その2
「僕の汗‥‥ですか?」
「そうだ。お前の汗だ。私の前で威勢良く言っていた、お前の魔法の汗が必要なのだよ。」
僕の汗が必要ということは、怪我をしている誰かがいて、この展開的にその誰かとは、目の前の女の子なのだろうけれど、僕の汗を人に使ったことはない。
今までは「他人だって、使ってみればしっかり効くでしょ」みたいなノリだったが、いざこうして僕の汗を求められると、不安になり、なんだか恐縮してしまう。
そもそも、効果があろうとなかろうと、僕の汗がこんなに可愛らしい女の子の患部に届けられるビジュアルは想像を絶する。
しかし、地下の生活とおさらばできるチャンスを王様から与えられてる以上、やるしかない。効く効かないは後回しで、やる気のある姿勢をみせないと僕の命だってどうなるか分からない。僕はとらわれの身なのだ。
「分かりました。やります!」
「ちょ、ちょっとお父様!汗ってどういうこと?初対面で枕をぶつけといてアレだけど、コイツの汗で私になんかするっていうの?」
僕の精一杯の返事を遮るように、というかほぼ同じタイミングで女の子は王様にツッコミを入れる。
当然の反応である。見ず知らずの男の汗を治療だからといって「はいそうですか」と受け入れるような奴がこの国の王様の娘な訳がない。本来は白馬に乗った王子様が颯爽と駆けつけて、誓いのキスかなんかで治療するのであって、スラム育ちで地下の掃除がお似合いの僕が出る幕ではないのだ。
「アイリスよ。コイツの汗はどんなものも治すほどの治癒力があるらしい。そんなもの私だって疑っているが、このままではお前は死ぬのだぞ。コイツに賭けてみる気はないのか?」
「城のお医者様が私を診て、原因不明の不治の病だと言ったのよ?今更、こんな奴に治せるわけないじゃない!そもそも、治癒力の高い汗なんて意味が分からないわ!」
「あ、あの‥‥まるで僕の汗が効くことを前提にしてますが、他人に試したことなんてないですよ‥‥」
この女の子は不治の病だったのか‥‥、腕の骨折ぐらいの怪我だと思っていた僕としては、荷が重すぎるというか、余計に不安になってくる。まぁ、腕を骨折している人があんな勢いで枕を投げてくるはずはないけれど。
「お前はあの時、効くと思いますと言ったぞ‥‥それも嘘なのか?」
「いや、嘘という訳では‥‥ただ、治せる自信がなくて‥‥」
「だから待ってお父様!コイツは見る限り、スラムの出身なんでしょ?お父様の言うとおり、城に近づきたくて嘘をついたって可能性が高いでしょ?それなら、いますぐ‥‥‥」
3人が言いたいことを言い合う三つ巴の戦いが始まり、議論が長引くと思われたその時、女の子は突如言葉に詰まる。
それはあまりにも可哀想な僕への配慮が生まれた訳ではなく、父である王の姿を見たからだ。地に膝をつき、涙を浮かべ、娘に懇願する、父の姿を見たからだ。
「アイリス‥‥‥、お前が私より先に死んでしまったら、母さんに顔向けができん‥‥‥。可能性が少しでもあるのだから、試してくれ‥‥。私はお前を失いたくないのだ‥‥‥」
情けない、とまでは言わないが、王が娘のために涙を浮かべる世にも珍しい光景はなんだかプライベートを覗いているようでムズムズする。それが、僕達を地下送りにする判断を下す、冷酷な王なのだから尚更である。
なんだかここまで来たらもう戻れない気がする。国民達には秘密にしてたであろう病気のことを聞いてしまった以上、女の子がどんな結末を迎えようと「お前は知りすぎた」と言われ、僕は始末されるのではないか。
僕の頭に色々な考えが巡っている最中、しばらく沈黙していた女の子が口を開く。
「お父様、私には夢があったの。この病気の症状が激しくなって、王室に籠もったままの生活になってからは諦めてしまったけれど。」
「夢‥‥?」
「私は冒険に出たかったの。パーティーを組んで、世界は広いんだということを自分の目で確かめる。そんなハラハラするような冒険を私はしたかった。」
「お前にそんな夢があったなんて‥‥」
「言わなかっただけ。私は国王の娘だし、反対されることは分かってた。それに、病気が発覚したとき完全に諦めたわ。神様は私に外に飛び出すなと言ってるんだってね。」
「でも本当は、心のどこかで諦めがついていなかったみたい。さっき、コイツが、やります!って言ったとき私は少し期待しちゃったの。本当に治してくれるなら、冒険に出ることができるかもしれないって。」
アイリスはそう続け、その瞳はまっすぐ父親を見ている。父親もそれを真剣な表情で受け止めている。その間、僕は完全に蚊帳の外である。
アイリスがこれからどうなるのかは、ひとまずは僕の汗にかかっているので、僕は割と重要な位置にいるはずなのだが、僕のことは見えていないらしい。家族の会話、プライベートそのものである。
「ねぇ、お父様。私はコイツの汗を信用し、治療を受けるわ。そして、もし病気が治ったら、」
「冒険に出てもいい?」
「‥‥‥」
王は黙っている。
そりゃそうである。ものの数分間で話が飛躍しすぎだ。
そしてその話を僕の汗で病気が治ることを前提に進めるものだから大間違いである。
「‥‥分かった。お前が冒険に出たいという夢を持っていたことにまずは驚いたが、この年になっても自分の好きなこともできず、王室に籠もりっぱなしのお前を、私も可哀想に思っていからな。」
「城の者には私が伝えておく。アイリスよ、病気が治ったのなら行ってこい。冒険を許可する。」
あれれれれー?この家族は本当に急展開が好きなんだなぁ。こんな、感動する雰囲気の中、全ての責任が僕にのしかかってきたぞぉ。
スラムを出た頃はあんなにあった自分の能力への自信も、今はどこかへ行ってしまった。こんなことになるならば、地下で掃除する生活をしばらく続けておいたほうが良かったのではないだろうか。
「あぁ、それとお父様!」
まだ何かを付け足すように、女の子は話し出す。
これ以上の急展開なんて御免なのだが。
「コイツも私のパーティーに連れて行くわ。コイツ少し気に入っちゃったし。」
女の子の人差し指は僕をピンと指している。「コイツ」とは紛れもなく、僕のことである。急転直下、僕はどうやら気に入られたらしい。
「えええええええええ?」
「アイリスゥゥゥゥゥ?」僕と王は同じタイミングで驚く。
「そんなに驚く?だって、パーティーには回復役がつきものでしょ?まぁ、コイツの言うことが本当だったらの話だけどね。」
さっきまでのしんみりとした口調が嘘のように、笑いながらそんなことをいう女の子は、もうダメだ。手遅れだ。僕が絶対に病気を治せると思ってしまっている。