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天王洲アイルマンの憂鬱

作者: ベギラマ

1ある過去との邂逅


冬晴れの日差しを受けた水面がキラキラと光りながら目の前を通り過ぎてゆく。

外の寒さと相反し、車内は窓から差し込む柔らかな日差しと暖房のため明るく暖かかった。


また昼前という時間帯のせいか他の乗客は殆どおらず、ゆったりと静かな空間が

とても心地よかった。


車内はかなり暖かい、コートを脱いだ方が良いだろうか、ボタンに手を伸ばしかけたが

またすぐに着ることになると思い手を止めた。


日々の暮らしの中では、ごく普通に些細な幸福、不幸に遭遇するものだが、

今私はその些細な幸福の中では割と代表的な物に遭遇している。

これは冬特有の幸福である。


冬をイメージすれば例外なく寒い、厳しい等、マイナスのイメージが出てくるだろう。

しかし私の場合、同時に今現在のような暖かく心地よいイメージがそれを相殺してしまう。


暖かい空間で心地よい日差しを浴びながら微睡む。これは寒い時期でないと味わうことは難しいだろう。

無論地獄のような暑さから冷房の効いた涼しい空間に逃げ込んだ際の清涼感もまた格別なのだが、

この場合は、些細な幸福に遭遇したというより、些細では済まされない不幸から逃れたと言った方が

正鵠を射る表現かも知れない。


無論寒いのは嫌いだし冬が好きかと言えば好きではない、

しかしこうした暖かい一場面がある為か、不思議と寒いイメージと同時に

暖かいイメージも湧き、心から冬を憎む気持ちにはなれない。


夏も同様に暑さだけでなく涼しさのイメージも有るかというと、有るのだがこれまた不思議な

ことに夏は暑いイメージが強烈すぎてあまり好きにはなれない。

ただ単に夏が嫌いで冬の方がマシと思っているだけなのだが、夏嫌いの人間は

皆同じように考えるのだろうか。


不意に直射日光を浴び顔をしかめる。ビルの陰に隠れていた太陽が顔を出したのだ。

窓の外には高層ビルとまではいかないが、それなりに高い建物が多く、その陰から

出たり入ったり、私の目を刺激し始めた。まるでストロボフラッシュライトを

見ているようだ。


通り過ぎるビル群の隙間から見える運河を眺めていると前方より見慣れた暗灰色の建物が

見えてきた。それは停車駅が近付いていることを示している。


目の前を通り過ぎる見慣れた建物、十年以上も前から幾度となく同じ光景を目にしているが、

何の施設なのか、全く分からない。

調べればすぐに解るのだろうが今まで調べたことは無い。


速度はすでに落ちている。気の早い者なら席を立ち

ドアの方へ歩み寄るのだろうが車内の少ない乗客の中には次の駅で降りる予定の者が

居なかったのだろう、立つものは居なかった。


そろそろ立とうか、と思いながらも思考は既に十年以上も前の今日と似た晴れた冬の

日へ向かっていた。


2勉強嫌い


子供のころから勉強が嫌いで成績は常に悪かった。


小学校に上がるまでは学校と言うものに対する期待や憧れが有ったため、

早く小学生になりたいと思ったものだ。


三つ上の兄が既に勉強で苦労しているのを目の当たりにしていたが、

自分はうまく出来ると信じ込んでいた。


いざ小学生になってみると、入学当初は勉強もあまり難しくはなく、何より物珍しさが勝り、

楽しかったのだが、一年生も終わりに近づいて来る頃には兄がよくこぼしていた、

幼稚園の頃の方が楽だったという言葉に頷かざるを得ない心境になっていた。


初めに嫌いになった科目は国語だった、何が嫌かと言うと単にノートにたくさんの文字を

書くのが面倒だったのだ。次は国語か・・手が疲れるからいやだな、と言う程度の事だった。


三年生になる頃には国語より算数が嫌いになっていた、無論国語の好感度が上がったわけでは無く

より算数が嫌いになったわけだ。


先ず、計算が遅かった、単純な加減乗除をするだけで有ればまだついて行けたのだが、

一問の中にそれが複数混合してくると極端に時間がかかり、正解率も低下した。


時間をかけて出した答えが違うともう一度挑戦する気になれず、別の問題をやっても

正解している気になれず、やって楽しいと感じることが出来なかった。


理科、社会などは特に好きとか嫌いと言う事も無かったが、成績は良くなかった。

やはり三年生位になると歴史に興味を持ち始める友人が増えて来たが、私は全く

好きにはなれなかった。テレビで見る時代劇は物心ついた時には夢中で見ていたのだが、

戦国武将について興味がわくことは無かった。


六年生になる頃には勉強全般が嫌いになっており、当時の担任は私が宿題を提出しなくても

叱る事すら無くなっていた。


中、高と同様に成績不良で過ごしたが、特に不登校になる事も横道にそれる事も無く、

平凡に過ごした。


高校卒業を控え、進路を定めなければならない時期になっても自分の希望は皆無であった。

入った高校が偏差値の低い学校で、毎年大学に進学する者は全校で十人前後、

しかもそのすべてがスポーツで入ると言う程度のため進学は検討の余地もない。


そうなれば、就職しかないのだが、全く何をしたら良いかわからない。

アルバイトは経験していたので、労働で金を稼ぐと言う実感は多少あるのだが、

実際に自分が社会人になると言う事が本当に想像できなかった。


しかも当時は就職難の時代に入ったばかり事で、何がしたいのか見つけられたとして、

その業種で就職できる可能性は低かった。


結局私は面倒になり兄が通っていた情報処理系の専門学校に入学した。


勉強は嫌いだがコンピュータには多少なりとも興味があり、なによりパンフレットに書かれていた

ゲームを作ってみようと言う言葉が決め手となった。


実際に作成したゲームはC言語というプログラミング言語で単純な○×ゲームを作成しただけであり、

思い描いていた物とはかけ離れていたが、出来無いなりにもこれまでの勉強よりは興味をもって

取り組むことが出来た。


入学して二年目の暮れも近付いて来た頃。二年制の学校であったため、そろそろ就職を決めて

いなければならない時期である。


例によって全く就職する気が無い、とまでは言わないが、積極的な活動はしておらず、

この時期まだ内定の目処は全くなかった。


時代は就職氷河期と言われた就職難で、情報処理専門学校を出てもそれが生かせるような

会社に入れるかは解らなかった。事実同級生の中でも全く無関係の業種に就いた者も

少なくなかった。


私自身も、情報処理とは全く無縁の工場勤務の面接を受ける事にした。

面接ではこの時世に珍しく人手が足りなかったのか、最後にはぜひ来てくれとまで言われ、

私自身も何となくこの会社に入る事になるのかな、と思い後日進路担当の教師に報告をした。


その報告中に、教師あてに電話がかかってきた。どうもどこかの会社が急遽追加で求人を

したらしく、余っている生徒がいないかという内容らしい。


教師は躊躇なく一人いますよ、と答えていた。嫌な予感がしたが電話を切った後

案の定、私に行けと命じたのである。


結局私はその会社に就職する事となった。その前に面接を受けた工場も

ほぼ内定を取れていたような物だったが、やはり後から受けた方、つまり実際に

選んだ方は、中小ではあるが、IT企業だったため、多少なりとも学校で学んだ知識が

生かせるのでは無いかと思ったことが二割、八割方は東京へ通勤するという根拠もない期待感であった。


3通勤経路


入社後、新人研修やら何やらで配属までに5か月ほどかかり、9月に配属されると同時に協力会社へ

派遣契約で常駐する事となった。


私が入社した会社は当時本社が山手線の田町駅周辺にあったため、通勤者はJR田町駅か

地下鉄(都営浅草線、三田線)の三田駅、のどちらかで降り、徒歩で本社ビルへ向かう事になる。


一方私が常駐する事となった協力会社は東品川にあり、最寄駅は京急新馬場か東京モノレールの

天王洲アイル駅となる。JR品川駅からバスで来る者もいた。


通い出し三年を経た現在、殆ど常駐先に出勤する状態で、田町の自社へ行くことは年一回の

健康診断の時くらいだろう。それすらも受けられず、後日指定の病院で受診することも

あったため、年に一回も自社に顔を出さないこともあった。


私の場合はまだマシな方で、私とは別の協力会社に常駐している同期などは配属以来一度も

自社には顔を出していない。


通常業務で自社に顔を出すことはほぼ無かったが、私の担当していた客先が自社に近い

田町駅周辺に集中して居る事もあり、打ち合わせや、作業などで田町と東品川を

往復する機会は多くあった。


田町駅から東品川の常駐先付近まで都バスが運行されいたため、多くの同僚、先輩はバスを利用していたが

私はあえて乗り換えが複雑な東京モノレールを利用するルートを好んだ。


同僚や先輩、上司と行動する場合は相手に合わせてバスに乗ることもあったが、基本一人で移動する場合は

必ずモノレールに乗った。


バスであれば多少歩くが、乗り換えなしで済むため周りからは不思議がられたが、

モノレールの定期があるためと説明すればそれ以上の追及はなかった。


無論本当に交通費節約のためだけが理由でモノレールに乗っていたわけでは無く、

本当はバスに酔いやすい体質のためと、何より浜松町から天王洲アイルまで、たった一駅間だけの

モノレールの移動がとても好きだったからである。


初めて東京モノレールに乗ったのは高校の修学旅行の時、羽田空港に向かうため、

浜松町から終点の羽田空港まで乗車した時であった。


旅行の行き先は北海道で、羽田から千歳空港まで飛行機に乗ったのだが、

生まれた初めての飛行機ということもあり不安と緊張で千歳空港へ着陸するまで

どこか上の空で、モノレールを始発から終点まで乗ったにも関わらず

混雑していたというイメージしか残らなかった。


帰りもまた終点まで乗ったのだが、あまり覚えていない。恐らく旅の疲れで

寝ていたか友人との会話に夢中で外の景色などあまり見なかったのだろう。


二回目以降は社会人になってからで、入社して初めて東品川の協力会社へ

出向く際に、先輩に連れられて向かった時で、この時に私は東京モノレールに魅せられる事となった。


その日私を連れた先輩がなぜバスを使わずモノレールのルートにしたのか記憶に残っていないのだが

恐らく単なる気まぐれだったのだろう。もしかしたら天王洲アイルで食事がしたかった

だけかもしれない。


高校時代からおよそ3年ぶりに乗った東京モノレールは以前に終点まで乗ったにも拘わらず、

全く新鮮なものだった。逆に以前に乗った時の記憶は不思議なほど蘇らなかった。


当時はまだホームドアもない時代だったがJRや私鉄、地下鉄などのホームと比べて近代的というか

未来的に見え、また車内の座席配置も個性的で見る目を楽しませてくれた。


発車して間もなく下にはJRの線路が何本も並走し、高いビルの屋上に設置された大きな看板は

目薬の広告で、当時人気だった女優が地上を蠢く矮小な幾万ものサラリーマン達に癒しの

笑顔を届けていた。そしてさらに遠く、モノレールの車窓からその様を眺めて悦に入るのであった。


程なく建物の間を縫うように大きなカーブを通過すると運河が見え始める。

生まれ育った土地では近くに海も川もなかった為か東京に流れる多くの川は自分にとって

大きな川であり、見慣れぬ子供のころにはどうしたわけか恐怖の対象となっていた。


子供のころは電車が鉄橋を渡る際に怖いもの見たさで窓から川を眺めていた物だが、

ある程度の年齢になると恐怖心は薄れ、代わりに好奇心が膨らみ車窓から

下を眺めずにはいられなかった。そういった性分の私にとって下を流れる運河は十分に

魅力を感じ得る対象であったことは言うまでもない。


天王洲アイルで下車すると当時デートスポットとしてテレビなどでも取り上げられていた

だけあり私の地元ではなかなか見ないお洒落な店、というか駅前の一帯すべてが

洒落た街並みになっていた。


少し外れれば世界は一変し普通のオフィス街と住宅街が混然としたような街並みに変わり興も冷めるのだが、

私にとってこの近未来的なモノレールから小洒落れた天王洲アイル駅周辺の小さな旅と言っては

大げさだろうが、移動が大のお気に入りになってしまい、定期を更新する際に、地元から京急新馬場の方が

効率的であるにも関わらず、わざわざ地元から天王洲アイルへの定期へと変更した程である。


4いざ乗車


入社3年目であった私はある程度の作業は一人でこなす事も増え、したがって客の集中する

田町周辺への行き来も一人で行動することが多かった。

前述のとおり一人で行動する場合はほぼ毎回モノレールを利用するのだが、今日は

田町から東品川の常駐先へ戻る途中であった。


時期は冬、一月か二月だっただろうか、事件当日の朝、出勤のため家を出たとき、外の寒さは

厳しかったが、電車を降りる頃には日も高く上がり多少寒さも和らいだ気もしたが、

依然風は冷たく、思わずコートの前を合わせた。


この日は田町の客先に直行し作業をしてから、東品川の常駐先に戻ることになっていた。

作業は特に問題もなく終え、客先を後にした。


腕時計を持つ習慣の無い私は携帯電話を開き時間を確認した。

少々昼飯には早いか、とりあえず戻って天王洲アイルで食うか・・・

しかしそこまで戻るなら常駐先の社食にしてもよいか・・・

考えのまとまらぬまま私はJR田町駅に向かった。


山手線で一駅の浜松町で下車し、モノレールへ向かう。浜松町駅の地下には昼に定食を出す店が

いくつか有り、いつか行ってみたいと思ってはいたが、再度時間を確認するとやはり

まだ昼食には早すぎる。現在であれば本屋などで時間をつぶすくらいのことはするのだが、

若手の私にはとてもそこまでは出来ない。とりあえずモノレールに乗ろう。


改札を通りホームに向かう、ここまでは何事もなくこれまで数十回繰り返した

田町からの帰路となんら変わり映えのない平和なものだった。


私の地元と比べれば格段に本数が多いため、それほど待つこともなく単線のホームに列車は

滑り込んできた。


東京モノレールはレールが車両の下にある跨座式という形態で、詳しくない者が一見すると

高架の上を走る普通の電車と見まがうかもしれない。

とくに私のように子供のころからモノレールと言えばみなレールの下にぶら下がる懸垂式

しかないと思い込んでいた者にはなおの事であろう。


上り終点のホームは単線で進行方向左側のドアが開く、乗客は直ちに降車し改札に向かうのだが、

一部の乗客は反対側のドアの前、つまり今乗車しようとしている私の目前に立つ。


ドア一枚を挟んで私とその一部の乗客はしばらく対峙するのだが、程なくこちら側のドアも

開き彼らは降車しどこかへ去ってゆく。


彼らがなぜ素直に初めに開いたドアから出ずにわざわざ遅れて開くドアから出たがるのか

この時はまだ解らなかったが、後年要領の良い先輩と偶然帰りが一緒になった際に

判明した。ようはこちらから出た方が乗り換えに便利だったからに他ならない。


昼前という時間帯のせいか、降車しようという乗客も、私を含むこれから乗り込もうという乗客も

少なく、空になった車両に一番乗りで飛び込んだのは私であった。


通常の電車と比べてかなり特殊な座席配置の車両には窓際に一人掛けのシートがあるのだが、

実はこれが私の大のお気に入りであり、座れなさそうな場合、他に空いているシートがあっても

時間に余裕さえあれば、わざわざ一本遅らせてでも座りたいシートだった。


この時も当然のごとく真っ先にそのシートに目を向けた、始発の車両に一番乗りで乗り込んだ

わけで、何の問題もあるはずは無い。


が、しかしそこに彼はいた。


5車内にて


空になった車両に一番乗りで乗ったはずの私より先に、私が座るべきシートに彼は座していた。

一体どんな魔術を行使したのだろうか。無論一番乗りで乗車した私を追い越した者がいれば

私が気づかないはずは無いし、そんな者はいなかった。


とくに急ぐ必要もなかったので、本来であれば降りて次の始発で行くところだが、

私は彼に興味を覚え、というよりもこのまま引き下がっては何か彼に負けたような気分が拭えず、

またこの機を逃してはもう二度と彼と遭遇することは無いだろうことから

次の駅までの短時間でどうにか彼に精神的な優位を見せつける機会を逃したくなかったのかもしれない。

このまま彼を観察しつつ天王洲アイルまで行くことにした。


チャンスは天王洲アイルまでの一駅間の数分間、この間に何か彼の失態を認めるかもしくは

彼にこちらの優位性を見せつけることができれば私の逆転勝利となるが、この短時間に

それを望むのは普通に考えて難しいだろう。


しかし、私はある可能性から条件は五分と判断し、彼にこの勝負を叩き付けたのだった。

叩き付けたと言っても彼に直接何か言ったわけでは無く、こちらが一方的に始めたことであり

また、当然彼本人も勝負を挑まれている自覚があるはずもない。私の気持ちの問題である。


私は彼を観察すべく、彼が視界に入る位置に腰を下ろした。

年齢は30歳前後だろうか、どう見ても年上ではあるが中年といった感じではない、

スーツの上にコートを着ており私と同じく会社員で、外回りの途中なのだろう。


そして何よりも、一目見た時から気になっていたのだが、また先述のある可能性の根拠ともなる

事なのだが、彼は目を閉じていた。


寝ているのだろうか、目を閉じて座っているだけなのだろうか、私は眠っていると見た。

理由は無論、眠っていたのであれば彼が私より先に私専用のシートを占領することが可能となる

からだった。


つまり、彼は元々上り(羽田空港⇒浜松町)に乗車して浜松町で下車する予定だったが、

途中で眠ってしまい、終点の浜松町についても目覚めることがなくその状態で

私が乗り込んだのだろう。

そうでなくては説明がつかない、彼が今現在目を閉じていることが何よりの証拠ではないか。


何だかんだと言って私はつまり、彼が気づいて慌てふためく様を見たかったのだ。

しかし、こちらから普通に起こすわけには行かない、わざわざ発車してから起こすというのは

不自然極まりない。


つまり、勝負は私の乗車中に彼が自発的に目を覚ますか否かにかかっている。

彼は最終的にどこかで目を覚ますことは確実だろう、しかしそれが私の居なくなった後では

何の意味もない、それでは彼の逃げ切り勝利になってしまう。


もし、彼が目を覚ます様子がなければ何か大きな音を立てて強引にでも起こす覚悟で

私は彼に勝負を挑んだのだった。


ドアが閉まりモノレールは緩やかに発車した。ドアの閉まる音、わずかな衝撃、また

発車時の揺れが彼を襲う。


先ずはこれがこちらからの先手攻撃である、ほぼこれで決まるだろう。先手必勝とは言ったものだ。

逆にこれを凌がれると次に確実に期待できる攻撃は停車時の揺れとドアの開く音、衝撃だろう。

その間に急ブレーキなどがあれば良いが期待はできない。


ただ、停車時に何とか目を覚まさせたとしても、その時は私も降りねばならず、

彼に私の優位性を見せつける時間がとても短いものとなってしまう。


それどころか彼自身の混乱が収まる前に私が彼の前から姿を消すことにもなりかねない。

私としては、彼が慌てふためく姿を見たいのはもちろんのこと、その後気まずい空気を

どうするのかまでを見届けたいのだ。


もしこの先手を凌がれた場合、私は急ブレーキを祈りつつ停車時まで待つつもりは無い、躊躇なく

大きな音を出すだろう、方法ならいくらでもある。


鞄を落とす、せき、くしゃみ等何でもするつもりだ。せきなどは何度でもできる利点がある。

無論他の乗客の迷惑など二の次である。私の優越感がすべてに優先する。


自分の浅ましい願望を分析している場合ではなかった。彼から目を離してはいないが聊か分析の方に意識を

置きすぎてしまい彼の動向を見てはいたが、認識が十分にできていない状態だった。


ヘッドフォンで音楽を聴いていても、知らぬ間にCDが最後の曲を奏でていることがよくある。

4曲目が聴きたかったのに、2曲目位までの記憶しかなく、気づいた時点ですでに11曲目が流れているのだ。

ヘッドフォンで聞いているし、他に何もしていないので、確かに耳には入っているはずなのだが、

まるで記憶にない。

そんなことが続いたせいで、最近は出来るだけ聴きたい曲をすぐ聴くようにしている


一瞬ではあるが、今同じような状況にあった、時間にして数秒だろうか。

こんな事で肝心のシーンを見逃しては泣くに泣けない。

しかし、漠然と見ていたとしても彼が大きく動けばさすがに気づくだろう。

彼は現在のところ以前のまま微動だにせず目を閉じたまま黙って私専用のシートに座していた。


つまり先制攻撃は凌がれたわけだ。


彼の様子を改めて観察してみる、一見して、寝ているのか、また目は閉じられているが

睡眠状態ではないのか、判別はつきにくい。


一番乗りの私より先に車内にいたという事実から眠っているとほぼ確信しているが。

もし事情を知らない状態でただ彼を見たら果たして彼が眠っていると確信できるだろうか。


彼がもし発車時から今に至るまで、目を閉じてはいたが、実は起きていたのだとすると、

考えられる彼の行動パターンはいくつあるだろうか。


1.乗り込む際に何らかの方法を用い、または偶発的な何らかの理由で私に気づかれることなく

私より先に私専用のシートに腰を下ろした。

(私が彼を発見したのは乗車後数秒の事だったため、その数秒で眠りに落ちるとは考えにくい。)


2.彼は終点である浜松町駅以外の駅の上りホームで乗り込み、浜松町へ向かい、終点(浜松町)に

到着しても、席を立たなかった。

一方私は到着した車両に一番乗りで乗り込み、そこで降りなかった彼を発見した。


こんなものだろう、先ず、1.のパターンはどうしても論外とせざるをえない、追い抜かれれば私が

気づかないはずがないし、何らかの方法というのがどんなに考えても思いつかない。

また2.のパターンはどうだろうか、物理的にはこちらの方が可能なのだがそうしなければいけない

理由が思いつかない。


改めて考えてもやはり彼は眠っているのだろう。

単に発車時の先制攻撃程度では彼に何のダメージも与えることが出来なかっただけなのだろうか。

そうであれば彼が寝過ごしたという事実は残り、まだ望みはあるのだが同時に彼の防御力の高さを

認めなければならなくもなる。


そうであって欲しくもあり、また欲しくもないような気もするが、いや、やはりそうでなければならない。

そうでなければ彼は起きている事となり、私より先にシートに座るという謎を解かなければ

私の勝利は無いだろう、しかしこれは全くできる気がしないし、仮に出来たとしてもその場合は

単に私が一人で納得するだけの話で彼に対しては何の意趣返しもできない。


ただ私より先に座っていただけで何の悪意もないであろう彼に対して私はすでに

強い敵意のような物を持つに至っていた。


初めは困った瞬間を見てやろうというちょっとした意地の悪い願望だけだったのだが、

予想外にしぶとく生き残る彼を前にして恐らくこちらが平常心を失ってしまったのだろう。


その精神的ダメージは自分の向けた悪意が返ってきただけなのだが、私はそれが

彼の反撃で有るかの様に錯覚したのだろう。


さて、どうしたものだろうか、ほんの少し前までの私はどんな手を使っても大きな音を立てる

と息巻いていたのだが、いざその必要に迫られると、なんとも動きが鈍くなる。

九分九厘発車時に目を覚ますだろうと高を括っていたため、冗談ではなく思わぬ反撃を

食ったような気がしたのだろう。


しかしまあ時間はまだ豊富にある、次の駅天王洲アイルまでは、私が平常心を取り戻し、騒音で

彼を起こし、その慌てるさまを眺め優越感に浸ったとしても余りあるだろう。


落ち着いて来ただろうか、そろそろ鞄でも落とそうか、とは言え彼を気まずくさせるために

私が気まずくなっては本末転倒だろう、ごく自然に行わなくてはならない。


誰も見ていないと良いのだが、空いているとは言っても、私と彼以外にも何人かの人はいる、

誰かの目に入っていたとしても、不自然と感じられなければ問題ないが、どうしたものか

私は、先述のとおり、彼を監視しやすい場所に座っていた、鞄は大き目で膝の上に持つには

邪魔になるため、座る時無意識に足の間に挟み床に置いていた。


これをごく自然に落とすにはどうしたらよいだろうか。

発車して間もないのにおもむろに立ち上がり鞄を持とうとして取り落とす。

これは自然か・・立つ理由によっては成り立つかもしれない、それが可能か確認するためには

にはドアの上を見る必要がある。


この間も彼からは一瞬たりとも目を離してはいないが、一秒、二秒の間であれば問題ないだろう。

両側のドアのすぐ上の空間を見るとそれはあった。


私が探したのは、所謂路線図のようなものだ、JRなどには大きなものが貼ってあるが、

たいていの電車内(現在乗っているのはモノレールだが)のドアの上にも細長く

停車駅が書かれた簡易的な図が貼ってあることが多い。


しかし、場所によっては広告だったりして、無い場合もあるため、確認したのだが、

うまい具合に私と彼を隔てる空間の中にそれはあったのだ。


作戦は以下の通り。


1.現在の席に座ったまま身を乗り出して路線図を見ようとする。


2.見えにくい振りをして身を乗り出す、あえて注目を集めるくらいにする。


3.路線図に注目したまま自然と体が向かうように装い立ち上がる。


4.完全に足元の注意を怠ったように装い鞄を蹴り倒す。

  ※取り落とすより蹴り倒す方が自然を装えると判断し、蹴り倒しに変更した。


5.静かな車内に響き渡る大音響に驚き彼は飛び起きる。


6.そして彼は、自分が今どこにいるのか把握し驚愕する。


7.取り乱した姿をどれだけの人に見られたのか気にして彼は気まずい時間を過ごす事となる。


8.その様をみてほくそ笑む私。


9.モノレールは天王洲アイル駅に到着する。


10.下車する私、その背中には勝者の余裕がうかがえる。


11.呆然と見送る彼、しかし自分も下車しなければならないと気づき逃げるように下車する彼。


12.歯噛みする彼。


13.猛省し二度と私専用のシートに腰を下ろすことはしないと誓う彼。


こんなところだろう、果たしてここまでうまく行くか不安だが10番までは確実に物にしなければ

完勝とはいえないだろう。


ここで肝心なのは5番である。果たして彼は起きるだろうか。

私の鞄は結構な大きさ、重さがある、作業後のため中にはいろいろと物が詰まっている。


中でも抜群の重さを誇るのは当時私が作業に持ち歩ていたノートパソコンだろう、

持ち運び可能とうたわれているが現実には重く、持ち運びには適していない。

言うなれば、コンパクトで設置が簡単なデスクトップパソコンと言った感じだ。

持ち運びは確かに可能だが、不可能では無いと言うだけで、適しているとは言い難い。


今後、技術革新により小型軽量化が進めば将来的に持ち運びに適した重量の

ノートパソコンも可能だろうが現在の最新機種でもまだそこまでは行っていないだろう。


最新機種でさえそれほど重いのだが私が今鞄に入れている物は旧型でさらに重い。

普段はその重さを持て余していたのだが、こんな所で役に立つとは思いもよらなかった。

このノートパソコンがここまで重かったのは今日この時のためだったのかと理解する。


よし、作成開始だ、せいぜい大きな音を立ててくれ、ノートパソコン。

ノートパソコン??・・まずいか、いやまずい、とんでもない!!


作戦は中止、危ないところだった。あやうく彼の策略にはまり業務用のノートパソコンに

危害を加えるとこだった。


事後、壊れたパソコンを前にして上司、先輩に対して彼の策略に嵌り・・といくら釈明しても

頭がおかしいとしか思われないだろう。


まあ、鞄を倒しただけで中のノートパソコンが壊れる可能性は低いだろうが、

決してわざとやって良い事ではない。たとえ、彼に一泡吹かせるためであろうとも。


考えてみれば今日の作業にノートパソコンは必ずしも必要ではなかった。

念のために鞄に入れて持ち歩いていたのだがその判断が悔やまれる。


一つ言えることは前日に準備をしているときに同じグループの先輩に

ノートパソコンを持っていくべきか尋ねたのだが、そこで一応持っていったら?

との回答に流されて私は自ら鞄に入れるという過ちを選択してしまったのだ。


その先輩には彼の息がかかっていたのだろうか、こんな場面を想定して彼は

私が車内で大きな音を立てるのに鞄を使用することを防ぐために事前に

私の先輩を懐柔し私が鞄にノートパソコンを入れるように仕向けたと

は考えられないだろうか??


冷静に考えれば、そんなわけ無いのだが、鞄が使用不可能となった瞬間に

ほんの一瞬ではあるが彼に責任を転嫁しようとしてしまった。

どんなにこじつけても鞄が使用できない理由を彼のせいには出来ないだろう。


それがわかっていながら、何故だかこの状況の不満、不快感の矛先は全て彼に向けられていた。

一体彼が何をしたと言うのだろう。ただ、モノレールに乗っているだけだ。

彼の方では私の存在など歯牙にもかけていないだろう。


そんな彼を監視する私の視線は強く鋭く彼を突き刺すが、目を閉じた彼は何の痛みも

感じることは無いだろう。


私から不当に席を奪ったのであれば、私の視線は北欧神話の主神オーディンの放つ

魔槍グングニールの如き貫通力で彼の精神を貫きこれ以上の睡眠を許さないのだろうが

恐らく彼は私から席を奪ったという認識はないだろう。

たとえ、乗り過ごしていたとしても、私に対する負い目にはならないだろうし、

なにより、いまだ睡眠中であろう彼は乗り過ごしにすら気づいていない。


このまま、彼を見つめていても効果は無いだろう、次の手段を考えなければ。

発車時の音響、振動で目覚めなかった彼の事だ、多少咳き込んでみても効果は薄いだろう。


やりたくはないが、車内に響き渡る大音量のくしゃみをするか?、語尾に畜生が

付く盛大なやつだ。


以前、日常的にそれをしていた先輩社員を胸中では軽蔑していた手前、必要に迫られた

とは言え果たしてその真似をしたものだろうか。(無論今回は畜生まで付けるつもりは無いが)


また、咳はいくらでもできるだろうが、くしゃみの真似となると、やった事はない。

いきなりでそれらしく出来るだろうか。


私が子供のころ高視聴率を誇っていたコント番組の出演者が演じる酔っ払いおやじ

のくしゃみが流行ったが、それの様ではまずい。それでは、私が気まずい思いをしてしまい彼の

動揺を観察するどころでは無くなってしまう。


無論このまま何もせずに駅に着いてしまう位ならやらざるを得ないのだが、

まだ時間には余裕があるため何か妙案が無いか考えてもよいだろう。


と、ここで問題が発生した。決して小さくは無い問題だった。


私は初めから考えを巡らせている中でも常に視界には彼の姿を捉るようにしていた、

しかし何分もじっと顔を見つめていては流石に不自然だろう。


基本視界の片隅に彼を置き、大きな動きがあれば、すぐに彼自身を注視する、そして、

十秒に一度位の間隔で彼の顔を一瞬だけ確認する。と言うやり方をしていた。


そろそろと思い、一瞬だけ彼の顔に視線を移すと彼の目は開かれていた。


開かれていたのである!!


十数秒前、彼の顔を直に確認した際は相変わらず目は閉じられていた為、視線を彼の

周囲に外していた十数秒の間に目を開けたことになる。


しかし、彼の様子は平然とし、何一つ取り乱した様子がない。

むろん十数秒の間も視界には入っていたため、もし取り乱せば私が気づかないはずはない。


一体どういう事だろうか。何もしなくても目を覚ますと言う事は十分に有り得る。

家で昼寝をしている時でも、ふと目を覚ますことはよくある。

また夜中に急に目を覚ますと言う事も人によってはよくある事だろう。


しかし、問題はその後、彼の立場では先ず自分がどういう状況なのかあたりを見回す、若しくは

その素振りを見せる位はするのが普通だろうが、それすらしない。


百歩譲って、浅い眠りだった為か目を開けた時には既に自分がモノレールに乗っている

事を認識出来たとしても、意識がはっきりするにつれて外の景色が眠る前と逆に

流れていることに違和感を覚えるだろう。


彼が私の思っているよりずっと冷静なタイプだったとしても何のリアクションも無いと言う

事が果たしてあるのだろうか。


彼が目を開いて1分程すぎただろうか、相変わらず監視を続けているが特に変わった様子はない、

普通に羽田空港行きのモノレールに乗っている男がそこに居るだけだった。


車内に行き先を告げるアナウンスが流れ、彼の耳にも届いていることは言うまでもないが、

それでも彼の様子はまるで変化がない。


彼が目を開ける事は無論強く望んでいた。そしてその為に策を弄しながらも決行にすら至らず、

頓挫しかけていた所偶然にも彼が自分から目を覚ました。


僥倖と言っていいだろう、それ自体はたいへん喜ばしい事なのだが、それ自体が目的ではない。

問題はその後の彼の醜態である。それが見たくて私は自らの業務用ノートパソコンにあわやダメージを

与えるような急場の策を弄していたのだ。


その結果が、この有様である。特に何も起こらないとは・・

流石にこの事態は想定していなかった。


こうなれば切り替えるしかない、どんなに考えても結果は出てしまった。

彼が目を覚ましてあたふたする、それを見て楽しむという路線は不可能となってしまった。


この結果を基に、彼の行動を再び整理してみよう。


私が浜松町から乗車する際に私を追い抜いて先に私専用のシートに座ったという線は

この際除外する、これは考えるだけ無駄だろう。


やはり、彼は睡眠状態で元々乗っていたと考える線で行くべきだろう。


1.彼は浜松町以外の駅で上り、つまり浜松町行きのモノレールに乗った、恐らく浜松町で

  降りる予定だったのだろう。


2.浜松町に向かう途中で彼は眠ってしまう。


3.浜松町に到着したが、その時に目が覚めることは無かった。


4.彼以外の乗客は浜松町で降り、私を含めた乗客が乗り込む。


5.私が彼の姿を初めて確認する、そしてモノレールは発車した

  ここでも彼は目を覚まさなかった。


6.私が、何とか彼の目を覚まそうとジタバタするが、彼は平然と眠り続けた。


7.私の計画に関係なく彼は自然と目を覚ました。


8.目を覚ました彼は、私の予想(期待?)を裏切り、取り乱すこともなかった。


ここまでは、こんなものだろう、わざわざ整理するまでもなかったか。

ちなみに1.から3.までは完全に私の予想であるがかなりの確率で当たっているだろう。

それ以降は実際に観察した結果である。


問題は、この結果をどう解釈するか・・

彼は起きても驚かなかった・・

眠っている間に進行方向が逆になっていたのに・・

眠っていなかったなら驚かなくても不思議はない・・

起きていたなら何故浜松町で降りなかったのか・・

彼はどこに行きたいのか・・

もし羽田空港方面に行きたかったとしたら・・


また推理に没頭するあまり彼の姿を目に映しながらも認識していない、

しかし今となっては彼を監視する必要もない。彼のこれまでの行動を推測し、今後の

方針を決めなくてはならない。


思えば彼との出会いは初めから最悪だった、私が余裕をもって座れるだろうお気に入りのシートに

何故だか私より先に座っていた、この瞬間私が彼に抱いた印象は疑問と同時に嫌悪感だった。


それから先、何を考えるにしても、その彼への嫌悪感を重ねていた。

先ず彼憎しが先にあり、その上で彼の行動を推察し計画を立てていた。


この際、その負の感情をあえて切り離し彼を私とは何の関係もないただの一般人と仮定したら

どうだろうか。(実際にはその通りなのだが)


いや、それよりももし私が彼だったらと考えてみた方が良いかもしれない。


計画的に浜松町で降りずそのまま折り返し羽田空港方面に乗るとしたら

どんな場合だろうか。


そんな場合があるなら、目を覚ました時に驚かなくてもあり得ない話ではない。

それ以前に眠っていなかったという線も浮上する。


単に、目を閉じて考え事をしていただけか、もしくは眠ろうとしていたのだが、眠れず

あきらめて目を開いたのか。


自分だったら・・と考えていたら不意に、いつぞやの要領のいい先輩の話が頭をよぎる。

彼、と言っても例の彼ではなく要領のいい先輩のことで・・紛らわしいので先輩と言おう、

先輩は私と同じ路線で通勤しているため帰りが一緒になることがあった。


その際に、私の最寄り駅が特急の止まる駅の一つ先の駅であることから、毎朝

ひとつ前の駅で混むから座れない、とこぼしたところ先輩は少し早く家を出て

反対の電車で混む駅に行きそこから折り返せば座りやすいだろうと言った。

所謂折り返し乗車である。

※先輩の顔を潰さぬように話には同意したが実行はしなかったと明記しておく。


この話は今回のケースに当てはまらないだろうか。


彼は元々浜松町に行きたいのでは無く羽田空港方面に行きたかった。

彼が乗り込んだ駅は天王洲アイル駅だが、あえて浜松町行きに乗って

そのまま降りずに折り返して本来の目的地、恐らく羽田空港へ向かっている。


乗り込んだ駅を天王洲アイルと断定したのは隣の駅だからである、

それ以上離れていたらわざわざ折り返し乗車までしようとは思わないだろう。


折り返し乗車は不正乗車であり誰もが行っているとは思わないが、

彼が行っていないとは言い切れない。


ここに来て急に有力な新説が浮上してきた、これならば疑問は残らないだろう。

しかしそうなると問題は別の方向に動き出す。


先ほどまで私が彼に向けていた嫌悪感は私の気分の問題であり彼自身には何の疚しいことは

無い、ただ私の理不尽な言いがかりのような物だっただろう。

私の反撃が実らなくても私以外は誰も困らない。


しかし、今新たに浮上した説が正しいとするなら彼は不正乗車を行っており、

またその堂々とした振る舞いからして恐らく常習犯だろう。


この場合、正義の名の下に何者かが彼を断罪する必要がある。

そして現在彼の犯行を見破っているのは恐らく私だけなのではないだろうか


それはつまり、何者かが彼を断罪し、正義の鉄槌を下すとしたら今現在それが可能なのは

車内広しと言えど私をおいてほかにいないのではないか。


それは困る。元々私は彼の狼狽える姿を見て密かに勝ち誇れれば良くてここまで

やってきたのである。


急に物理的な行動が必要になるとは夢にも思わなかったし、そもそもそんなに

恨んじゃいない・・と言ってはお終いか、まあ多少の恨みはあるけど、

何も私人逮捕までしなければいけないのか。


しかし、そうと決まったわけではない、かなり弱いがまだ当初の単に寝過ごしたと言う線も

完全に死んだわけでは無い。


ようは、彼は目覚めたときに、逆方向に流れる車窓の景色に相当動揺した、がしかし

強靭な精神力でその動揺を表に出さず封じ込め注視していた私の目をもごまかすことに

成功した。


と言うのはどうだろうか・・やはり折り返し乗車の方が説得力があるだろう。

私の降りる駅は天王洲アイル、即ち次の駅であり、刻一刻と近付いている。


正義を実行するのであればその間に実行しなければならない、どうしたものか、

もし誤認逮捕となれば大変なことになる。


何とかもう少し強い証拠が得られないだろうか。しかし大掛かりな捜査をする時間も

権限もない、どうするか・・・


そうだ、次の天王洲アイル駅で彼が降りるか降りないか、これが一つの目安になるのではないだろうか。

もし、彼が降りたとしたら、折り返し乗車の線は消える、天王洲アイル駅で乗り、天王洲アイル駅で

降りるなど意味がない。

仮に彼が乗り込んだ駅が天王洲アイル駅意外だとしても、もっと意味がない。


しかも、天王洲アイル駅で降りた場合は消えたかに思えた寝過ごしの線が濃厚となる。

それは無論本来の目的地である浜松町に向かうため彼は降りて反対のホームに行く必要があるからだ。


そこに賭けてみよう、もし天王洲アイルで降りないようであれば彼の有罪は色濃くなるのだが、

私はそこで降りなくてはいけない。


残念ではあるが、彼の逮捕は残った乗客にお願いするしかない。

疑わしきは被告の利益、と言うように今の日本では犯罪者を取り逃がす事より冤罪を防ぐ方に

重きを置いている、それに倣い私もギリギリまで判断を避け彼が無罪であることに賭け、

その結果疑わしかった彼を取り逃がすことになってもそれは全く致し方のない事だろう。


さて、現在の彼は暢気に外を眺めている、少なくともまた眠ろうとはしていない。

ここでまた眠ろうとした場合、天王洲アイルで降りる意思が無いと思えるため、

彼の無罪を祈る私としては先ずは順調と言えるだろう。


私としても彼には無罪でいてほしい、無罪だが寝過ごしていて、私にそれがバレて欲しい。

そのためには、もし彼が天王洲アイルで降りた場合、改札を出ずに反対のホームの

行くのを見届ける必要がある。


天王洲アイルで降りた場合、もうほぼ寝過ごしは確定なのだが、その決定的な証拠は

押さえておきたい。


彼の慌てふためく姿を見ることはもうできないが、降りて改札に向かわず反対のホームに

向かうのは彼にとっても多少の屈辱感が伴う行為だろう、それを見届けることで良しとしよう。

私が見届けていることを彼が気づけばなお良いのだが、そこまでは期待できないだろう。


一時は窮地に立たされた気分だが、何とか落ち着いて来た、無意識に取り乱しては

いなかっただろうか。


それを見た彼が、何だあいつ、みたいに思っていたら・・

まずい、一時的に抑えていた彼への嫌悪感が再び鎌首をもたげて来た


いや、まずくは無いか、方針も決定したことだし、あとは彼が私をどう楽しませて

くれるかだけだろう。そこに嫌悪感があって邪魔になることは無い。


むしろ彼の醜態を楽しむにあたって事前に湧く嫌悪感は効果を高める言わばスパイスの如く

欠くべからざる物だろう。


覚醒した彼をそんなに見ていては不審感を持たれるだろう、確認すべきは

彼が次の駅で降りるか否かだ。


彼越しに窓の外を見ると見慣れた暗灰色の大きな建物が見えて来た、オフィスビル風では無く

ホテルなのか、地図で確認すればすぐに解るのだろうがそこまでの興味はない。

この建物が見えてきたと言う事は駅は近いと言う事だ。


幸い私は窓際に座る彼を程よい遠さから観察できる少し奥のシートに座っていたため

彼が降りたとしてもごく自然に彼の後ろから尾行することができる。


彼より先に出てしまうと何度も振り返る必要が出てきてしまい、何かと不都合だ。


速度はすでに落ちている。気の早い者なら席を立ち

ドアの方へ歩み寄るのだろうが車内にはまだ立ち上がる乗客はいなかった。


さらに速度は落ち車両は既に天王洲アイル駅ホームに入っている。

さあどうする彼よ、降りるならそろそろ立たないとまずいぞ。

他に降りる乗客は既にドアの前に立ドアが開くのを今や遅しと待っている。


立たない、彼はそのまま座している、車両は完全に停車している

いくら彼の席がドアの側と言えどあまりのんびりしては居られない筈だが。


もしかして、彼は降りないつもりか?やはり彼は折り返し乗車の咎人なのか、

いや、それよりも私だ。彼よりも奥にいる私も降りるならもう立たなくては

まずい。


しかしこの時私は内心、彼が降りるか降りないか完全に確認するためには

私が降りそびれても構わないとまで思い始めていた。


もし、このまま私と彼が二人とも乗り続けることになるならば、先述のとおり、

彼の折り返し乗車が確定し、私人逮捕するべきか、また悶々とする事に

なるのだが、それならばまだ良い。


一番最悪なのは、彼は降りたが、私だけ降りそびれるという事態だ。

これでは、彼の寝過ごしの決定的な証拠をつかみ損ねるだけでなく、私が

意味もなく一駅先まで乗らされるという物理的な被害に発展する。


現時点で彼が私を敵視しているとは思い難いため、彼がそれを狙っていると

は思えないが、用心のため念には念を入れて私はそれを予測して行動することにした。


あからさまに彼に反応して動いたのでは彼に、私が注目してますよ、と

伝えることに他ならず、それはそれで、問題ないと言えば無いのだが

彼の仕掛けにかかる形でこちらの意図を読まれる形となり多少面白くない。


今現在彼は私に嫌悪感で見られている事を自覚しているとは思えない。

彼がギリギリ最後に出ようとしているとしたら、それは特定の誰かを意識していると

言うわけでは無く、単に自分が一番最後に出ることで、誰にも自分の行動を見られ無くしたいと言う

用心深さから来る行動だろう。


ドアが開き前に立っていた他の乗客が外に出始める、不意に彼が立ち上がる、

来た!私も立ち上がる、第三者が見たらほぼ同時と見ただろう。


これで彼の無罪が証明された。しかしそれで済ます私ではない、ここまで来たからには

きっちりと見させてもらおう、彼が向かいのホームに向かう様を。


同時に立つ私の姿は彼の目にも留まったことだろう、彼が私を意識したとすれば、

この時が最初だろう。


6ホームにて


車外に出た私と彼との距離は五歩以上は離れていた、このペースを保てば問題ない

だろう。


私を除けば彼は最後尾で、その前方を歩く他の客たちは後ろで彼がどこに向かおうと

解るはずがない。


彼の寝過ごしはほぼ確定だろう、あとは再三言うが彼が

向かいのホームに足を向ける様を確認するのみなのだが、あえて欲を言えば

彼が、それを隠そうとしているのかそれが知りたい。


降りる際に、ドアに一番近い位置に座っていた彼は急ぐなら一番初めに降りられる

ドアの前に立つことも容易だったのに最後に出た、つまり誰にも行く先を悟られない

ように最後尾を狙ったと見える。やはり隠そうとしているのだろうか。


気が付くと知らぬ間に彼と私の距離は縮まっていた、私は特に歩くのが早いわけでは

無いのだが、いやむしろ遅い方だ。


もしや、と思い彼を観察するとやはり、彼の歩き方はちょっと不自然に遅かった。

明らかに私に追い抜かせようとしている。


これは!!確実に彼は私を意識し、私の後ろに着こうとしている。

つまり私に今後の行動を見せまいとしている。決まった、彼はやはり隠そうとしている。


湧きあがる喜びと同時に、この牛歩作戦をどう躱すかという重い問題に

どうしたものかと、これで何回目になるか思案に暮れた。


しかしあまり時間はない、こうしている間にも差は縮まっている。

一度抜いてしまえばもう取り返しはつかないだろう。


どうするか・・考えのまとまらないままついに並ばれた。

並ばれた、とは通常先にいる彼の側の言い分なのだろうが、この場合は私が

使用して良いだろう、何しろ遅い方が勝ちなのだ。


いくら何でも彼以上に遅く歩くのは不自然に過ぎる、彼のスピード自体が既に

不自然な遅さなのだ、それを上回る遅さで歩けば、彼に後ろから見てますよ、と告げているのに等しい。


並んだ彼の姿が次第に斜め後方へ消えてゆく・・ここまでか・・


最悪改札へ行くか、若しくは向かいのホームに行くかの分岐点となる場所で振り返り、彼の

動向を確認してもよいのだが、そこまであからさまな事をして勝利を収めても、

言わば反則勝ちのような気分と言うか最後にミソが付くというのだろうか、

後味が悪いし、なにより彼にも一矢報いた感を与えてしまう。絶対に避けなければいけない。


しかしどうしたら良いのか、まったく案が浮かばない、乗車してから今まで幾度となく

窮地をしのいできたが・・今や彼は完全に視界から消えてしまった。


これで良しとするしかないか・・と思い始めたその時、まさに天啓と言うのだろうか。

暗闇に光明が差し込むかの如く一つの考えが浮かび私は即座にコートの前を開けスーツの内ポケットから

携帯電話を取り出した。


着信があったわけではない、かけるわけでもない。

着信があったふりをして電話に出るふりをしたのである。無論立ち止まって。


いかに絶妙な遅さで歩いたとしても止まられてはひとたまりも無いだろう。

しかも、こちらは気の済むまで止まっていられる。


これに対抗するには彼も携帯を取り出すしか無いだろう、しかしそれをやってしまえば

こちらの完全勝利、彼にしてみれば白旗を上げるような物だろう。


私としても、彼がそのような手段に出たとしても、彼が電話を収めるまで何十分でも

根比べするという手もあるが、白旗を上げている者に追い打ちをかける様な真似を

私はしたくない、武士の情けと言うやつだ。そうなった場合私は携帯を収め彼の先を行くだろう。


その際あえて振り返り一瞥し、敗北に打ちひしがれた彼の表情を頂こう、そして

代わりに自信に満ち溢れた横顔と後ろ姿を残して行こう。


私の背中を見て彼が何を感じ学び取るか、そしてそれを今後の人生にどう生かすか、

それは彼の問題であり、私の関知するところでは無い。

勝者はただ背中で語るのみである。


存在しない相手に相槌を打つ私の背後から聴こえる足音が次第に大きくなって来る。

私は一人で会話をしながらごく自然に九十度右を向き、邪魔にならないように

壁際に避けた。


それは、後ろを通り過ぎる彼に背を向ける事になる。

私の性格からすれば、断腸の思いで前を通り過ぎる彼の渋面はぜひとも見たいところなのだが、

私も大胆な手を打った直後のせいか、少し気恥ずかしさが勝ってしまい

反射的に彼に顔をそむけてしまったのだ。こうした気の小さい部分は大いに反省し

今後に繋げなければならない。


背後を足音が右から左に過ぎてゆく、よし!再び後ろを取った。

持ち前の気の弱さが災いして通り過ぎる彼の敗北に打ちのめされた表情を確認することは

叶わなかったのだが、もしかしたら後ろを向く私の背に、身の毛もよだつ形相で呪詛の言葉を

それこそ押し殺すような小声で吐いていたかも知れなかったが、それを確認することは

出来なかった。仮にされていたとしても言わば蟷螂の斧、私には何のダメージにもならないだろう。


通り過ぎた彼の後を追わないわけにはいかないが、先程と同じ距離をとれば

また歩みの遅い彼に追いついてしまうだけだろう。


ここは念には念を入れて階段に差し掛かるまで待った方が良いだろう。

階段を上ると広い空間があり、そのまま前に進めば改札へとたどり着く、

そして、左に行くとトイレがあり、その先に反対側のホームへと降りる階段がある。


つまり、階段を上りきった後、彼が前に進むのではなく、左に進むのを

確認する必要があると言う事だ。


見ると彼は既に階段を上っている、こちらも追跡を開始だ。

少し余裕を持ちすぎたか、あまり距離を取りすぎて、私が階段を上りきった時に

彼の姿がどこにも見えないなんて事になっては大変だ。


少々慌てて携帯を折りたたみ内ポケットに収め、足早に彼を追った。


今となっては彼も完全に私を敵とみなしているだろう、しかし時すでに遅し、

私の絶妙とも言える反撃を受け、一歩一歩絞首台の階段を上るかの如く

絶望の歩を進めるしかなかった。


彼がそのように感じているのか確かなことは確認出来ないが、

彼の苦渋の靴音は私にとっては勝利をたたえる歓声の如く響いていた。


しかし先程は思いがけない反撃に肝を冷やす事になった。

車内にいた彼は単に寝ていただけであり、こちらからの攻撃だとか、

彼がそれを凌いだだとか、言ってみれば私が勝手に創作していただけの事で、

彼の意識は完全に私に向いてはいなかったはずなのだが、

先程の彼はまさに彼の意思で私に物理的な行動に出たわけである。


意図的に歩を緩め後ろを歩く私を意識的に先に行かせようとした。

こちらが先に彼に目を付け、行動に出る機械を伺っていたと言うのに、

先に行動に出られてしまった。


言わば寸止めルールの空手の試合中、ルール違反の直接加撃をも辞さない覚悟で

隙を伺っていたら、先に殴られてしまったようなものだろうか。


一度は狼狽え対処ができぬまま彼に優位を奪われたのだが、咄嗟の機転で

何とか逆転することができた。


彼にしてみれば、目覚めた時点で既に私にマークされていたとは思いもよらなかった

だろう。恐らくモノレールから降りる時点で自分より後ろにいた私をそこで初めて

認識したのだろう。


そして、自分より先に行かせたいと思い、意識的に歩を緩める、その計画通りに

私が彼を抜き去った時点ではまだ彼も私を特に敵視してはいなかっただろう。


しかし、急に携帯を取り出し立ち止まった私を見て、そこで初めて私を

計画の障害とみなしたのではないか。


ただ私がなぜ計画の邪魔をするのかその真意に辿り着けたのか、それには甚だ疑問が残る。

まさか私のように赤の他人の小さな失敗を生きる糧としてそれを得るために少なからぬ

手間をかける人間が居ようとはなかなか思い至るまい。


しかしその彼とて赤の他人に、しかも誰が気づくともしれぬ事を殊更、覆い隠さんと

少なからぬ手間をかけている、その行動の基は私と同じ精神構造と言って過言では無いだろう。


その精神構造をよこしまとするならば、私のそれはさらに増幅された邪悪とも言える

物なのかもしれない。

彼の邪、そして私の邪悪、この二者の差が今回の勝負の明暗を分けたと言えるだろう。


足早に階段を上る私の視線の先には今まさに最上段を踏む彼の姿があった。

そこには焦り、恐れ、そして屈辱が混然一体となった、私のような人間でないと

見ることの出来ない言うなれば負の思念の様なものが渦巻いていた。


これ程の物は久しく見ていない、私レベルまで堕ちた人間であれば今彼が発している思念の痕跡のみ

を頼りに彼を追跡することも可能だろう。それ程までに色濃く視認することが出来た。


階段を上りきった私はその思念を嗅ぐが如くごく自然に顔を僅かに左に向ける。

そこには当然の如く彼の背中があった。


長かった・・


いい形で決着を見ることが出来た。途中何度挫折しかけたことか。

やれば出来る、とか努力は報われる、等のような言葉は生理的に受け付けない性分の私ではあるが、

今回は本当に諦めなくてよかった。


こんな事があると努力も悪くないのではないかと血迷った考えがよぎる。

全くをもって良くない傾向だ、早く冷静にならなくては・・


冷静になってふとよぎる彼の最後の後ろ姿・・何か違和感があったような・・

もう決着は着いたのだし余計なことは考えずに余韻に浸ればよいのだが・・


浸ろうと思い最後の彼の後ろ姿を思い浮かべるのだが・・

なんだろう、何かが違う。その少し前の彼の姿はどうだったか。


彼の最後の後ろ姿、その前に見た彼の姿は、階段を上りきった時の後ろ姿・・


明らかに違う。最後に見た彼の後ろ姿と階段を上りきった時の後ろ姿、

二つの後ろ姿には明確な違和感がある。


私でないと気づかない違和感・・階段を上りきった時にはあったあの悍ましい

負の思念、それが最後に見た彼の後ろ姿には見えなかった。


正確に言えば多少は残っていたが、本来ならばさらに濃くなっていて然るべきものである。

それが薄くなるというレベルでは無くほぼ無くなっていた。


なんだ、これは・・


反射的に振り返り再び彼を見た。


世の中には後悔と言う言葉におびえる人が多いと思う。後悔だけはしたくない・・或いは

後悔しないように・・・のような言葉をよく聞く。


私は後悔はあるものだと思っている。何事かを決断する際に後悔しないように決めることは

難しい思う。


だから私は常に後悔しても良いと考えるようにしている。

リスクを取れば失敗するかもしれないし、二者択一すれば捨てた方が正解だったりもする。

そんな時はどうしたって後悔する、やめておけばよかった、こっちじゃなかったんだ・・

と悔いるのである。


失敗はしたくない、だが失敗したら後悔するのは仕方ないという事だ。

そういう意味で後悔はしても良い、と言うか仕方がないと思っている。


先述の後悔したくない・・と言う世間でよく聞く言葉は、別の言い方で言えば失敗したくない

と言い換えてもいいだろう。私にはその言い方の方がしっくりくるのだ。


やらなくて後悔すると言う事もある、これはリスクを取らなかったが、やればよかったと

後悔しているわけで、一見失敗したわけでは無いが後悔しているとも取れるが、

私に言わせれば、やらないという失敗を後悔している事になる。


そして、この時の私は、やってしまうと言う失策を後悔する事となった。

彼の後ろ姿がどうだろうとそのまま行けばよかったのだ。


しかし私は考える間もなく反射的に振り返ってしまったのだ・・


当然そこには彼の姿があった。彼の後ろ姿が・・・


わかりにくいが、階段の後彼は左折した、私は直進した。

つまり今彼を振り返って見たら、彼の側面が見えるべきなのである。(やや斜めではあるが)


しかし今見た彼は後ろ姿である、ここで再び階段の後左に行くと何があるか

思い返してみよう。


階段を上り、左に行くとトイレがあり、さらにその先には反対側のホームへと向かう

階段がある。


トイレ!!


彼はトイレに入ったのだ。


してやられた!!これは彼の乾坤一擲ともいえる最後のあがきだったのだ。


トイレに入ればまた、そこから出て改札に向かうのか、反対側のホームに

行くのか判断しなくてはならない。


無論状況証拠から、彼が向かいのホームに行くであろうことは疑いようも

無いのだが、私が携帯で一人芝居をするという茶番を演じてまで確認した

階段を上った後左に行く、と言う事の意味を台無しにされたのだ。


ここで、彼が出てくるまで待っても良いのだが、その場合下手をすると

引き分けに持ち込まれる可能性がある。


現状はまだ私の勝利である、しかし最後の最後に一矢報いられてしまったと言ったところだ。


下手にここで彼が出てくるまで待った場合、まだ居る私をみて驚き、再び強い敗北感に

打ちひしがれてくれれば良いが。


私を見ても驚かず、やっぱり思った通りお前(私)は私(彼)を監視していたんだな。

と確信されてしまい、私が抱える心の闇の片鱗を見られてしまったら。


これはもう、圧倒的勝利から同着一位に持ち込まれたようなものだ、

しかも追いつかれた私よりも追いついた彼の方が達成感が大きいだろう。


そうなって後悔するよりも、圧倒的勝利の可能性を捨てた後悔の方がマシだ。


改札に向けて歩く私の背中輝いていた達成感と興奮が入り混じった輝かしい程の

思念が急速に失われてゆく様が、見える人の目には見えていただろう。


恐らく見える者であろう彼にその姿を見られずに済んだ事は不幸中の幸いと

安堵するのみであった。


彼の放った最後の仕掛けはまさに賭けだった事だろう、私が彼の後ろ姿に

違和感を覚え振り向かなければ、不発に終わっていたのだ。


彼とて私が確実にもう一度振り向くとは確信していなかっただろう。

それでもやれるだけの事はやっておく、その執念が実を結んだわけだ。


彼にとってもその最後の賭けとも言える一撃は咄嗟に思いついたことだろう。

私の一人芝居に完膚なきまでに叩きのめされた彼は、失意と屈辱の憎悪を

燃やし階段を上り、断腸の思いで左に舵を取る、そこで目に入った男性用トイレのマーク、

彼にとってこれが天啓となり、まだ打つ手が有ったと気づいたわけだ。


もちろん、全てをひっくり返す大逆転ではないが、勝利に驕る私に冷水を浴びせるには

十分の効果である。


全ての希望を失い死の淵を彷徨うが如く歩を進めていた彼にしてみればそれだけの事でも

実行するに値する新たに生まれた淡い希望の光であったはずだ。


トイレに向かい90度左に方向転換した彼の背中からあの悍ましいまでの負の思念が

感じられなかったのはその希望の光が輝きを増すための糧として彼の負の思念を

すさまじい勢いで吸収した為だろう。


ちなみに私に対して背を向けている彼は、私がその誘いにかかった事は把握出来ていないはずだ。

つまり私が振りむく保証は何もない、もし振り向いたとしてもそれを彼がそれを

確認することは出来ないのだ。


そんな悪あがきのような一撃が私に直撃してしまったわけである。


私にはまだ改札を出た後かなりの距離を取り、彼には気づかれないようにトイレの入り口を

監視することもできたが、どうしてもそうする気にはなれなかった。


彼は最後に自分では成否を確認できない賭けの一撃を放ちトイレに消えた、

ならば私もあえて目に見える確認を放棄しても良いのではないか。

せめてもの敬意の証として。


改札を通るまでは敗北感にも似た重い気持ちに支配されかけていた私だったが、

改札を抜け、小洒落た街並みを歩く頃には足取りもいつしか軽いものになり、流れる音楽に

合わせて鼻歌交じりに歩を進めるまでになっていた。


なんだか気分が良くなってきた。今日は事務所に戻らずこの辺りで昼食としよう。

出来ればワインでも欲しいものだ。



7帰還


赤茶色の世界に包まれていた。眩しいほどの赤茶色である。

一転し世界は暗闇となる。元来人は暗闇を嫌う習性があると、どこかで聞いたような

憶えがあるが正確な情報では無かったのかもしれない。


なぜならこの暗闇は心地よい、このまま光のない世界に包まれるという贅沢を味わっていたい・・・

再び赤茶色が訪れる、不快だ。眩しい・・・目を閉じれば少しは和らぐだろうか。


しかし今、目を開けているのか、閉じているのか解らない、開けているようでもあり

閉じているようでもある。こんな状態が不思議と不思議ではない。


不明瞭。すべてが不明瞭なのだが、不快感は無い、この忌々しい赤茶色を除けば。


暗闇だ、やはり気分がいい、このままでいてくれ・・・

願いも空しくあっさりと赤茶色が訪れた、先ほどより間隔が短い。


不明瞭な記憶をたどると不快な赤茶色と心地よい暗闇は交互に訪れているようだった。


急に二つの世界が目まぐるしく交錯し始めた。黒、赤茶、黒、赤茶・・・

まるで点滅しているようだ。


不快感が爆発するように、私はその世界を一掃した。



8私の場合


目の前には無人のシートがありその背もたれの上には窓がある。

外を見ると高層とまではいかないが、それなりの高さの建物が次々と通り過ぎてゆく、

その陰から出たり入ったりと忙しい陽光が私の目を刺激する。

まるでストロボフラッシュライトを見ているようだ。


少し眠っていたようだ、数年ぶりに昔常駐していた関係会社の事務所に顔を出す事となり、

これまた数年ぶりに乗った東京モノレール。無論お気に入りの一人掛けシートである。


相も変わらず浜松町で乗り、天王洲アイルで降りるのだが、十年以上も昔の思い出に

浸っているうちに眠ってしまったらしい。


窓の外には見知らぬ風景が延々と流れている。

確かさっき例の暗灰色の建物を確認したような・・あれが見えたら天王洲アイルは

もうすぐなんだが・・


頭がはっきりするにつれ、状況が飲み込めて来た。

確か暗灰色の建物を確認した後に過去への夢想に入っていった・・

そして眠ってしまったらしい・・と言う事は・・


過ぎているな。


完全に。天王洲アイルを過ぎている。


私は寝過ごしてしまった。

天王洲アイルで降りる予定だったが、今はどこを走っているんだ?


どこだって良い、とにかく次の駅で降りれば良い。

そして反対のホームへ向かえば良いんだ、誰にも悟られずに・・


誰にも悟られずに・・ノウハウは有る。今まさにそれを復習したばかりではないか。

最後に出て、最後尾を歩き、後ろに人がいる場合は下手にゆっくり歩かずに

携帯で話すふりをしてやり過ごす、そして極めつけに階段を上った後は

一旦トイレに入り、これまでの経過をリセットする。


ここまでできれば、あとは大手を振って反対側のホームに行けばよいのだ。

しかし、次の駅はどこなのかもわからないし、天王洲アイルと同じように

トイレがあるのかも解らない。そこは賭けだがやるしかない。

彼も最後は賭けに出て私に一矢報いたではないか。


だが、彼に倣うとしたらそれ以前に、目覚めたときに何事もなかったかの如く

ふるまわねばならない。


まさに今だ。


そこで初めて自分が立ち上がり他の乗客の耳目を集めている事に気が付いた。

もうだめだ・・私にはもう誤魔化すようにこう言うしかなかった


出来るだけ小さく、しかし周りの人には聞こえる程には大きく。


「ね、寝過ごしか・・」


決して誤魔化せてはいないのだが、突然立ち上がり、辺りを見回した後では

そう言うしかなかった。


本当に・・ダメだなあ俺は。彼はすごかったんだなあ。


一人気まずい私と好奇の目で私を見る幾人かの客を乗せ、

モノレールはまだ名も知らぬ駅へ向かって嬉しそうに走っていった。


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