インフルエンサー
「世界は私を見つめている。」
シンガポールの目印である大きなホテルの最上階で川原美智子はそう呟いた。
その言葉通り日本のみならず世界から注目を浴びている彼女はあるIT事業を成功させた名のあるキャリアウーマンであった。
彼女がある商品を大々的に褒めると多くの女性を始め世界中の人間がその商品を手に入れようとたとえ砂漠であっても走り回った。
そんな彼女を世界は「インフルエンサー」
とよんだ。
毎週末はシンガポールへ行き好きな男とカクテルを飲む。
「このカクテルも私が好きだと知ったら世界中で流行るわね。」
「あまり調子に乗らない方がいいぞ。」
隣に居た男は彼女に向けて忠告する。
「何を言っているの?私は世界の中心よ。調子に乗って何が悪いのよ?」
「だからこそ言っているんだ。」
「え?」
首を傾げる美智子に男は話を続ける。
「いいか?注目されているということは監視されているという事でもあるんだ。」
「どういうことなのよ?」
「今世界中であらゆる億万長者が逮捕されている。」
「初めて聞いたわ。その人たちは何をしたの?」
「脱税だ。」
静かに、けれども男は強く言った。まるで彼女を怯ませるかのような言い方で。
「なるほど…。で、それをどうして私に言ってきたの?」
「頭のキレる女だと聞いていたが…。キレるだけで柔らかくはないようだ。」
皮肉を言った男に美智子は怒りがこみ上げてきた。
「私をからかっているつもり?もういいわ。せっかくの週末が台無しよ。」
彼女はカクテルを机に置いたまま、席を立った。
怒りと焦りが混じりあった奇妙な感情を浄化するためテラスに寄って、東南アジアの風を浴びた。
「貴方もこっちへいらっしゃい。夜の風って良いものよ?」
「私は遊びに来たわけじゃない。単刀直入に言おう。私は税務官だ。貴様は去年の今頃から脱税をしている事が判明した。」
唐突な言葉に美智子は一瞬怯んだ。が、そうすると認めたことになってしまう。つまり相手の思うツボであった。
「な、なにを言っているの?!私はそんなことしてないわよ!!」
否定する美智子に税務官の男は追い打ちをかける。
「残念だかその下手な芝居は無必要だ。現在日本にある貴様の家に我々税務官が押しかけている。脱税した分の金が見つかるのも時間の問題だ。」
「あら…。上手く進めているじゃない。」
「ん…?」
彼女はいきなり余裕の表情を見せた。その表情は男を混乱の渦へ誘い、言葉を詰まらせた。
「私、固い男は嫌いじゃないわ…。」
「なんのつもりだ?」
「何も企んでいないわ…。どうせ帰国したら逮捕なんだから、ここでお話しようと思って…。」
相変わらず怪しい表情の彼女に男は警戒を怠らなかった。
「いいだろう。事情聴取はここで行う。」
「なぁに?それ?」
「え?」
「私が言ったのはお話しよ?こんないい所で事情聴取だなんて…。貴方、女性の扱いに慣れていなわね…。」
「なんだと…?」
それからどうなったのかは誰も分からない。二人はホテルの一室にこもり、シンガポールの朝を共に迎えた。
ただ、一つ言えることは彼女は帰国後、永遠に逮捕されることは無かった…。