4話 傷つけた代償
洗面所から戻ってくると心底傷ついたような顔をした藤根さんが僕を睨む。
その目には涙が溜まっていた。
流石に今の行動が酷い事は僕にだってわかる。
手を握られて直ぐにその手を洗いに行かれたら、不潔扱いされたものと思い誰だって傷つくだろう。
「ごめん」
「……」
うう、無言の圧力がきつい……。
このままじゃやばいっ。
なんとか機嫌を直してもらわないと!
「こ、これは僕の意思じゃないんだ!」
「……」
「そ、そう!藤根さんのいう“ねこの能力”のせいかもしれないっ!」
「……じゃあ、信じるんですね?」
あ、しまった。最悪の回答をしてしまった気がする。
「えーと」
「……」
「はい……」
という答えしか見つからなかった。
「じゃあ、落書きの犯人探しを手伝ってくれますね?」
「え?なぜそうなるの?」
「あれは私達、“ねこの能力者”に対する挑戦状だからです」
「それ、思い込みじゃないの?」
藤根さんが自分の手を悲しそう見つめる。
で、こっちをちらちら。
それはさっき不潔扱いして傷いた心はまだ癒えていないぞ、という意思表示と手伝わないとまた雷撃とやらを食らわせるぞ、って二つの意味での脅しだね?
まあ、ここで断ったらお友達になることも難しくなりそうだしなぁ。
尾行する時点でちょっとアレな性格な気がしてたけど、実際、話してみて想像以上にアレな人だったけど、まだそれを十分補えるほどの美少女だ。
友達にはなりたい気持ちは変わらないし、ほんのちょっとだけど、もし本当に潔癖症が治る可能性があるならこのバカ話に付き合ってみてもいいかなと思った。
「わかったよ」
「本当に手伝ってくれます?」
「うん」
「本当の本当にです?」
「うんうん」
「実はあなたが犯人です?」
「うん、うん?ち、違うよっ」
藤根さんががっかりしたような顔をする。
「って、何ではめようとしてるんだよっ!」
「誘導尋問です」
「違うでしょ」
「それはそれとして」
「流しちゃうんだ」
「潔癖症治りませんでしたね」
「え?」
「もしかしたら能力者同時の接触で覚醒するのでは、と少し期待していたのです」
「はあ」
「一応確認ですが、時宗君は猫の夢を見たことがあります?」
「え?ないと思うよ。少なくとも覚えてはいないね」
「やはりそうですか」
「どういうこと?」
「ねこの能力に目覚めるとき、夢の中に猫が現れるのです。私の時も、ママのときもそうでした」
「そうなんだ。ちなみにお母さんも雷撃なの?」
「教えません。戦うときに不利になります」
「え?その8ねこの能力者“同士って戦うの?」
「冗談です」
いや、ちょっと本気っぽかったけど。
「ともかくです、夢に猫が出てきて能力が備わる場所に触れるのです。私の場合は右手でした」
「そうなんだ」
つまり、その右手だけ注意してればいいんだね。
さっきのが本当に能力なのかまだ信じてないけど。トリックの可能性だってあるしね。
「この能力があれば精密機器なんか一発で破壊できます。現に私はこの能力で携帯を破壊することに成功しました」
「誰の携帯?」
「……私のです」
「……それ、実は呪いじゃないの?」
「違います!」
あ、「電話したら」って言った時、引き攣った顔したのは携帯壊しちゃってたからか。
電話したくてもできなかったんじゃないか?
お母さんに壊したことまだ言ってないとか。
なんて考えていると、上の階で物音が聞こえた。
「あ、ママ帰って来たのかな?」
「そうじゃないかな」
「じゃあ、私帰ります。続きは明日にしましょう」
「わかったよ。あ、僕からもちょっといいかな?」
「なんですか?」
「今更言うのもなんだけど、僕と友達になってくれないかな?」
「……考えさせてください」
「あれ?」
ちょっと待ってよ!
まさかそう来るとは思わなかったんだけど!「別に付き合って」って言ったわけでもないのにっ。
「あの、協力するんだよ?そういう事一緒にするのは普通友達とだよね?」
「では何故聞いたのですか?」
……あ、そうかっ。
友達だと思ってなかったんですか!って言う意味であんなこと言ったんだ。
怒ってたんだ!
ごめんよ、藤根さ……。
「では、知り合いから始めましょう」
「え?……知り合い?」
「はい」
「あの、告白した時に『友達から始めよう』ってのは聞いた事あるけど、友達になろうで『知り合いからね』っていうのは初めて聞いたんだけど?」
「勉強になりましたね」
藤根さんに他意はなく、本気で言っていたようだ。
じゃあ、今までは一体なんだったんだろう?
……まあいいか。なんかどっと疲れたよ。
藤根さんが玄関で靴を履いたところで振り返った。
「どうしたの?何か忘れ物?」
「……上の音、結構聞こえますね」
「そうだね。このアパート古いし、壁薄いから」
藤根さんが真剣な目で僕を見る。
「……時宗君、今まで聞き耳立ててた、ってことないですよね?」
「そんなのしてないよっ!」
「それはつまり時々しかしていない、って事ですね?」
「そんな事一言も言ってないよ!勝手に僕の言葉おかしな方に補完しないでよっ!部屋の苦情は僕じゃなくて大家に言ってよ!」
で、次の朝。
僕は藤根さんと一緒に歩いて学校に向かっていた。
他所から見ればカップルに見えるかもしれない。
けど僕達はただの知り合いで、一緒に歩いているだけだ。
早く友達に昇格したいなぁ。
「“ねこの能力者”は“ねこの能力者”を呼び寄せるという話です」
どこか誇らしげな顔で“ねこの能力者”について話す藤根さん。
「そうなんだ」
「なんです、そのやる気のなさは?昨日、私達で犯人を探すと決めたはずですが?」
「でもさ、探すって言ったって全然情報足りないじゃないか。そもそもこの学校の生徒じゃないかもしれないし」
「いえ、犯人はこの学校の生徒に間違いないです。容疑者もすでに三人に絞っています」
「え、そうなの?」
正直、犯人探しは無理だと思ってたけど、そこまで絞込みが終わってるんだ。
ちょっと興味出てきたな。
藤根さんが容疑者と絞ったのは、
藤根さんと同じA組の天音琴海、僕と同じB組の白銀暦、そして時宗光。
「って、なんでまだ僕が容疑者に入ってるの?」
「まだ覚醒していないと嘘をついている可能性があります」
「いやいや、だったとしても僕の能力は<ねこの綺麗好き>なんでしょ?」
「その能力を使わないで実行した可能性もあります」
「あの、それじゃ、そもそも“ねこの能力”関係なくない?」
「と、とにかくっ、天音さんと白銀君を調べますっ」
顔を少し赤くして藤根さんは言った。
「わかったよ。天音さんと白銀、ね」
あまねことみ……あま ねこ とみ……あま 猫 とみ。
しろがねこよみ……しろが ねこ よみ……しろが 猫 よみ。
か。
「確かにこの二人にも”猫”いるね」
「犯人ではないとしても能力者である可能性が高いです」
「そうかな?他に猫がつく人いないの?三年生とか一年生とかに」
「知りません」
「知りません、って」
「私は転校してきたのです。同学年を調べるので精一杯です。そちらはあなたが調べるべきです」
「いや、僕も三年生や一年生に知り合いいないし」
「頼りになりませんね」
この言葉には流石にちょっとムッとしたよ。
「じゃあ、役に立たない僕はこれで……」
「また雷撃に襲われるかもしれませんよ」
「なんで人ごとのように言ってるのかな?」
「さあ、なぜでしょう?」
藤根さんは楽しそうに笑った。
僕はため息をつきながらも内心では楽しんでいた。