2話 中学校時代(僕)
Aが亡くなった後、中学3生までは安楽死制度に関してニュースで見るくらいで特に関りはなかった。
中学生になり、最初こそAが亡くなったことが話題になることがあったが、すぐに誰も話題にしなくなった。
Aの生きていた痕跡が消えつつある中、寂しさを感じていたが新しい生活への期待感はあった。
実際、中学時代のほとんどは僕にとって幸福なものだった。
部活は、Aのことがありなんとなくサッカー部に入るのは辞めて、バスケ部に入っていた。
学校の勉強は可もなく不可もない状態で、地元の進学に行けるかどうかのギリギリのラインにいた。
中学1、2年生の頃は、平日は(月、火、木、金に部活があった)、土日祝日も基本的に部活があった。
1年生の頃は、3年生の試合を応援しているだけだったが、夏以降は偶に試合に出させてもらっていた。
部活に明け暮れ、テスト前になるとテスト勉強をし、学校のイベントを適度に楽しみ、それなりに青春を謳歌していた。
3年生になり、部活に入ってない子や、元々、勉強をメインに頑張っていた子は本格的に受験生モードに入っていた。
一方で、僕は夏まで部活があり、勉強をやらなければならないと思いつつも、3年生という立場上部活を休みたくなかった。
そのため、中間テストは周りの頑張りがあったためか、平均くらいまで落ちてしまった。
このままでは志望校に行けないという焦りがあったが、私以上に落ち込んでいた子がいた。
それはBだった。
Bとは保育園の頃から一緒だったが友達というよりは、知り合いという距離感だった。
ただ、BはAと非常に仲が良く、Aが亡くなったことをクラスで知った時に泣き叫んだ子だった。
小学校の頃、Bの話題が一時期出ることがあった。
それは地元の中学校に行くのでなく、少し遠い私立の中高一貫の進学校に行くということだった。
そのため、Bとは違う中学になるのだと思っていたが、僕が地元の中学校に進学したときにBはいた。
中学に上がりたての頃は、Aの話題にインパクトのせいかBの話はあまり出なかったが、偶にBが中学受験に失敗したという話題が出た。
Bは小学4年生頃までは比較的明るい性格をしていて、クラスのムードメーカーというわけではないが、ムードメーカーであるAと一緒にクラスの空気を明るくしてくれることがあった。
しかし、小学4年生のある日から一気に暗くなったように思う。
その頃からBの小学校での成績は劇的に高くなっていた。
テストでは大体100点か、悪くて95点とかだった。
しかし、そんなBも中学に上がり、中1の中間テストでは5教科で400点程だったが、徐々に下がっていき、平均を大きく下回るようになっていたようだった。
性格もとても暗くなり、ぶつぶつと独り言を言うようになった。
そのため、周りは気味が悪く感じているようで、Bと距離を取る人が多かった。
しかし、BはAと仲が良かったので中学からどんどん暗くなっていく様子を僕は気にしていた。
そして、中学2年生のときのある日、帰り道にBを見かけたので声をかけた。
「B!最近暗いけど大丈夫か?」
「し、し、心配シテクレテアリガトウ」
「なんだよ、びっくりさせた?」
Bの喋り方が依然と全然違うことに僕はびっくりした。
「そ、そ、ソウジャナインダ。ヒトトハナスコトガヒサシブリダッタカラ」
「B、良ければ久しぶりに遊ばないか?」
「アソビタイ!ケド…、ベンキョウシナクチャイケナインダ。ゴメン、モウイクヨ」
そういうと、Bは走り去ってしまった。
BはAと仲が良かったので、そんなBに拒まれたことが、まるでAに拒まれたようなショックを受けた。
Bがとても精神的にきつい状況にあることを感じた。
あの頃のAになんとなく雰囲気が似ていた。
それから時が経ち、中学3年生の夏休みが終わったころだった。
Bは亡くなった。
違うクラスだったため、担任の教員からは直接聞いたわけではないが、そう言っていたらしい。
Aに続き、安楽死制度を利用したようだった。
僕は、なぜ皆が死にたがるのがよくわからなかった。
実感はなかったが、人はいずれ死ぬ。
それではダメなのだろうか?
生きることが辛いことであるという実感がなかった僕にはわからないことだった。