第三十一話 シド
ケフィカ・アーガイル。アーガイル侯爵家の長男である。リファは知る由もないが、以前リファに絡んだ件でハミルトン家の怒りを買い、アーガイル家当主から廃嫡処分を受けた、とされている。実際にはアーガイル家に圧力がかかった時点では謹慎処分のみであったのだが、ケフィカは一切自分の非を認めず逆に自分を守ろうとしなかった当主に対し不満と怒りしか覚えなかった。
これまで常に自分は褒め称えられるべき存在であり、望むものは他人を害してでも手に入れ、その結果周囲に与える影響など一顧だにせずに過ごしてきたのだ。そんなケフィカが大人しく謹慎するはずなどなく、早々に家を脱走し飲み屋街で飲み明け暮れ、更に娼館で女を貪る日々を漫然と続けていたためいよいよ当主の逆鱗に触れ、廃嫡に至ることになる。
廃嫡のみならずアーガイル家からの除名も、という声が上がったが、母親の懇願により辛うじて領軍に五年間無給で務めることを条件に名前を残すことを許された。廃嫡に加え情けを掛けられるというかつてないほどの屈辱を味あわされたケフィカは事の発端であるリファとハミルトン家に対し日々恨みを積み重ねていたが、そこに接触してきた者がいた。シドという名の短い黒髪に細目の長身痩躯の男だ。
「ケフィカ様、あなたの経歴に泥を塗った連中を破滅させたいと思いませんか?」
「……なんだと!?」
「疑うのは無理もありませんが、まずはこちらを御覧ください」
男が懐から出したものはレジェンディア王国のゲゼル伯爵家からの書状だった。捺印は間違いなく本物に見えたので慌てて読み進めると、薬師のリファをレジェンディアに送る手引きをすればケフィカをレジェンディアの子爵嫡男としての待遇で迎える、というものであった。更にリファを捕らえた暁には一夜ケフィカに預け、目立った損傷を与えなければ好きに扱ってよいという条件まで付記してあったのだ。なぜそこまでリファを欲しがるのかはわからないが、『天上の癒し手』とまで噂される薬師だ、何か自分が知らない秘密があると考えるのが自然だろう。
あまりにうますぎる条件なのは薄々気が付いてはいたが、現状グランマミエにいては出世の可能性は絶たれたに等しい。仮に全てうまくはいかないにしても、あの見目だけは良いリファを辱めるだけでも溜飲は下げられる。そしてレジェンディアにさえ渡ってしまえばまた一からやり直すことも可能だ。そう考えてケフィカはシドと手を組むことにしたのだ。
それから時間をかけて数々の仕込みを行い、ついに今日作戦が開始された。邪魔な薬師を食中毒で欠勤させ、残る一人は毒を盛った騎士達の治療にあてさせる。更にリファの護衛は隔離し、用意しておいた暗殺者に始末させる。
そして今、リファは一人でケフィカの前に立たされていた……。
「今どんな気分だ、『天上の癒し手』?」
「その呼び名はやめて下さい。私には過ぎた名です」
「ふざけるな!!何が天上だ!高貴なる俺の名誉に泥を塗ったお前らが何で褒め称えられてんだよ!」
「泥って……何のお話ですか」
「ああ!?お前にちょっと掴みかかった位で切れたハワードがアーガイル家に圧力をかけたんだろうが!そのせいで俺は廃嫡されたんだ!この俺が!たかが平民のお前のせいで!」
「そ……それは知りませんでした。申し訳ないとは思いますが、」
「申し訳ない!?はっ……じゃあ責任取って貰おうか。俺と一緒にレジェンディアに来い」
「……!?レジェンディアに……ですか?何のために?」
「レジェンディアの伯爵家がお前を所望だそうだ。お前を連れてけば俺も子爵家に入れるんだよ。ククッ……それも嫡男待遇でだ」
「……あなたの境遇には同情しますが、お断りします。私はハミルトン家の客人ですからレジェンディアには行けません」
「まぁ、そう言うだろうとは思ってたよ。だぁからまずはお前を『調教』してから連れていくことにする。一晩お前を好きにしていいと言われてるんでなぁ」
「…………ッ!?…………」
ケフィカが今まで見たことのないような歪んでいてかつ嫌らしい笑みを浮かべ近づいてきた。あまりの怖気に冷や汗で背中が冷たくなり、全身が小刻みに震え始める。まだドアの向こうでの剣戟音は続いておりレイナの加勢は期待できそうにない……自分でどうにかする以外なさそうだ。
大きく息を吐いた後にしっかりと歯を噛み締めて、覚悟を決める。そして精神を集中し自身に天神の加護で身体強化をかける準備をする。後はタイミングを待つだけだ。今まで学んできたことを思い出せ。ケフィカから一瞬たりとも目を離すな。
「大人しくしていればそう乱暴にはしない。良い思いもさせてやるぞ?……なっ……痛ぅっ……!!」
ケフィカが右腕を無造作に突き出してきたので一気に身体強化を発動し、腕を両手で掴み、素早く手三里を思い切り押し込む。思わぬ激痛にケフィカが僕の手を払い、距離を取ろうとする。ここしかないと判断し、懐に飛び込み右足の甲で股間を全力で蹴り上げる!
「…………ぐあっ!……あっ……が……」
あまりの激痛にケフィカはうつ伏せに倒れた後にのたうち回り、10秒ほど暴れた後泡を吹いて気絶した……。注意深く観察して完全に気を失っているのを確認し、ほっと息を付いた。その時、ゾッとするほど冷たい声が耳を打った。
「いやはや、予想以上の小物でしたねぇ」
慌てて声の聞こえてきた方向を見ると、黒髪で細い目の男がそこに立っていた。確かにさっきまで誰もいなかったはずなのに。
「……あなたは誰ですか?」
「私はシドと申しまして、ゲゼル伯爵家の使いの者です。以後お見知りおきを」
「あなたも私を……レジェンディアに連れていくつもりですか」
「話が早くて助かります。時間もありませんので少々手荒になりますがゲゼル家に御招待しましょう」
そう言うとシドの姿が一瞬で掻き消える。そして首にプツッと何か鋭い物が刺さる感覚があり、すぐに強烈な眠気に襲われる。唇を噛んで堪えようとするも歯にも力が入らず床に膝から崩れ落ちてしまう。
「……あ、あぅ……うっく……」
「油断しきったケフィカさん位はあしらえる程度の技術は身に着けているようですが、私を相手するにはまだまだですね。良い眠りを」
「……ふっ……うっ……は……なし……て……」
微笑するシドに背中と膝裏に手を回され、抱き上げられる。抵抗しようとするも全く手足に力が入らない。そしてその瞬間にバァン!とドアが蹴り破られ、レイナが飛び込んできた。
「リファ様!?」
「ナイトさん、遅かったですね。お姫様は頂いていきますよ」
「貴様!リファ様を返せ!」
レイナがシドに切りかかるも、僕を傷つけまいとしているのか思うように攻撃できないようだ。
「あなたもまだまだ技量不足ですねぇ。あ、そうそう、彼も処分しておきますね」
シドが軽々とレイナの攻撃を躱しつつ、更に倒れたケフィカの喉に右足の爪先からナイフを飛ばし、突き立てた。ビクッとナイフが刺さった瞬間大きく痙攣し、「ガフッ」と赤黒い血を吐いたケフィカが動かなくなる。
「なっ……!あいつは仲間じゃないの!?」
「もう少し使えるようなら駒位にはしてあげたんですけどね。駒以下では処分するしかありません。そろそろ良い頃合ですね。それでは、ごきげんよう」
シドが口内で呪文を口ずさむとシドを中心に深い闇が広がり、あっという間に部屋を満たしてしまう。レイナが血相を変えて「リファ様!?」と手探りで僕を探す。
僕はもう頭が朦朧としていて「レジェン……ディア、ゲ……ゼル……」と呟くのが精いっぱいでいつの間にか意識を失っていた。
そして暗闇が晴れた更衣室には事切れたケフィカと途方に暮れるレイナだけが取り残されていた……
「……リ……リファ様ぁーーーーーーーーーーー!!!」
……そして、レイナの悲痛な叫びが木霊した……




