第七十一話 孤児院院長グラファー
レヴァラス孤児院院長であるグラファーは今年で53才となり、身長165cmと背は低めであるのに体重は80kgを超える肥満体である。美食を好み、ワインや蒸留酒などの飲酒もこよなく愛しており専属の医師からは減量を勧められてはいるが全く受け入れるつもりもない。
彼は元々子爵家の次男であったが非常に優秀で容姿も優れた長男と常に比較され、陰ながら貶され続けていたため生来の臆病な性格から卑屈な性格へと移行しつつあった。そしてそんな彼を見かねた叔父が天神教の幹部であったことから口利きをしてもらい、23歳の時に天神教に入信することとなる。
特別優秀なわけではなかったが、叔父の協力に加え上司の機嫌を取ることに関しては才能があったのかトントン拍子に昇進していき、やがて42歳になる頃には天神教の幹部候補にまでのし上がっていた。天神教の幹部になる上で孤児院の院長を数年勤めることが通例となっており、彼は43歳でレヴァラス孤児院の院長に就任したのだ。いずれ院長を辞して天神教に戻る際に手柄を立てておくことは幹部になる上でも重要なことと彼は考え、孤児院のやり方を彼独自のものに刷新していくこととなる。
無駄な出費を抑え、子らの衣服を一段階質の低いものにし、食事も栄養失調にはならない程度に二段階落とす。そして収容人数自体も減らし、収容する子自体も能力の高いもの、異能力を持つもの、見目の良いものといった篩にかけ厳選していった。そして育った子は『出荷』から3週間ほど前より待遇を良くすることで更に高く売れるように気を遣う。こうした『改善策』により得られた裏金は一部を自分達のものとし、残りは天神教への上納金として納めていく。この10年彼はこうして天神教における地位を高め続けてきたのだ。
そんな彼は孤児院の特別室で上機嫌に食事をとり、高級なワインを飲みながら副院長と二人で談笑をしていた。
「前回からそれほど時間も経っていないのにまたあの巫女が視察に来てくれるとは思わなかったな、ルインよ」
「そうですな、他にも4つの孤児院がある中で立て続けに2度も同じこのレヴァラスを選ばれるからにはよほどの理由があるのかと」
副院長であるルインが微笑しながら答える。
「それほどまでにこのレヴァラスが気に入ったということかのぅ、わっははは、悪い気はせぬな」
「何せここは孤児院の中でも随一の規模と優秀な子供達、そして優秀な職員がいますからな。最初に見てしまうと他の孤児院など見る気も起きないというものでしょう」
「ふははは、それはそれで他の孤児院には悪いことをしたのう。あの天神の巫女を独り占めしてしまってるわけだからな」
「あの分だと入信される日もそう遠くはないかもしれません。引き続き勧誘に力を入れて参りましょう」
「そうだな、そうなればあのフェリクス枢機卿の覚えも更に良くなるだろう。そして運が良ければあの……綺麗な手で……私に施しを与えてくれるかもしれん」
ここで急にグラファーの目の焦点が合わなくなり、恍惚とした表情になる。
「そ、そうですな。あの美しく優しい巫女であればグラファー様に施しを頂けるかもしれませんな」
「ああ、そうだ……。あの女が良い。あの年齢でありながらなぜこうまで惹かれるのかわからんが、あの女の施しが私は欲しい」
また例の悪い癖が出たとルインが呆れながらも調子を合わせる。巫女はグラファーの好む年齢ではないはずだが、何かが彼の琴線に触れてしまったのだろう。下手に藪を突いて機嫌を損ねてはたまらない。ちょうど食事も終わったところだしこの辺で自室に戻ることを決めた。
「大変申し訳ありません、グラファー様。私は残った書類を片付けなくてはなりませんのでお先に失礼させていただきます」
「……ん?おお、そうか。根を詰め過ぎんようにな」
まだぼうっとしているグラファーがルインの退室を一声かけて見送る。そしておもむろに立ち上がったグラファーは鐘を鳴らし、間もなくやってきた従者に用件を伝え、下がらせた。
そして10分後に従者が12歳程の少女を連れて特別室に戻ってくる。少女は孤児の一人のようで小奇麗な服を着ており栄養も十分に取れているようだが表情は暗い。
「おお、やっと来たか。お前は下がっていろ」
グラファーは嬉しそうに少女を迎え、従者を退室される。そして少女に棚から取り出したあるものを手渡した。
「さぁ、いつものように頼むぞ」
口は笑っているのに目は笑っていないグラファーに促され、目の前に立つ彼に向かいあるものを振り上げる。
バシィッ!
「はああっ!」
そう、少女は渡された『鞭』をグラファーに叩きつけたのだ。鞭と言っても先端が10本程に分かれており、音は大きいが怪我そのものは決して深いものにはならないように調整されたものである。そしてグラファー自身も薄手ではあるものの、衣服を着ているため跡が残るようなことも無い。
「もっと、もっとだ!」
バシィッ!ビシィッ!バシィッ!
「ああ、お姉さま、お許しください!この愚かな私めをどうか!ああっ!」
立て続けに少女が鞭を振るうとグラファーが恍惚とした表情で訳の分からないことを叫びだす。その後も少女は乞われるままに鞭を振るい続け、ようやくグラファーが満足したところで解放され寝室へと戻されていった。最初から最後まで少女は一言も発せず、目から光が消え失せていた。
この一連の流れはグラファーが院長として就任してから2年後に始まった。元々グラファーにはギネヴィアという名の優秀な姉がいて、小さい頃から不出来な弟であるグラファーを折檻していたのだ。嗜虐趣味のあるギネヴィアはよく鞭を用いてグラファーを叩き、泣き叫ぶ弟を見ては嬉しそうに笑っていた。
最初は本当に嫌がっていたグラファーだが、数年後には寧ろ喜びを覚えるようになり、ギネヴィアが15才の時に結婚して家を出て行ってしまった時はどうしようもない喪失感に苛まれた。数年経つ頃にはそれも思い出となっていたのだが、院長として働くことのストレスが溜まり、衝動的に粗相をした孤児を叩いてしまった。その時にギネヴィアに鞭打たれたことを思い出し、やがて少女に自分を鞭打たせるようになるまでにはそれほど時間はかからなかった。
今では1週間に2,3回ほど『出荷』が近い見目の良い少女に自らを鞭打たせることが習慣となっていた。少女自身は特に傷つけられるわけではないが、祖父でもおかしくない年齢の男を訳も分からず週に何度も鞭打たされ続ければ心に傷がつかないわけが無い。一部を除いでグラファーの標的となった少女は心を閉ざす結果となっていた。ごく少数ではあるが嗜虐趣味に目覚める者もいたが、それが少女にとって幸せなことなのか否かは神のみぞ知ることだろう……。
そんな光景を陰から黙って見ている小柄な獣人の少女がいた。ミリューである。この数日間でミリューは孤児の売買契約書に裏帳簿、そして普段の些末な食事など様々な証拠を集め続けていたが、最後にこの特別室での所業を観察していた。
その手の知識を殆ど持たないミリューからすれば何の理由でこんなことをしているのか意味が分からなかったが、分からないなりに醜悪極まりなく酷く歪な行為だということは理解できていた。
「……吐き気がする」
どうしようもない嫌悪感と嘔気を何とか堪え、ミリューはその場を音もなく後にした。




