歯壊
僕の彼女が虫歯になったらしい。すごく恥ずかしそうな顔をしながら、手慰みにスカートの裾をもじもじと握りしめながら、僕に向かって彼女はそう告白してきたんだ。私、虫歯が出来ちゃったみたいなの、って。とても可愛らしい声で。そんな彼女の告白を聞いて、僕はもちろん慌ててしまったね。だって僕らはまだ十六歳なんだよ。しかも――これはとても大事な事なんだけれど――僕らってまだキスしたことが無いんだ! なのに、どうして彼女が虫歯にならなければいけないんだ。それってすごくおかしいことだと僕は思うのだけれど。だってさ、確かに彼女は前に言っていたんだよ。私は生まれてから、今まで一度だってキスをしたことが無い。と、僕に向かって言っていたんだ。今まで一度もだよ? 親にだってその柔らかな薄桃色の唇を触れさせたことはないって言っていたんだ。だいたい虫歯っていうのは、親子間のキスによって、菌の移し渡しによって、それは初めて発症すると言う。彼女が今まで一度もキスをしたことが無いと言うのなら、そもそも彼女が虫歯になんかなるはずがないんだよ。それなのに彼女は虫歯になってしまったと言う。僕とも、そして親ともキスはしたことが無いと言うのに。彼女は甘いものだって食べないし、砂糖に対して並々ならぬ嫌悪感を抱いているから、彼女が虫歯になる要素なんて考えられない。だとしたらもう結論は一つしか浮かばないね。彼女は浮気をしたのさ。どことも知れない男とキスをして、たったその一度のキスで、彼女は虫歯になってしまったのだ。僕にはそうとしか想像できないね。そうなると、いったい誰が僕の大切な彼女の口の中に、菌を移したかって事なんだ。だって、他人の女を虫歯にさせるなんて、強姦罪で捕まってもおかしくはないほどに、最低な行為だと僕は思うんだ。だって彼女は、その男が移した虫歯の所為で、病院に行って虫歯を治療してもらわなきゃいけない。そしてこれからの人生でずっと、虫歯になるリスクを抱えながら生きていかなければならない。それがさ、愛し合っている恋人同士とかならいいんだ。虫歯を移し合う行為なんて当たり前なんだから。それが愛し合うと言う行為なのだから。でもさ、良く知らない浮気相手と、たった一度のキスで、虫歯を発症させたなんて言われて、それで僕はなんて言えばいい? もう僕は恋人の口の中を、知らない男に犯されたショックで鬱状態から立ち直れないよ。僕に寝取られ趣味なんかないからね。ただ、まあ彼女に虫歯が出来てしまった時点で、僕は責任を取らなければいけないんだ。だって僕は彼女の彼氏なんだもの。僕は彼女の歯に対して責任を持たなければいけない。僕は彼女と虫歯と一生付き合っていかなければならないし、彼女と僕の間にできた虫歯を、大切に付き合っていかなければいけない。それが彼氏である僕の役目なのだから。
ただ最近、虫歯が出来たことで、彼女の性格と言うか、意識みたいなのが大きく変わってしまったみたいなんだ。彼女は、毎朝、毎夜、僕の口の中を子細に調べるようになった。僕の中の粘膜を嫌らしく、ねちっこく、三十分間かけて眺めまわすようになったんだ。これってね、はっきり言って異常だよ。彼女は僕を椅子に縛り付けて、専用の器具で僕の口を開きっぱなしにして、それからいやらしい目つきでねちっこく、僕の口の中を調べる。最初は歯をなぞる程度なんだけれど、だんだんその行為がエスカレートしていき、舌をしごいたり、こしょこしょとくすぐったり、笑いながら僕の口の中を犯しにかかるんだ。けれど、少しだけ気持ちいなと僕が思ったら、彼女はその行為を止めてしまう。僕を焦らしているんだな。決して快感を味あわせない様に、僕がもどかしさに打ちひしがれるように、そうやって彼女は僕の口の中を犯すことに楽しみを見出しているんだ。彼女の性的な倒錯。自らの口の中を犯されたことで、彼女は人の口の中を犯す行為に快感を覚えてしまったわけだ。なんでそんなことになってしまったかって? そんなこと僕は知らないよ。だってそれは彼女の性的な倒錯なのだから。僕はただ彼女が満足するまで、椅子に縛られながら、恥ずかしい部分をさらけ出して、しごかれて、くすぐられて、悶えているだけなのだから。彼女は、多分さ、潜在的な変態だったんだろうね。それが見事、虫歯によってその才能を開花させてしまったというわけだ。でもね、彼女の優しい所は、そうした行為がすべて終わった後で、ちゃんと僕の歯を磨いてくれることなんだ。丁寧に。時間をかけて、まるで愛する子供の歯を、一つ一つ丁寧に磨く母親の様に、彼女は僕の歯を磨いてくれる。これが最高に気持ちいいんだよ。僕は思わず体を震わせながら、彼女の為すがままに成ってしまう。歯磨きなんて、大人がやるような性的行為なんだろうけれど、僕たちは十六歳にして、早くも歯磨きをしてしまったわけだ。なにせ、高校一年生の男子の中で、彼女と歯磨きをすると言うのは、いわば勲章みたいなものなのだ。勝ち組に属することが出来るほど、最高な行為なのだ。僕たち思春期の男子の会話と言えば、だいたいにおいて、好きな奴は誰だとか、彼女との自慢話だとか、性行為についての話だとか、異性についての生々しい話に行き着くわけだけれど、十六歳にして、愛する彼女と歯磨きをするなんて奴は、なかなかいないわけだ。そりゃクラスの中でもいけてる男子だとか、化粧をして男漁りに余念がない女子だとかは、すでに経験している事なのだろう。この国のカップル歯磨き行為の低年齢化だって問題になっている今、愛し合う歯磨行為をする高校生男女と言うのは、結構増えているのかもしれない。でもさ、結局僕はまだ、童貞なわけなんだよ。なにせ一方的に僕は犯されているだけだし、そもそも一番大事なキスをすると言う行為を、他の男に譲り渡してしまっているわけだから。僕はとんでもなく情けない、草食系男子というわけだ。草ばかり食ってるから、歯が平らになって、彼女に牙を向けられないわけだ。あーあ、情けなさすぎるぜ、まったく。
彼女の歯についての話に題を戻そう。彼女はある日、歯医者に行くと言うので僕を誘ったんだ。一人で行くのは怖いし初めてだし、せっかくできた虫歯を治さなくちゃいけないと言うのは、やはり彼女としても盛大な勇気のいる事らしいんだ。だから僕も付いて行った。良く知らない男とのキスで出来た虫歯の為に、僕は彼女に付いて行ったんだ。
彼女の歯の治療を担当するのは、どうやら年配のハゲた親父らしかった。こんな男に、彼女の口の中をじっくりたっぷりねっぷりいじらせなきゃならないなんて、本当に気が狂いそうだったけれど、僕はおとなしく彼女の歯の治療方針について、彼女と一緒におとなしく座りながら、ハゲ親父の説明を聞いていた。
「最近では、十六歳で初めて歯の治療に来る方も珍しくないんです。もちろん、怖いでしょうし、せっかくできた虫歯を直すなんて言うのは、生命に対する暴虐行為なんじゃないかなんて、悩む人も多いのですが、でもね、やっぱり虫歯と言うのは、きちんと大人になって、責任を持てるようになってから育てていかないといけなんです。だから、今回は治療させていただくんですが、何も心配することはありません。あなたには素敵な彼氏さんが付いているようだし、今後も虫歯を作る機会なんていっぱいあるんです。だから、深刻にならずに、リラックスして、いきましょう」
ハゲは必至で彼女をリラックスさせようとしていた。案外いいやつかもしれない。っていうか、医者なんだから当たり前なのだろうけれど、どうにも医者と言うのを、僕は信頼できないんだ。彼ら医者と言う職業の奴らは、圧倒的優位に立って僕らを救おうなんていう、いかにも聖職者みたいな立場で僕らに接して来るんだ。そんでびっくりするくらい高額な資金を請求するんだな。奇跡を起こした代償とやらを求めてくるんだ。イエスキリストもびっくりさ。でも、まあこのハゲは、そんな傲慢な態度もないし威厳もないし、なんだか目から純朴な青年のような輝かしさが溢れ出しているから、とりあえずは信用しようと思う。
彼女は二月間かけて虫歯を治した。ハゲのお墨付きをもらって、彼女は完璧な白い歯を取り戻していた。そして彼女の歯が治った日、僕らはベッドの上で向かい合って、歯についての話をしたんだ。
彼女の治された虫歯について。死んでしまった虫歯について。僕らは一晩中、ベッドの上で語り合った。彼女はずっと泣いていたし、僕にはそんな彼女に対して、慰めだったり、陳腐な言葉だったりで、慰めることなんて出来なかった。例え僕が何かを言ったところで、彼女はそんな僕の言葉で立ち直りなんかしなかっただろうし、僕の言葉にはいつだって、誰かを助けるためのエネルギーなんて、発することは出来ないのだ。だから僕はずっと黙って、彼女の頭を撫で続けながら、黙っていた。一晩中。彼女が泣きやむまで。そうして朝の日の光が、カーテンの隙間から僕らを突き刺してくる頃に、僕はようやく口を開いた。開かざるを得なかったんだ。
「君の虫歯のお葬式を開こう」
彼女は僕のその言葉に、一時間ほどたった後に、短く頷いた。
「やりましょう。お葬式」
彼女の虫歯のお葬式には、彼女の親戚や、家族、ごく親しい友人たちが集まり、しめやかに行われた。全員がしっかりと喪服を着て、彼女の虫歯を想い悼んでいた。彼女の虫歯はすでこの世から消え去っていて、その遺体すら無くなっていたので、僕らは彼女の虫歯だった部分の歯を抜いて、それを焼き、棺桶に入れたんだ。
彼女のための虫歯のお葬式は、滞りなく終わった。
「私はようやくわかった気がする」
彼女はお葬式が終わった後で、ぽつりと僕にそう漏らしたんだ。
「私たちは歯によって生かされてるのよ。歯によって思考し、歯が放つエネルギーによって生をまっとうしている。だって歯がなければ食物だって噛めないし、相手に噛みつくことだって出来ないし、上手く言葉を伝えることだって出来ない。だから私たちは歯を首脳として生きる生命体なのよ。今回の事でそれがはっきりとわかったわ」
僕は彼女のその言葉に対して何も言わなかった。それは見当違いだ何とかとかって、皆はそういう事を言うんだろうけれど、僕は彼女のその意見に納得してしまったからだ。例え僕らの考え方が常識とは大きくずれていたって、それが僕らの生き方なんだから、今更みんなの常識に合わせるのなんて、無理なんだよ。だから僕らは、歯を首脳とする生命体として、この社会の中で生きていかなければならない。君らからすれば、大きな見当違いをしているように見えるかもしれないけれど、僕らにとって歯とはとても大事なで神聖なものなんだ。僕らは歯が生えるようになってから、たくさん思考するようになり、歯が抜けていくたびに、老化していく。歯によって生かされている。だからもし今、君らに虫歯があるとしたなら、早急に治療した方が良い。それは脳を汚されているに等しいことなのだから。この世に歯を大事にしない人が多すぎるんだ。
そして自分の歯を決して好きな人以外に明け渡してもいけない。それはあなたの大事な人にこそ預けるべきものであって、大事な人以外とはキスをしてはいけない。こんな純情な考え方は、今の時代じゃ古臭い考え方なのかもしれないけどさ、自分の脳を他人にくちゃくちゃ舐められるなんて、想像すするだけで嫌だろう? 君の歯も、君の好きな人の歯も、大事にしなければいけないとても神聖なものなんだ。それは魂が生まれる場所なのだから。歯は君たちの中に住む、大事な生命体なのだから。或いはこの考え方は、ひどく見当違いな考え方なのだろうけれど。僕には彼女の考え方が、とても正しいことのように思えてならないんだ。歯は神聖なものであるべきなんだ。
SS速報で【見当違い】というお題を貰って書いた小説で御座います。
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