火の玉少女と王宮の騎士Ⅷ
当然ながら、武器らしい武器を持っていない俺が勝てるはずはなかった。
数十発の刺突を受け、立っているのがやっとという傷を負っている。
攻撃速度の差から手に持った金属塊付き棒では全く攻撃が当たらないのだ。
不意に、俺は地面に落ちていた槌を見つめる。どうしようもない、待っていれば死が訪れると言う状況で、欲しいと願っていたそれを、無自覚に見てしまったのだ。
素早く槌を回収したが、ライアスと思わしき薄茶色ローブの男は身動きもせず、俺が取るのを狙っているように様子を見ている。
槌を握った瞬間、奇妙な感触が体に襲いかかった。奇妙な吐き気、強い嫌悪感と高まる激情。
「カイト!」
ふと、我に返った俺は背後にいたミネアの存在に気付く。
「ここは危ない、早く逃げるんだ」
「危ないのはあんたの方よ! さっさと逃げなさい、そいつはあたしが相手をするわ」
ミネアが俺の前に踏み出した途端、ライアスらしき者は逃げていった。
どうにか危険は過ぎ去ったが、きっとライアスはもう一度来る事だろう。そうなる前に手を打つべきか。
「起きなさいよ」
「……」
「ふざけているの?」
次第に、意識が薄れていく。いくらあの状況で無理をしたかったとはいえ、少々無理をしすぎた感があった。
そこで意識が途切れ、俺は倒れる。
沈んだ意識は瞬時に覚醒した。
「大丈夫ですか?」
数人の男性が部屋から出ていくと、シアンだけが自室に残ったのだと理解する。
「あれからどれくらい経ったかな」
「えっと……つい先ほどにミネアちゃんからカイトさんの事を聞いて、すぐに治療をお願いしました……えっと、だから――」
「三十分前かぁ、ならまだ間に合うかな」
シアンは困惑していたが、今はそれを訂正する余裕する必要はなかった。急いでライアスの部屋へと向かわなければ。
「あの、行くつもりですか?」
「うん。たぶん、早くいかないともっと多くの人が悲しい思いをするから」
「カイトさんが死んじゃったら、私も悲しくなってしまいますよ」
「大丈夫。俺は死なないから、こんなところで死ぬんなら、シアンにも会えていないよ」
敗北を喫した、それでも俺は自分が異世界に現れた勇者――ではなくとも、主人公だと信じている。
この手にはあの槌がある。違和感やミネアの制止が気がかりではあったが、きっとそれこそが一歩先へと進む為の引き金のはずだ。
「カイトさん、勝てるんですか?」
「……俺が異世界から来たって、言ったよね」
「はい」シアンは短く返す。
「異世界に現れた奴って、総じて強いんだよ。俺もそう思っていて、勝てると高を括っていたよ。でも、実際は違った」
そこで間を開け、俺は地面に転がっている槌を眺めた。
「創作の世界だったら簡単だけど、俺にとってこれは現実なんだよ。だから、どれだけ痛い思いをしてでも、それを実現して見せるから」
それだけ言い、俺は槌を持ちあげ、部屋を出ようとする。
「それは使ってはいけません」
「どうして?」
「それは……その槌からはよくない気配がするんです。犠牲者さんが使って、暴走していたとも聞いています。カイトさんもそうなってしまったら――」
不意に笑ってしまった俺は、シアンの頭に手を載せ、くしゃくしゃになるまで撫でた。
「俺は深く考えていないから、きっと大丈夫だよ。それに、俺はこいつが妙に気に入っていてね、使ってみたいとも思っているから」
驚いた顔をしたシアンは、具体的に何かを言い返してくる事はなく、ここで会話が終了したのだと察する。
「じゃ、行ってくるよ」
部屋を飛び出した俺は、それまでの平静さを全て取りはらい、ライアスの部屋の前へと走った。
扉の前で深呼吸をした後、俺は槌で扉を粉砕し、内部へと侵入する。
「またお前――何だ、やはりお前が犯人だったのではないか」
「犯人の意味を取り違えているね。俺は初めから、犠牲者の命を奪ったお前の事だけを犯人だと思っていた」
ライアスは嘲り、「城の中では、殺人容疑者、不法侵入者という意味での犯人になっていたが、君は違っていたのか」などと言ってきた。
「そうだよ。暴走して、それを正当防衛で殺したとしても、そこまでする必要はなかった。気絶させるくらいで留めておけば、そこに正義はあったんだ」
壁に立てかけてある長剣を手に取ったライアスは、俺にその切っ先を向けてくる。
「戯言はここまでだ。無礼を働いた平民には、ここで死んでもらう」
「やっぱり、そのローブには僕の血が付いているね」
ライアスが振りかえった瞬間、俺は接近し、容赦なく一撃を加えた。
その一撃目は長剣によって弾かれるが、無事に長剣を叩き割り、一歩進展、という状況に移行する。
「貴様ッ――謀ったな」
「ローブに血が付いているのは事実だよ。俺があれほどまでに傷ついて、ようやく少しだけ付着させたんだから……この時代じゃクリーニングも洗濯機もないだろうし、三十分じゃ気付いても洗えない」
「クリーニング……洗濯機? 何の事だッ!」
返答せずに第二撃目を放ったが、ここに来て手段を選ばなくなったライアスは細剣を使い、滑らせるようにして俺の槌を受け流した。
「なぜ私だと断定できる」
「お前は事件当日に現れた。だから、お前が怪しいに決まっている!」
唖然としたライアスだったが、それはほんの一瞬だけであり、すぐに急所を狙った突きを打ちこんでくる。
しかし、俺はこれを待っていた。
ライアスの突きは既に何回も見ている。動体視力で追いつけなくても、体が勝手にその攻撃の軌道を覚えていてくれるのだ。
紙一重で刺突を回避した俺は野球のバッターのように、槌でライアスの腹をフルスイングする。
金属の鎧に命中し、ライアスの体は壁に激突し、手に握っていた細剣を地面に落とした。




