第1章 盗賊退治で汗をかけ! その1
僕がスラムで生活していたときの口癖として、「このスラムよりひどい環境はこの世にない。お前ら、このままここで一生を終えていいのか!!」なんてものがあったが、その度に友達には悲劇の主人公かよと笑われた。
地下に幽閉されて2週間が経過した今、その発言を訂正できるのなら今すぐにでもしたい。
18年過ごしたあのスラムでの日常が、四方八方を犯罪に取り囲まれていた日常が、ここでは霞んでしまう。
そんな僕は死んでしまいそうである。
長く使われていないため溜まりに溜まっていた埃を掃除し、経年により深く、黒くこびりついてしまった落ちる気配のない壁の血痕を毎日拭き続け、ゴキブリやネズミの死骸はゴロゴロ出てくる。
あちらこちらに散乱する骸骨にはすっかり慣れてしまった。骸骨に慣れるという、普通の生活をしているぶんには絶対できないであろう経験がここではできるのだ。
この過酷な労働をしている最中、本当に自分は大罪を犯し、牢屋に入れられてるのではないかと錯覚することがある。こんなものほぼ洗脳である。
まぁ確かに、王が目の前にいるあの場において、僕の汗は凄いんですと意味不明な供述をする僕もどうかしていたと思うし、逆の立場だった場合でも、僕だったらそんな奴、地下に幽閉しておく。スラムを出てから現実を顧みることなくノリと勢いで城まで来た僕だったが、地下に幽閉という分かりやすい結果が出ているのだからその行動は失敗だった。
ここでの生活では幸いにも食事は提供されるので、ここまで生き延びてはいるが、朝の6時に起こされ、夜の9時までの15時間をぶっ通しで作業させられ、やっとの思いで夜に一食だけご飯にありつけるという生活はもはや人間ではない。家畜だってもっといい生活をしているはずだ。
僕はふと考える。あの場において、僕の汗の能力を示すことができたのなら、幽閉なんてされなかっただろうか。
側近が腰に下げていたナイフを奪い取り、自分の体を刺した後、完全に治癒する僕の姿をみせていれば、地下に送られることはなかっただろうか。
現実的に考えるならば、いきなり腰のナイフを奪い取る奴なんて雇いたくないし、タイミングよく僕が汗をかけるとも限らないので、やらなくて正解だっただろうけれど、そもそもの話、僕の汗が未だに治癒力を持っているのか定かではない。
最後に汗を使ったのが、スラムのボスみたいな奴から金を盗んだ事がバレて捕まり、指を切り落とされたときなので、約1年ほど前になるのだが、僕の十余年連れ添ったその能力はそこで終わりを迎えているかもしれない。
どちらにせよ、僕は自分の汗の能力を確認せねばならない。まだ汗に治癒力があり怪我が治るのならばここから出してもらえるだろうし、すでに治癒力がなくなっているのなら、トラブルに巻き込まれやすい僕の事だからここで過ごしているほうがまだ長く生きられるだろう。
「どうするか‥‥」
毎晩、食事を届けに来る兵士には、もう一度チャンスをくれと頼み込んでいるが、まともに取り合ってもらえない。掃除だって終わりが見えないし、終わったからといって、はいお疲れさまと出してもらえるとは思えない。
やはり、今の僕に必要なのは怪我人だ。汗でそいつを治したのならば、僕は無事に地下から脱出できるし、治せないのならば、そこはキッパリ諦めて、ここで生きていくしかない。
スラムでは寝る前に「明日こそ、こんな所出てやる!」と心の中で唱えるのが日課だったが、ここでの僕も全く一緒だ。
「明日こそ、こんな所出てやる!」
僕は自分の未来を自分の汗に握られているこの世で一番滑稽な人間である。
「カイよ‥‥起きろ」
「は、はい!私カイは起きてます!今日も元気に掃除だ!」
声が聞こえると同時に僕は飛び起き、噛まずに言えるようになった台詞を昨日と同じように声に出す。僕の朝のルーティンだ。
「お前、2週間でここまで‥‥」
僕を哀れむような口調で聞き慣れない声が聞こえるので僕は慌てて後ろを振り向く。
「王様!?」
「そうだ。カイよ、お前には今日やってもらうことがある。その働きによってはお前を解放してやる。今すぐ外に出ろ。」
「ぼ、僕が外に?」
「一時的にだ。お前が私の期待にこたえられないのなら地下にまた戻ることとなる。一生な。」
「や、やります!一生懸命働きます!」
僕にとっては最高の知らせだ。安心するのはまだ早いが、解剖のチャンスがそこにある。絶対に掴まなくてはいけない。
僕は王に連れられ、地下を抜け、王宮内を歩く。
久しぶりの朝の日光は僕には眩しすぎるぐらいだ。
コツコツと階段を登り続け、僕のいる場所が確実に高くなっていく。何階かは分からないが、街の建物が小さく見える。僕はどこまで連れて行かれるのだろうか、そう思っていた矢先、扉の前に来た途端に王がピタッと歩みを止める。
「ここだ。この部屋だ。お前が扉を開けろ。」
「わ、分かりました。」
僕はドアノブに手をかける。
王様は僕の後ろに隠れるように回り込んでいる。扉の先の何かを警戒しているのか、僕のドアノブに置かれた手をジッと見ているのが分かる。猛獣か?猛獣でも出てくるのか?僕はそのまま硬直する。緊張のせいか、手に汗をかいているのが分かる。
「なんだ?開けないのか?そう言えばそのドアノブ、壊れていて扉が開きにくかったような‥‥」
「いや、大丈夫です。開けますよ。」
僕は覚悟を決めてドアノブを再度、力強く握る。
ガチャ
扉が開く
「ぐぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」
扉を開けた瞬間、中から白い何かが飛んできて、僕の顔面を直撃する。その衝撃で僕は後ろに吹っ飛ぶが、王様はそれをひらりとかわしたらしく、僕だけが廊下の壁に激突する。
相変わらず僕の顔にはなにが覆いかぶさっていて、前を見ることができない。助かったことに、それは柔らかい物体らしく、顔に痛みは感じない。むしろ、壁に激突した頭の方がギリギリと痛いぐらいだ。クンクンクンクン、それにこの何か、とてもいい匂いがするぞ。
僕が状況を整理できず、顔に何かを乗せた間抜けな格好のままでいると前方から声がしてくる。
「キャアアアアアアア!お父様かと思って枕を投げたら、知らない人じゃない!怪我はない!?」
枕?これは枕なのか。僕は枕を投げられたのか?枕を投げられただけで軽く2メートルは飛んだのか?間抜けもいいところだ。
「おいアイリス!私にだって枕は投げてはいけないぞ!」
困惑する僕に追い打ちをかけるように、聞いたことがないような王様の声が聞こえる。それこそ、娘に説教をする父親のような口調である。優しい声で、僕には話しかけるときとは大違いだ。
「な、なんとか大丈夫です‥‥」
心配してくれる声に答えようと、手でオッケーサインを出す。
僕は体を起こして、顔に覆いかぶさる枕をどかす。
「っ‥‥‥‥」
思わず息が止まる。
視界が良好となった僕の目には一人の女の子が映る。貧民の僕とは縁なんて全くないような、上品で可愛らしい女の子が立っている。まだ半分横たわったままの僕を心配そうな目で上から見下ろしてくれている。
サラサラとした金髪は腰まで届き、なんともファンシーな寝間着を身につけているその子のビジュアルは僕には刺激が強すぎる。思わず、目をそらし、横の王様の顔を見て安心する。
「大丈夫って‥‥‥大変!あなた、鼻血が出てるじゃない!」
鼻血?それは枕が硬かったせいだな。重りが入ったような硬い枕が僕の顔面に直撃したのだから鼻血なんて出て当然だ。別の理由なんか全くない。
「ふん。枕ごときで情けない奴だなカイよ。」
王は僕を見下すように言う。
「ともかく、コイツはアイリス。私の娘だ。」
鼻血に慌てる僕とアイリスをよそに、王による紹介が始まる。白い枕を赤で汚すことのないよう、手で防御する僕はひとまず考える。アイリスちゃんか?アイリスさんか?パッと見たところ、若そうであるが。いや、幼そうか?
「先ほどお前に言った、やってもらう事とはアイリスが関係している。」
情報と血の処理に追われる忙しい僕に構わず、王は、説明を続ける。急な展開に驚く僕だが、王様はもっと驚くことを言う。
「カイよ。お前のその汗が必要なのだ。」
!!!???僕はこの世界ができて以来、人類史上初めて発せられるであろうその台詞を、一国の王から聞くという経験をした。