驚くべきことに、《氷の魔術師》様は《黎明の魔女》に恋をしているらしい。
意味がわからなすぎてしつこいくらいに確認したのだけど、それでもまったく意見を変えなかったから、おそらく彼の言葉は事実なのだろう。
「……どこがいいんですか?」
フィーネは内心の動揺を隠しつつ言う。
「あの人、人間的に少し問題があるというか。貴方に対しても嫌がらせとかしたんじゃないかなって思うんですけど」
「君の知る《黎明の魔女》はそういう人なのか。興味深い」
しげしげと私を見つめてから、目を細める。
「俺の知る《黎明の魔女》は優しい人だった。死者同然だった俺を無償で治療し、その間ずっと生きることの素晴らしさを伝え続けてくれた。なんて情に厚く心があたたかい人なんだと思った」
(私の嫌がらせ、めちゃくちゃ好意的に解釈されてる!?)
『殺してくれ』と言ったときの目が気に入らなかったがゆえの、百パーセント純粋な悪意による行動だったのに!
「でも、四年前のたった一ヶ月の出来事じゃないですか。そこまで想い続けるほどのことではないような」
「俺にとっては生まれてから初めて『生きていたい』と思えた瞬間だった。人生で最も価値のある一ヶ月だったんだ。救われた」
「だけど、それだけの時間では相手のことなんてそこまでわからないのでは」
「わかっているとは言えないだろうな。だが、彼女は俺に自分のことをたくさん話してくれた。本の匂いには幸せをくれる何かが混じっていること。雨の音を聞くと心が落ち着くこと。夏の夜の風が心地良いこと。屋根の上から見上げる夜空が美しいこと。そこで飲む野草を煎じたスープは本当においしいこと」
(なんでそんな綺麗な思い出になってるの……嫌がらせだったのに……)
困惑するフィーネ。
「何より、素敵だと感じたのは彼女の考え方だ」
シオンは言う。
「恵まれていない環境でも考え方次第で幸せになれる。その前向きさと強さが輝いて見えた。日常のささやかな瞬間に幸せを感じられるところも素敵だと思う。普通の人と違う変わったところもすごくいい。たとえば――」
(内面すごい褒めてくれるじゃん!? ベタ惚れじゃん!?)
経験したことのない事態にくらくらするフィーネ。
シオンは、はっとして言う。
「すまない。傷つけてしまっただろうか」
「いえ、嫌ではないです。むしろ聞いていて幸せなのでもっと続けていただいても」
「どうして君が幸せになる?」
「れ、恋愛話好きなんですよ。特に片思いの話とか好みで」
咄嗟についた嘘だったが、それなりに説得力のあるものになったのは幸運だった。
女性が恋愛の話を好むという一般的なイメージもあって、彼は納得してくれたらしい。
「だが、彼女に想いを伝えたいとは思っていない。貧しい出自のようだし、うちは悪評も多い公爵家だ。結婚することは許されないし、近づくことで傷つけてしまうかもしれない。ただ、もう一度会って感謝を伝えたい。貴方のおかげで生きていたいと初めて思えた、と」
愛しさと切なさがないまぜになった表情だった。
(いや、その人私なんだけど……)
当人と既に結婚し、現在進行形で目の前にいるなんてことは夢にも思っていないようだった。
(な、なんなのこの状況……!?)
フィーネはあわあわしながら、内心の動揺を懸命に隠していた。