1 出来損ないの令嬢
ロストン王国北部辺境。
王国の北側に位置する《魔の山》に面したこの地域は、常に魔物による被害に悩まされてきた。
東方大陸最強の生物種である飛竜種を筆頭とした高レベルで甚大な被害をもたらす魔物たち。
そんな状況が変わり始めたのは七年前のことだ。
その魔法使いはたった一人で人類と魔物のパワーバランスを一変させてしまった。
《黎明の魔女》
四年前、北部地域を襲った記録的な魔物の暴走を壊滅させて王国魔法界に大きな衝撃をもたらし、その翌年には人類史上初となる飛竜種の単独討伐を達成。
圧倒的な力で、姿を見た者もほとんどいないにもかかわらず、王国史上最強の魔法使いと称される生きた伝説。
しかし、現代魔法ではその全容を測ることさえ叶わない、独自の魔法理論を持つ彼女についてわかっていることはほとんどない。
出自は不明。
多くの人々が彼女に強い関心を持ち、様々な方法でその周辺を探ろうとしたが、有益な情報を掴むことはできなかった。
《黎明の魔女》はいったいどのような人物なのか。
それは、ロストン王国で最も大きな謎のひとつである――
◇ ◇ ◇
その屋敷は、周囲から幽霊屋敷と噂されていた。
建てられてから何世紀経っているかわからない、ボロボロの居館と荒れ果てた庭。
ウェストミース伯爵家令嬢――フィーネ・ウェストミースがそこに住んでいるのは、現当主である義理の両親に幽閉されているからだった。
十四年前、フィーネが五歳のときに亡くなった前当主である両親。
家督を継いだ叔父夫婦にとって、残されたフィーネは邪魔な存在だった。
役立たずで出来損ないの厄介者。
何の取り柄も使い道もない無能。
彼らはフィーネを疎み、自然な形でいなくなってくれることを期待していた。
一日一食しか与えられない食事。
粗末なベッドとぼろ切れ。
魔導式の給湯器を使うことは許されず、冬でも冷たい水で身体を洗う。
屋敷の中に閉じ込められ、友達はおろか外部の人間と話すことさえ許されない。
小柄で痩せ細った少女は、いつも書庫の本を読んでいた。
ひとりぼっちの彼女を侍女たちは不憫に思いつつ見つめていた。
しかし、自分たちも生活がかかっている以上、雇い主に逆らって彼女に食事を与えることはできない。
そんな侍女たちも、
「ひどい……ひどすぎます、いくらなんでも……」
と漏らさずにはいられなかったのが今回の縁談だった。
冷徹で人の血が流れていないと言われ、悪い噂も多いクロイツフェルト公爵家。
齢七十を超えた現当主ベルナールの八人目の妻として、フィーネが選ばれたのだ。
世間では誠実な人物として知られているベルナールは、嗜虐的な嗜好の持ち主で家族に暴力を振るうという噂があった。
目も当てられない行いの数々を金と権力でもみ消し、欲に塗れた生活を送る悪徳公爵。
若い娘が好きなベルナールは、悪い噂のせいで何度か縁談を断られた後、当主に疎まれているフィーネに目をつけたのだと言う。
「素晴らしいお話でしょう。あのベルナール様がお声をかけてくださったのよ」
満足げに笑みを浮かべて言う義理の母イザベラ。
「うらやましいわ、お姉様。きっと熱烈に愛してくださるわよ。一生消えない傷が残るくらい。たしか、前の奥様は腰の骨が折れて今も入院中だったかしら」
義理の妹であるオリビアが弾んだ声で言った。
「役立たずで出来損ないのお姉様にはぴったりのお相手ね。だって、お姉様が死んでも誰も悲しまないもの」
(なんて……なんてひどい……!)
あざ笑う二人に、侍女たちは唇を噛む。
(フィーネ様、おかわいそうに……)
侍女たちは知らなかったのだ。
顔を俯け、静かにふるえるフィーネが、このとき何を考えていたのかを。
(ダメよ……まだ喜んではダメ……)
フィーネは思う。
(やっとこの家を出られる……! どれだけこのときを待っていたか……!)
フィーネは叫び出したいくらいの喜びを胸に、悲しいふりをして縁談の話を聞いていた。
本日あと数話更新予定です。
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