プロローグ
※ボーイズラブではありませんが、男主人公が、女の子になる少年を恋愛対象として見る描写がありますのでご注意ください。
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月の光が夜の境内を明るく優しく照らし出す。今夜は中秋の名月。鈴虫、松虫、コオロギ……秋の虫たちが様々な音色を奏でている。
鳥居は朽ち、参道の石畳はところどころ割れてしまい、石畳の両側から生えているススキは子供の背丈ほどに成長し、風に揺らいでいる。神主の"ほぼいない"魅化神社の参道は荒れ果てている。このような神社を訪ねてくる人は"ほぼいない"。
ただ、神社の社は手入れされている痕跡がある。床板ははがれかけているものの、ホコリ一つ見当たらず、ススキを差した小綺麗な花瓶までも置かれている。その隣には台に載ったお月見団子。お月見団子は月明かりに照らされ、それ自身が弱く輝きを放っているようにも見える。
「はぁ……」
ため息は、虫たちの演奏と共に風に乗り、すぐにかき消された。団子の隣に座る男性は、この神社を訪ねる数少ない人物の一人、乙守楽人である。歳は16歳、体形はやせ型。今年高校生になったばかりである。ベージュの長袖シャツに、紺のズボン。地味目な服装にふさわしく、顔も平凡な顔といった感じだ。
風に揺れるススキたち。人は、彼ら(彼女ら)一本いっぽんを注視し、カッコいいススキ、可愛いススキ、強面のススキといった評価を下さない。ススキはススキ。平凡などこにでもあるススキでしかないのだ。
楽人の顔も言わばススキのような顔である。
人混みに紛れてしまえば、カッコいい人間でもなく、可愛い人間でもなく、強面の人間でもない。風に揺れるススキのように、人の群れに流される素朴な人間。それが乙守楽人なのである。
「魅化姫様って……"美少女"なのかなぁ……」
ため息交じりに、素朴な顔から素朴とは言えない言葉が紡ぎだされる。
魅化姫様とは、魅化神社に祀られている女神様のことである。楽人の視線の先には、月明かりに照らされ風に揺れるススキと、朽ちた鳥居が見える。そして、ふと空を眺めれば、鳥居の上に浮かぶ満月。幻想的であり、どこか妖しげな景色である。
楽人は大きく伸びをし、立ち上がった。
「みんな美少女になればいいのに……」
月を眺め、ロマンチックなのだか、ただの危ない発言なのだか、ワケの分からないことを言い出す。人気のない神社でこんなことを言う男がいたら絶対近づかない方がいいだろう。
「アニメのモノレールに憧れ、モノレール通学のできる高校へ入学したら男子校だった」
……入学する前に気づかなかったのだろうか。
「美少女に憧れ、『美少女&美少女』のイベントに行ったら、美少女を追い求める同志しかいなかった! 彼らが美少女だったらどれだけ幸せな人生だったか!」
そのようなことを幻想的なお月見の晩に言われても困るだけである。
「可愛らしい美少女アイコンで呟いている子はきっと可愛い女の子に違いない! ……と思ったら、クラスメートの大釜蛙田だった!」
よくあることである。
「俺は美少女が好きだ! 美少女が出てくる萌えアニメが大好きだ! だけど、俺は昨日16歳の誕生日を迎えてついに気づいてしまったんだ。きっとこのままなんだと。美少女を追い求めても……いや、アニメの世界の美少女を追い求めれば追い求めるほど、現実世界では砂漠の蜃気楼のように目の前から美少女は消え、気づけば周りは男だらけ。俺の人生はそんな人生なんだ!」
少なくとも男子校を選んだのは彼の自由意志である。そして、男子校は悪いところではない。
「妹は美少女だ!」
突然何を言い出すのだろうか。
「でも、妹じゃダメなんだ。妹は、どんなに好きになっても妹なんだ! 妹は、二次元よりも遠いんだ!」
今一度断っておくが彼は、夜の、人気のない神社でこのワケのわからない訴えを神様に向かってしているのである。
「神様! 魅化姫様! お願いだよ! 俺を美少女にしてくれなんて言わない。せめて、みんな……みんな……みんな、美少女にしておくれぇぇぇ~~~~~え!」
彼は大声で叫んだ。月に吠えるオオカミの遠吠えのように。人気のない神社でこんなことを言う男がいたら絶対逃げるべきだ。
リーン……
ふと、鈴の音が聞こえたような気がした。虫たちの鳴き声だろうか? 否、虫たちの声は聞こえない。楽人は半開きの口を閉じるのも忘れたまま、辺りを見渡した。
静寂……
さっきまで風に揺れていたススキも身動きひとつしない。
(風が……止んでいる……? うっ)
楽人は思わず縮こまった。急激に辺りが寒くなったのである。今日は9月24日。秋になったとはいえ、本来なら長袖のシャツで十分な時期である。このままその場にいても埒が明かない、そう思い楽人は一歩、二歩と鳥居の方へ歩き出した。割れた石畳を踏むと、石と石とが擦れ合う音がする。それ以外の音は聞こえない。
リーン……
今度ははっきりと聞こえた。鈴の音である。
次の瞬間、樹木が、ススキが、強風に煽られ揺らぎだす。乙守楽人も、強風に煽られ、手で顔を守る仕草を取った。一陣の風が吹き去った刹那――
「美少女とはなんぞや?」
背後から透き通った女性の声が聞こえた。ゴクリと息を飲む音は無論、楽人のものだ。虫の鳴き声は止んでおり、息を飲む音さえも声の主に聞こえてしまうのではないかと思えるほどの静寂が辺りを支配している。
楽人が振り向くと、風に流れる銀の髪が視界に入ってきた。……風に流れる? 一陣の風が去った今、風は吹いていない。ただ、あまりにも現実離れした現象が起きているため、楽人はそのことを疑問に思う余裕もなく、銀の髪を目で追っていた。
その先には月見団子のように白く、つやのある少女の顔があった。歳は12、3歳といったところだろうか? 白いのは肌だけではない。少女は白装束を纏っている。その姿は、幽霊というよりも生気のない人形のように思えた。しかし、彼女の黒い瞳は楽人のことをはっきりと見据えている。
少女は楽人のことを、わずかながら見下ろしている。そして、楽人は少女を見上げている。
――なぜだろう?
乙守楽人は背が低いわけではない。身長は169.5cmであり――170cmにギリギリ満たないところがまったくもって平凡である――少女の方が背が高いというのは、あまり考えられない。
楽人はゆっくりと視線を下へ移していく。……ゆっくりと。
畏れの気持ちがそうさせるのか、あれ、おかしいな、はい、足元を見ました、と視線を素早く移すことはできない。
白い首筋。
白い鎖骨。
12,3の少女と言えども、すでに女性としての妖艶な美しさを身にまとっている。楽人から思わず吐息が漏れる。白い息が寒空へ浮かび消えていった。
さらに視線を下へ移す。
申し訳程度に膨らんでいる胸元は白装束が包んでいる。
袖元は透き通り、少女の後ろにある社が透けて見える。大分薄い生地のようだ。
手は、ひんやりとした空気が伝わってきそうなほど白く、太ももは――楽人には刺激が強すぎたのか、目を逸らしてしまった。
うっすらと肌が見えてしまうだ。
薄い生地であることを意識してしまっては注視できない!
ただ、こうして楽人が視線を下へと移していく間も、少女は声を上げることも、恥じらう仕草を取ることもなかった。
そして、足元を見る。
ふいに風が吹く。ススキの葉が風に流され、少女の足元と地面の間を通りすぎていく……
彼女はわずかに浮いていた。空へと――
「ひぃっ――!」
悲鳴が上がりそうになり、思わず手で口を覆う。
後退しようとして、足が絡み、のけぞる。
思いっきり尻餅をつき、見上げると、そこには無表情に見下ろす少女の目。
息が荒くなり、汗が頬を流れる。
楽人は完全に混乱していた。
「ひぃっ! び、び、びびびび……美少女だぁーーーーーーーーー!!!!!!」
恐怖の叫びを上げ、尻餅をついたまま、両手を使い後退し、身体をひねらせ、少女に背を向け、四つん這いになった後、ようやく足が言うことをきき、楽人は全力で神社から逃げ出――
「!? わっわっわっわっ!」
逃げ出そうとして足元の小石につまずき、鳥居のその先にある下り階段から転げ落ちていった。
* * *
遠のく意識の中で声が聞こえてくる。
「本当に、その願い、叶えてよいのだな?」