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嘆きの聖女

嘆きの聖女

作者: 白藤うね

「聖女は国に繋ぎ止めておかなくてはならない。わかるね?君は私の最愛だ。それを忘れないでくれ」

「はい。殿下、愛しています」


重なる二人。

彼らが産まれたときからの許嫁で恋仲であったことは周知のこと。しかし、それでも、その絆より、積み重ねた時間より、彼女より、私なのだと愛を囁いたのは殿下だったはずだ。

片田舎の農家から聖女として引っ張り出されてきた孤児を憐れみ、尊び、身を引いて殿下を託したのは貴女だったはずだ。

殿下のなりふり構わぬ愛に絆されたし、苦渋の全てを飲み込んで実務を担う側妃として収まった彼女の想いに応えようと聖女としての自分を受け入れたのに。


なんだこれは。


殿下に一晩愛されると翌昼過ぎまで寝こけるはずの聖女がいま現れたのがそんなにおかしいかな。

広間で堂々と抱きしめ合いながらキスする二人を呆然と見やる私と、そんな聖女を愕然と眺める周囲の面々。あぁ、皆グルなのねと向けられた視線の意味を察した。


白けた世界で愛を確かめ合う二人が落ち着き周囲の異変に気付くまで、誰も声を発しなかった。場違いに陶酔した二人が覚めてはじめて時間が動き出す。

黙ったままの聖女に、二人は幼馴染の絆を持ち出して言い訳を並べ誤魔化そうと試みた。が、顔色一つ変えず黙ったまま見据える聖女に次第に開き直った。

曰く、聖女も幼馴染の公爵令嬢も愛している。

曰く、正妃も側妃も殿下の寵愛を受けることに不義も不義理もない。

曰く、二人で聖女を支えたい。

曰く、二人で殿下を支えましょう。


「「聖女(あなた)を大事に思っている」」


のだと。

上流階級の彼らにとって当たり前なのだろう一夫多妻(それ)を田舎娘の聖女は拒否したはずだ。私は私だけ愛してくれる男を愛したいから妃は辞退申し上げると、王子様に私は不相応だから貴女が身を引く必要はないと。

彼らは聖女を囲うために偽りの心を砕いた。国の思惑が絡み、彼らに選択肢はなかったのかもしれない。周りを抱き込んで聖女に偽りの夢を見せることが彼らの優しさだったのかもしれない。心中で捻り出す彼らへのフォローは半年務めた聖女業故か。

各地の人々を慮り祈りを捧げる聖女としての私が習性的に語彙をかき集めて二人を庇う語句を紡ぐけれど、虚しく胸の穴を通り抜けるのみ。


「…うそつき」


二人に砕いた心が零れ落ちるように頰が濡れていく。

こみ上げてくる吐き気を、鈍く痛む下腹部を、握りしめて叫んだ。


「こんな人の子供なんていらない!!」


身の内に宿ったのを感じて、愛おしくて嬉しくていち早く知らせたかった命が汚いもののように思えた。あんな汚い人の一部が私の腹の中に寄生しているのだと寒気がする。

騙されて、種を植えられたのだ。愛の行為は汚い儀式だったのだ。


「でてって!でてって!私も、あなたも、汚い!汚い!」


泣き叫んで、握り締めた下腹部を引っ掻いて殴りつける。宿った命に罪はないのに、拒まずにはいられなかった。

汚された。穢れた。私も、命も。

あなたはなにも悪くないのにごめんねと、叩きながら、泣き喚きながら、全部がぐちゃぐちゃになってまっくらになった。


その後私は離宮に押し込められ、嘆き暮らしながらも男の子を産み落とした。

聖女の苦痛は大地に伝播するとのことで、聖術による無痛分娩で意識すらないまま取り出され、私の精神状態を懸念し母子隔離。心因性か母乳すら出ない。母の意識も希薄なまま、聖女としての祈りを捧げることもできず、空腹や苦痛を受け入れて死ぬことも出来ず、泣くかただ息をして過ごしている。

床上げを終えて恐る恐る対面した息子は驚くほど私にそっくりで、はじめて精霊王の愛に触れた気がした。


聖女と精霊王が建てた国、その王家は精霊王の魂を繋ぐといわれている。王家は建国の聖女の生まれ変わりを娶り、聖女は精霊王の生まれ変わりである男児を産む。聖女と精霊王は義理の母子関係であったらしく、要するに精霊王がマザコンを拗らせて変なしきたりが続いているのだ。

精霊王は母たる聖女の祈りをよく聞き入れ、人として産まれると賢王として国を統治する。この生まれ変わりは二百年前後の間隔で起こっているらしい。


とにかく、私の心境を見透かしているのか息子に殿下の面影を欠片も感じさせないあたりにマザコンの真髄があるのだきっと。吃驚するほど息子に嫌悪感を抱けなかった。


「輝く黄金の瞳は紛れも無い王家の血筋ですわ!」


嬉しそうに言い放った年若いメイドをベテランが即座に引っ叩いた。イラっとした私の負の感情も一緒に弾き飛ばしてくれてありがたい。王家の直系に現れる輝く黄金の虹彩はすなわち王家の特徴ではなく、精霊王の特徴なのだと思い至ると特に不満はなかった。


「よしよし、偉いね。可愛いよ。…産まれてきてくれてありがと。ごめんね」


嘆いて、拒絶して、腹越しにたくさん叩いた。否定した。母失格の私の仕打ちに負けず無事産まれてきた。私のたったひとりの家族。


「ソロウ。あなたはソロウよ」


名前をつけて頰を撫でると、その小指を小さな小さな手でぎゅっと握られた。

こみ上げてきたまま、小さな小さな身体を抱きしめて咽び泣く。色んな感情の濁流のなかに腕に抱いた息子への愛が確かにあって心の底から安堵した。


聖女が産んだ精霊王たる王子の誕生は瞬く間に国中に知らされ人々は歓喜に湧いたという。祈りを捧げなくなった聖女が立派に務めを果たし、後々君臨する精霊王は国をより良く導いてくれるはずだと。


私にはよくわからない。母子で過ごすことを許されてから、夜泣きこそしないものの日中は他人を厭いひたすら母にしがみつきながら呻く抱っこ虫の甘ったれ我が子が人の上に立つだなんて想像できなかった。使用人たちに泣き虫母子と揶揄されているほどなのだ。

しかし、正妃を離宮に押し込め憂いなく睦み合っているだろうあの二人は看過出来なかったらしい。使用人達がやけにピリピリしているな、と首を傾げていると彼らの訪を告げられる。彼らの顔を見たくなくて紙袋を被った私に、メイド長は服喪用のベールのように目元を隠す厚いレースを差し出してくれた。


離宮の応接間に移り約一年ぶりとなる彼らを招くと、愛情に満ち満ちた臨月の妊婦とその旦那が堂々と入ってくるのだから笑えない。ソロウを抱く腕に力が篭る。彼らは憐憫の眼差しで堅苦しい挨拶を前置くと、揃って深く頭を下げた。曰く、いかに精霊王が偉大であれ人の国。今代のような悲劇を生むしきたりは廃すべきである。陛下は衰え、近く王子が戴冠するので新しい時代を幕開けるに相応しい時期がくると。

朗々と薄ら寒い気遣いを織り交ぜた言葉を端的に訳そう。すなわち、謝るから聖女も精霊王も大人しく出て行け、というのだ。黙って聞いている私と違って騒ぎだした使用人達を彼らは一喝し黙らせた。田舎の農民出の聖女には到底できない上流階級の仕草に溜息しかでない。ピリリとした室内で彼らの身勝手な要求に是と答えると使用人達から咎めの声が飛んだが、今度は私が片手を挙げて制した。


「聖女認定した少女を騙くらかして孕ませ、あげくの不貞で幸せいっぱいの殿下と側妃様。惨めな聖女と哀れな赤子はお望み通り去りましょう。

しかし今すぐになどと非道な要求はされませんよね。我が子は未だ乳飲み子。精霊王とはいえあまりにか弱き赤子を放逐するほど外道ではありませんものね。さすがに」


棘を多分に含ませながらソロウを見やると、彼らもソロウを見たのかひゅっと息を飲んだ音が聞こえた。

聖女そのものの色形の中でたった二つ睨むように薄く開いた瞼の間から煌々と輝く黄金。


「国祖たる精霊王との決別は御二方の独断なのでは?表沙汰にすれば国が割れますものね。…なので、あなた方のその腹の子が精霊王であると騙ることを聖女の私が許しましょう。

精霊王の国を乗っ取るのですからそれなりの代償は頂きます。詳細と妥結は五年後に。それで宜しいですね?」


つっかえながら対等ぶる聖女に思案顔の二人であったが、持ち帰って周囲と相談なさいなと一言添えてやれば割と素直に退き、後日了承の旨を伝えてきた。使用人情報網によると、かの二人は大御所や側近達にこっぴどく叱られ諫められたのだとか。そしてやはり臣下は王家派と精霊王派で割れたらしい。事が表沙汰でないから裏舞台の混乱で済んでいるのであって、民衆にまで漏れると国内大混乱となるだろうことは想像に難くない。

大変そうだなと対岸の火事を眺めることは叶わず、聖女付きの使用人の一部から一族の名代として追従の意を貰ってしまった。王国の貴族は古ければ古いほど精霊王への忠誠が厚いのだ。彼らと共に国を興し、爵位を与え、領地を預けたのは精霊王。永い歴史の中で何度も精霊王の再臨に侍りその様を子々孫々に伝えてきているのだから心酔は無理もない。古く由緒を重んじる一部の貴族にとっての王家は精霊王の御魂を繋ぐ栄誉を賜った臣下の一辺にすぎず、袂を分かつならばいっそ滅ぼしてやろうかと逸る声さえ漏れてくるほど。

私は聖女として精霊王の母として、古き良き行儀のよい紳士方である精霊王派のさらに王国離脱派という少数勢力がはっちゃけたあげく廃されてしまわないよう諫めながら巡る季節を過ごした。


そして、側妃に子が生まれた。女の子だった。


わざわざ伝えてくるソロウの異母妹の誕生に感じるのは虚しさ。本当に私は、聖女は、ただ囲うためだけに正妃に据え置かれたのだと知らしめられているようで。

心が軋むたびにソロウを抱きしめた。ソロウだけが私の不安定に荒れる心を凪いでくれる。けれど、生物学的には父親である王子に対しソロウを産ませてくれただけ感謝したいなんて殊勝な考えは一切ない。王子が最初から毅然と幼馴染を選んでいれば、私が私なりの恋愛と結婚ができていれば、ソロウには愛してくれる父親がいたはずなのだから。

王女では精霊王と名乗れないし性別でも偽るのだろうかと喧騒の端で首をかしげながらソロウを育んだ。


彼らなりに焦り、励んだのだろう。翌年は男の子を産み落とした。


いちいち伝えてくる二人目のソロウの異母弟妹の誕生の知らせに苛立ち悔しさをかみ殺してソロウを抱きしめる。拙く歩くソロウは精一杯の力で抱きしめ返してきて、不明瞭な喃語から初めて語句を紡いだ。


「あろーね、ご、めんしゃない。おめんなしゃい。そろのせい。かなしいの」


アローネ、と。ひさしぶりに呼ばれた私の名前。聖女とか正妃様やら肩書で呼ばれ慣れた私に、ソロウは名前を呼んでくれた。母とかママとか呼ばせるべきなのだろうけれど、そもそも誰も口にしていない母親の名前を赤子が知ってるのも変だけど、彼は偉大な精霊王。些末事は気にしてはいけないのだ。


「ソロウの所為じゃないよ。ソロウが謝ることなんてなんにもないよ。私はソロウが産まれてきてくれて嬉しい。大好きよソロウ」


ちゃんとしたお父さんがいなくてごめんね、兄妹もつくってあげられなくてごめんね。そう言って懺悔を返せばソロウは首を振った。


「なーない、なーない。あろーね、いればいい」


マザコンだ。

さすが賢王を冠する予定の精霊王。自我の芽生えたソロウの成長は著しく、あっというまに年月が過ぎる中めきめきとあらゆる面の力をつけていった。


そして、五歳で密約締結の交渉をこなしてみせた。


聖女付きの使用人たちと荷物を纏めながら私はスパダリ否スパサムである息子ソロウの締結した条約を思い起こす。ソロウは王家に辺境の田舎の領地を割譲させ、税を免除させ、自身を公爵位と定めさせた。細かいことは難しく理解が追いつかないが、ベテランメイドの解釈によると国と名乗らぬ国を手にしたようなものなのだと。周辺国の対応を王国に丸投げしながら自然豊かな片田舎をのんびり開墾していく不干渉と無税の安穏スタイルと、王国内に精霊王派を残しておくことで王国からの便宜を図らせつつ根を張っておく不穏スタイルを併せ持つ万能密約が出来上がったのだとか。

出産以降心身衰弱していた聖女を僻地の貴族に下賜し、精霊王は第二子を死産した側妃預かりとなって、聖女は静養しながら引き受け先の子供と母子の絆を育むことになっている。

実際には側妃は死産していないし、私が世話する引き受け先の子供はもちろんソロウで実子なのだけど。つまりは精霊王の名を騙らせるにあたる方便でこんなことになった。こんがらがるので私は取り合えず外野と関わらず情報操作には下手に加わらないでいようと決めたのだった。


使用人のほとんどは配置換えやら帰郷やらで別れ、ベテランメイドを含む幾人かと共に新天地へ向かう。荷物と人員を合わせて五台となった馬車が多いかも少ないかも判断はつかないが、見送りは別れる使用人たちのみ。いざ乗り込んで出発、という段階になって煌びやかで仰々しい一行が見送りに参じた。

人波が分かたれ、現れたのは元夫の現王と元側妃の王妃…と王女と王子。王国の頂点の夫妻は、事態を飲み込めなくて馬車に足をかけたままの私に並んで頭を下げた。


「聖女アローネ。事実を伏せて貴女を娶り、手酷く裏切る形になってしまったこと、望まぬ子を身籠らせてしまったこと。そして此度の移居。その全てを今一度謝罪させてもらう。すまなかった」

「私も謝らせてください。貴女に陛下を託し、実務のみの側妃として貴女を支えると誓いながら想いを留めること叶わず貴女を裏切ることになってしまいました。あの日の…貴女の、精霊王を身籠った貴女の泣き崩れる姿に、自分の愚かさを、どれだけ貴女を傷つけたのか思い知って…本当にごめんなさい」


言葉に嘘はないはず。彼らは彼らなりに誠心誠意の謝罪をしている。王妃なんて泣いているじゃないか。…第三者ならばそう素直に受け止められただろう。彼らの謝罪を受け入れただろう。けれど性格のひん曲がった聖女は狭量で、とてもじゃないが頷いてあげられそうにない。

呆れたような冷めた目で王一行を見ているソロウが気遣うように私に目配せをした。追い払おうか?と問うその視線に首を振って己を奮い立たせる。人生を挫かれ嘆いた六年、この王家との離別に合わせてうじうじした自分とも決別したい、否、決別するのだと。


「私は貴方がたを決して許しはしないけれど、貴方がたへの悪感情に囚われたまま生きる気もありません。あと、ソロウは望まぬ子ではありません。望まれて宿り有頂天になった私を貴方がたが叩き落しただけなのでそこは履き違えないでください。

それと、裏切る()()()()()()のではなく裏切ったのです。貴方がたはさも他人事の不可抗力のように話されますが、私を丸め込んだのも掌を返したのも貴方がた自身であることを忘れないで。国のためと割り切って人の人生を采配しておきながら、身勝手な感情で人の心を傷つけないでください。今までお世話になりました。二度と会うことはないでしょう」


彼らには囲われていただけだが、衣食住の世話になっていたのは事実。早々に追い出されていてはソロウを無事に育てられていたかどうか。その一点だけに深く頭を下げた。

未だ胸に澱む濁った感情も一緒に吐き出すように深く深く息を吐く。仰々しく近衛を割って現れた一家、のうのうと連れてきた二人の子供、睦まじく寄り添って謝罪するその様のすべてが私の脇を空滑りしていった。もう終わり、関わらない、全部置いていくのだと祈るように念じて上体を起こし掌を握りしめる。聖女と名乗った身として感情を高ぶらせヒステリックに蟠りをぶつけるような真似だけはしたくない。それは聖女としての私の最後の矜持だった。


「ねぇ、かあさま。なげきのせいじょさまはどうしても兄さまをつれていってしまうの?」

「え、ええ。あなたの兄さまの母は聖女様だもの。母と子を引き離しては可哀想でしょう」


哀れまれた。違うこれは幼子に柔く説いているだけ。悪意はない。


「でも、なげきのせいじょさまは祈らないしかあさまのようなお仕事もできないからお城を追い出されるのでしょう?兄さまは何もわるくないのに…」

「だ、誰がそのようなことを!そのような事情ではないのです!」


これは幼子が使用人の噂話を耳にして鵜呑みにしているだけ。彼らは幼いから事情を知らされていないだけ。仕方ないことだ。わかってるから、わかっているからはやく茶番を終わらせてほしい。


「ちちうえ、せいじょさまがにいさまをつれていってしまうから僕がにいさまのふりをしなければならないの?」

「そうではない!そうではないのだ…」


握りしめた手も、肩も震えてしまう。唇を噛みしめても涙が零れてしまう。

嘆きの聖女だなんて、もう聖女でも何でもないではないか。ソロウの輝かしい未来を奪う悪の__


「アローネ」


情けなくも五歳の息子に名を呼ばれ、振り向きざまに抱きしめられ安堵に腰が抜けてしまった。王家に背を向け座り込む私の頭を胸に押し付けてソロウはよしよしと母の頭を撫でた。


「よくお聞き我が弟妹よ。我らの父は我が母アローネのみを愛すると誓って娶ったけれど、オレがアローネの腹に宿った日にそなたらの母との不貞が明るみになった。深く傷ついたアローネは祈るどころではなくなってしまった」


父母の醜聞を平気で聞かせるソロウに王と王妃は狼狽し静止を求めるが、鋭く煌めく黄金色の双眸が一瞥するだけで彼らは口籠る。


「傷心のアローネを早々に離宮に押し込めた挙句、オレを産ませて一月経つと聖女も精霊王も王国にいらぬと言い放った。…よく覚えているよ。

アローネは俺と国を守るため五年の猶予と精霊王の差し替えを提示した。つまり今日のオレとアローネの出立は王国との取り決めだ。異母弟がオレのふりをさせられるのは精霊王の庇護を放棄した王室の意向を隠蔽するためだよ。国が荒れるからな。

理解できなくても、飲み込めなくても、覚えておけ。アローネに落ち度はない。アローネを貶めることは許さない。いいな?」


疑問符を浮かべながらも神妙に頷いた異母弟妹に頷き、ソロウは私の肩を軽く叩いて馬車に乗るよう促した。ひらりと先に乗り込み、手を差し出してくる小さな精霊王に応えるため立ち上がってその手を取る。


「では、さようなら」


最後に告げると、王の表情が歪んだ。二心はあったにせよ本当に一応は愛してくれてたのかなと思うやさっと王に王妃が寄り添い、私はソロウに強く手を引かれ視界を塞がれた。すぐに馬車がゆっくりと動き出す。


「アローネ。あいつらのことは忘れてオレと幸せに暮らすんだよ」


拗ねたような声色に苦笑が漏れる。オレと、っていっても二人きりじゃない。慕ってついてきてくれたみんなとまったり暮らしていくのだ。


「…王様と王妃様に『これから起こる些細な苦労も不幸も私の恨みと思ってお過ごしください』って言ってやろうって、一生懸命考えた台詞なのに言えなかった」

「いいじゃないか。あいつら苦労するよ?オレの加護なしで、オレが治めるはずだった国難がこれから目白押しに押し寄せてくるんだ。今後十年で凶作と水害と疫病は確定、うまくやんなきゃ飢饉と暴動が追加で下手すりゃ弱り目に祟り目で東西から侵攻される。役目を放棄した王の瞳は徐々に輝きを失い、異母弟は王妃譲りの空色の瞳でどう立ち回るだろうな?異母弟(あいつ)だけはほんとかわいそー」


あーれーるーでー、止めてみなぁ!とケラケラ笑うソロウは仕草のひとつ表情ひとつにも父方遺伝子を感じさせない。このマザコンのスパサムっぷりには本当に救われるばかりだ。

馬車は街道を走り、王都は徐々に小さく遠ざかっていく。消し炭の恋も、膿んだ痛みも全部全部王都の影に重ねて、やがて見えなくなった。





幸せだな。


ソロウは土にまみれてジャガイモと戦うアローネを眺めながら頬を緩めた。

力をもって生まれたがために精霊でありながら感情と確かな自我を持ち、いつしか精霊王と呼びだした人共の営みに興味を抱いた。そして一人の女の魂に顕現の印を刻んで人間界に転がり込んでみた。迫害から逃れ彷徨っていたらしい妙齢の女は己の境遇も顧みず、戯れに顕現してみただけの突拍子もなく目前に現れた見ず知らずの幼児の世話を焼いてきた。顕現してしまえば用済みな女など放っておけばいいのにやたら献身的に尽くしてくるのでなんとなく離れがたく、しかたなくそばにいて、しょうがなく助けてやり、なんだかんだしているうちに多くの人に囲まれ小さな国を興すに至る。

老いた女はオレを国王として据え置いた後も惜しみない親愛の情を注ぐものだから、オレもすっかり絆されてしまって女を慕ってしまっていた。


「もし生まれ変われるなら、平和な国で素敵な恋をして、今度こそ結婚をして。あなたと本当の母子になってみたいものね」


そんなことを願われたら叶えずにはいられないではないか。

今生を終えた女を見送ったあと、女の望んだ平和な国となるよう王城から国境線を遠ざけて人員を配し、女の語った寝物語になぞらえて女が王子との素敵な恋とやらができるよう女を特に慕っていた男の娘を娶り転生の印をその血脈に刻んだ。

老いた肉体を放棄して精霊界に還る。やがて女が転生し夢見た素敵な恋とやらをオレの子孫としている様子を眺めながら、血脈の刻印と顕現の印を伝って女の腹に潜り込んで本当の母子とやらになってやった。


「産まれてきてくれてありがとう。大好きよ」


記憶もなく姿かたちも変わってしまっているのに、その魂の色もオレを見つめる瞳の柔らかさも何一つ変わらない。女の愛情はオレに渇望の呪いでもかけているというのか、オレはそれを求めずにはいられなくなってしまった。


「大好きよ。またあなたの母親になれたらいいのに」


言われなくても。任せろ。もちろんだと何度も女の願いを叶え輪廻を巡った。しかし、次第にオレの望みは女の願いと乖離をしはじめる。産道を通るのをやめた。乳を食むのをやめた。母と呼ぶのをやめた。女がオレとの子孫と素敵な恋とやらをするさまがなぜか非常に面白くない。


そしてついに、子孫が女の心を嬲った。


潮時だ。腹越しに伝わってくる女の苦しみを味わいながら子孫を心中で切り捨てる。血脈の刻印はオレが産まれるまでの単発印(インスタント)、オレが王室から去れば終わりだ。人としての精霊王の肉体は紛れもないただの人の肉体。精霊王の遺伝子なんてものは存在しないのでオレが新たに血脈の刻印を注がない以上王室は凡庸な人間の一族と変わりない。


「ソロウ!大根が抜けない!!」


かつて煌びやかな恋を夢見た女は土塗れになって生き生きとしている。寄り添って大根を抜くのに手を貸してやりながら小さくなった身体を抱きしめた。


「もう!こーんなにおっきくなってもまだまだ甘えん坊なのね。折角のイケメンなのに結婚できないわよ!」


見上げていたアローネを見下ろすようになると、アローネは部品は一緒なのになぜこんな顔面格差が!と悪態をついてくるようになった。可愛いと賛じることをやめ、カッコイイさすが私の息子!と鼻息荒く褒めそやす。老けてもどこか幼いその心を甘やかすけれど、向けられるのは母子の親愛で。満たされながらもやはり足りない。


「アローネは結婚しないのー?いっそオレと結婚するー?」


息子とは結婚できないわと一笑にふされてついむっとしてしまうオレに、アローネはからからと笑いながらこのマザコンと言い放つ。


「もし生まれ変わったら、あなたに恋をするかもね」


冗談だとわかっていても心が震えた。今この瞬間にでも世界が滅んであんたもオレも今すぐ死んでしまえばいい。そして生まれ変わるあんたを探し出したい。ああ、オレはこの女に恋をしているのだとようやく気が付いた。


「でも聖女の魂は産まれ直しても聖女だものね。ってことは私は生まれ変わっても王家に娶られてソロウの母親になるのかしら?それはそれでいいけど、ん!?私は自分の子孫と結婚してるの!?ひゃー!」

「…あの飢饉を、水害を、内乱を放置しておけば…くそっ異母弟を助けられないかなんてアローネが言うから…こうなったらいっそ…」

「なにぶつぶつと空恐ろしいこと言ってるの!ソロウ!ねぇ私、自分の子孫と結婚してるの?何度も?これからも?それって大丈夫なの!?」

「ん?魂に血のつながりはないし、アローネの肉体(うつわ)には王家の血は一滴も入ってないから近親婚でも何でもないよ。それにオレが産まれてる今、王家は精霊王と縁が切れてる。王家が今後血の力を使って聖女を見つけ出したりはできないし、あいつらが聖女を娶るしきたりを残すとも思えない。オレも還ったらアローネが聖女として持て囃されないように力の使い方に気を付ける。…アローネはもう自由だよ」


嘘だ。オレが刻んだ顕現の印は消さない。心身まっさらに産まれ直すアローネと違って、肉体を乗りなおして精霊王を生き続けるオレはあんたを絶対に見失わない。


「自由ねえ。私は私の人生を生きているだけだから実感ないわ。でも、来世でソロウに会えないかもしれないのは寂しいな。記憶がなくても、覚えてなくても、そこにあなたがいればきっと私は幸せなのに」


経験したことのない歓喜がオレの胸を襲った。息が詰まって苦しい。影響を受けた肉体(うつわ)がどくどくと狂ったように血を駆けらせ、制御が緩んだのか腕が勝手に振動している。呼吸がうまくできない。アローネを抱きしめる腕が緊縮したのか、思ってもいない力で締め上げてしまいアローネが蛙が潰れたような声を発した。


「…ほんとオレのこと大好きだよね」


あんたは。本当に。何度生まれ変わっても、その魂の色もオレを見つめる瞳の柔らかさもその何一つが変わらない。


「そうね、大好きよ。きっと何度生まれ変わっても」


変えてみせる。

アローネが輪廻に還ったら俺も精霊界に還ろう。血脈の印がなくてもあんたを追っかけて、捕まえて、振り向かせてやる。その瞳を憧れの王子様とやらに向けた色に染めてやる。


もう二度と、この世界に嘆きの聖女なんて現れない。

突き落として拾い上げるスタイル(笑)

スーパーダーリン略してスパダリ、スーパーサンは略すとスパサンのはずなのですがサムとなっているのは語呂の良さと作者の聖女のおばか具合からです。すみません。書き終わって気付きました。


読んでいただきありがとうございました。


1/22 番外編を掲載しました。作品一覧の短編番外まとめにからご覧いただければ幸いです。

https://ncode.syosetu.com/n5923fg/1/

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[良い点] 異母弟は別れる時に言われた言葉を成長したのちちゃんと理解しただろうから自分の血統がどれだけ薄汚く汚濁にまみれたものか理解しちゃっているだろうから水害の時助けられて微妙な気分になったんだろう…
[良い点] 聖女ちゃんが王妃になっていれば、国内外問わずファンができただろうな、と思う、前向きで素直で一生懸命で可愛らしい娘さんだった。 怒りと絶望をもたらせ歪めた王子さんたちの罪は底無しだったなと、…
[一言] ども、ランヤード田中です。さて、聖女を裏切った塵屑どもは王族含めて全てあの世に逝って滅んでしまえば良い。塵王子とその家族も生きているうちに地獄を味わってそれを称える国民の全ても一人残らずあの…
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