戦火の傷跡Ⅸ
突如の叫びに驚いたキャンプ内で、ニオだけがカイトの元へと訪れた。
「カイトさん、どうしたんですか?」
「叫びが……俺を……俺を恨んで……」
ニオは大きく息を吸い込んだ後、毛布を引き剥がす。
中には、過呼吸し、痙攣のように震えているカイトがいた。
「カイ……トさん?」
「俺は……俺は俺は……俺は殺してなんか……いない」
否定こそするが、誰よりも彼自身が殺人を犯した事を知っていた。
「カイトさん! カイトさんしっかりしてください!」
「俺は命を奪っていないんだ! なぁ、ニオなら分かるよね? ねぇ」
「何があったのかを話してください! 落ちついて、ゆっくりと」
「みんなが危なくて、《魔導式》で、殺して、逃げて、俺は殺して、退却で」
文章も言葉も支離滅裂で、事実を知らない人間からすれば何が起きたのかが全く伝わらない内容。
時系列までばらばらだからか、ニオすらもこの意味をどう解釈していいのかを悩み、言葉を止めた。
話そうとしているが、カイトの頭には赤い水たまりが明滅し、現実と妄想が混じりあっている。
「なんで……なんでこんなところにいるんだ! やめろ! 俺は殺してなんかいない!」
「カイトさん! 何もいませんよ!」
「やだ……やだ! やめてくれ! 俺はしたくてしたわけじゃ……」
ニオはカイトの頬を叩いた後、鳩尾に一撃を加えた。
次第にカイトの意識は揺らいでいき、そのままふっと消える。
しばらくするとカイトは目覚め、それと同時にベッドへと吐瀉物を出した。
「カイトさん、これ」
ニオから手渡された水を飲み、口の中に残った残留物を桶に吐き捨てると、ベッドから出る。
何もいわず、ニオは汚れたベッドのシーツを取り替え、テント内の換気を行った。
「カイトさん、何があったんですか?」
「…………」
「最後まで聞きます。だから、教えてください」
いつもと違い、柔らかい口調、静かな物腰でニオは問う。
「俺は……戦場で人を殺した。闇の国の人間だった。強力な術を使って、こちらの部隊を殲滅しようとしていた」
「はい」
「俺しか気付いていなかったから、近づいた。その時にはもう、防ぐ術はなかった。だから、殺すしかなかった」
「はい」
「でも、俺は殺したくなかったんだよ。どうにかして生かさなきゃいけないのに、俺は殺してしまった。奪ってしまった、人の命を」
ニオは何もいわず、カイトを抱きしめた。
「カイトさんは良い事をしたんですよ」
「……」
「カイトさんがそうしなければ、もっと多くの人が死んでいました」
「…………」
「それに、カイトさんがこんなに思い悩む事を、きっと殺された人はこれからもしていくはずでした。でも、それをしなくて済んだんですから」
「でも、奪った命は帰ってこない。失った人を悲しむ人はたくさんいるはずだよ」
「知らない人は原因を恨むんですよ」
カイトが顔を上げると、ニオは目線を逸らしていた。
「私は、誰がみんなを殺したのかを知りません。ですから、こんな戦争がなければ、って思ったんです」
「あれは俺の……」
「だから、誰がどうなるよりも、この戦争が早く終わって欲しい、そう思っているんですよ。そうすれば、こんな気持ちをする人はもう、いなくなりますから」
そこまで言われた時点で、カイトは顔を伏せる。
「ニオは、闇の国や魔物の事を恨んでいないのかい?」
「恨んでいますよ。それは当然ですよ。でも、戦争が終わって欲しいって気
持ちの方が強いです」
「……俺はもう人を殺したくない」
「私も、もう大切な人が死ぬところは見たくありません」
二人の中で、一つのピースが繋がった。
「俺の我が儘、聞いてくれるかな」
「いいですよ」
「……ニオ、結婚しよう。そして、二人で逃げよう」
カイトはカイトらしくもない、正義や道理から外れた事を選択する。
一度は言い出そうとし、大義故に押さえ込んだ言葉。
最初はニオを守りたいと願い、その言葉を考えた。
二度目は、自分を抱擁してくれる彼女と共にいたい。そして、この恐怖から逃れないという感情から吐き出された。
「いいですよ。二人で逃げましょうか」
「本当に……いいのかい?」
「ええ、私も守ってもらうだけじゃなくて、カイトさんを守りたいんですから」
そして、二人は戦場から逃亡した。
カイトが口にした通り、完全な我が儘として、この世界に来て初めての、子供としての意見。