微睡む少女が孕んだ夢。
良くある話だ。
乙女ゲームの世界に転生した少女が無双で逆ハーレムを作り上げ、青春を謳歌する。
ヒロインに求められるのは性格が朗らかで、男子からの好意に鈍感で、誰からも愛される可愛らしい少女であることだ。
そんな人間、存在なんかしないのに。
「珠子、愛しています」
怜悧な美貌をみっともなく歪めて、副会長は甘く囁く。
「えっ、私も大好きだよ」
「おい、ふざけるな。珠子は俺のものだよ」
「ちょ、ちょっと、会長。珠ちゃんはモノじゃないよ。それに副会長より僕のほうが、珠ちゃんが好きなんだけど」
「………………珠子は、俺の」
「あはは、珠ちんは、俺のでしょぉ?」
腹黒敬語副生徒会長、鬼畜傲慢俺様会長、俺様小悪魔可愛い子庶務、無口男前ワンコ書記、緩々チャラ男会計。
極上の男たちは皆、私のことが好きだと言う。
楽しい。
ふふ、逆ハーレム万歳。
王道生徒会を舞台に繰り広げられる喜劇。
皆、私の手のひらで踊らされる愛しい愛しい彼氏候補たち。
「もう、喧嘩しないで?私は皆のことが大好きだよ」
恋愛パラメーターを確認、おっ、今好感度あがった。
ふふ、ワンコ書記は女慣れしてない分、チョロいな。
皆の頭上に出てくるパラメーターをちらりと確認し、好感度を調整しながら、今日も楽しい日々を過ごす。
なんて、思っていた頃もありました。
今?
ははは、四面楚歌と言う言葉が相応しい状況になっている。
可憐な美少女、三倉沙耶。
この女にヒロインの座を奪われました。
五月の半ば、颯爽と現れた転入生は愛嬌溢れる美少女だった。
私は脇役傍観なのにぃと彼らにとって謎の言葉を発する少女に男たちは鼻の下をデレデレにして、可愛い可愛いと愛玩動物のごとく愛でている。
だが、私を舐めるな。
これが世間で噂の脇役ヒロインか、と目星を付けた私はすぐさま行動に移した。
存在意義なくしては、人は生きてはいけない。
徹底的に邪魔をして、裏からも手を回し、一度は彼女を学園中の嫌われ者にしたはずだったのに、不死鳥の如く蘇り、彼女は攻略キャラたちを落としていく。
しかも、私のやったえげつない行為、全部ばれてしまった。
ジ・エンド。
クラスでも一匹狼の俺様不良、選挙管理委員長の和風美人を落として、周囲から攻めてくるとは思わなかったよ。
ネタばらしの後の皆のこちらを見る眼はツンドラ地帯で寒すぎる。
憎しみでギラギラと光る。
軽蔑しきった視線。
あー残念。
まったくもって、今までしてきたことがすべて無意味じゃないか。
きっと、好感度は地に這っているに違いない。
「あれ、見えない?」
パラメーターを見てやろうと思えば、いつもなら見ることが出来るのに、何も浮かび上がってこない。
選択肢もなくなっている。
「何言っているの?神楽さん、ここはね、ゲームの世界じゃないの。皆、ちゃんと生きているの。自分がヒロインだからって人の心を弄ぶなんて最低な行為だよっ」
――いやはや、ごもっともです。
「本当に貴女と言う人は、性根の腐った方ですね。自分がヒロインで、他者はすべて脇役だとでも思っているのですか」
ねちねちと嫌みを言ってくる銀髪の美女、もとい、副生徒会長様は神経質そうにノンフレームの眼鏡のずれを直しながら、私を睨む。
「もう、二度と僕たちの前に現われないでっ」
「……さい、あく」
「あー、俺、珠のことぉ、気に入っていたのになぁ」
乙女ゲームの主人公である私には、幸福が約束されている。
だって、私は選択肢を知っている。
彼らの過去も現在も、未来ですら私の手のひらなはずだった。
「何か、言うことはないか?」
――会長が、静かな眼で私を見ている。
言わねばならないことなど、何もなかった。
完全なる敗北である。
+++
靴箱のなかは紙屑やゴミが所狭しと占領し、中央にはご丁寧にも死ねと赤インクで書かれている。
毎日のことながら、このまめな仕業に御苦労さまと労いの言葉を掛けたくなるのは私だけではないだろう。
はぁ、と溜息を吐くが、いつものことなので、考え事をしていながらも、靴箱の中を掃除する手はとまらない。
ナイロン袋にゴミを詰め込み、除光液を取り出し、直接落書きされた箇所にぶっかけた後、ティシュで拭き取る。
どうせ、明日も同じようにされるのだから、半分くらい落ちたところで、まぁいいかと手を止めた。
それならば、掃除せずに放置するが利口なやり方だろう。
だが、一度、そのままにしていたら、親衛隊に呼び出されて、「生意気よ」と罵られたのだ。
ひとりでは何一つ出来ないチワワは基本的に群れで行動する。
数の暴力を文字通り実行しかねない彼女たち親衛隊に逆らうつもりはなかった。
だから、こうして、チワワ集団が鬱憤を晴らせるように靴箱を一々綺麗にしてやっているのだ。
首をこきこきと動かすと、バッグから内履きを取り出し、靴を履き替える。
元々履いていたお気に入りの靴は入れ替わりにバッグのなかに仕舞い込む。
流石に靴は高いので、これぐらいは勘弁してほしい。
あー、今日も一日が始まると背筋を伸ばす。
+++
巷では、便所飯が流行りらしい。
一緒に食事をする相手がおらず、一人で食事を取るところを他人に見られたくないという理由から、トイレの個室を食事の場所に選ぶ人種がいると言う。
だが、元々友達がおらず、学園総出で嫌われている身分からすれば、今更どう思われても構わない。
しかし、教室にいると、三倉沙耶を迎えに来る逆ハーレムのメンバーに絡まれる。もう放っておいてほしいのに、わざわざあっちから絡んでくるので迷惑この上ないのだ。
だから、昼休みの鐘が鳴ると、一目散に教室から出ていき、中庭の誰の近寄らない茂みの端っこで、黙々と昼食を取ることが習慣になりつつあった。
今日も、青々と靡く木々の下で、暖かな日差しを浴びながら、ゆっくりと食事に勤しむ。
「こんなところにいたのか」
明るい榛色の髪を無造作に流し、紺色のブレザーに、三年の証である深紅のネクタイをだらしなく緩ませ、長い足でチェックのズボンを履きこなす偉丈夫は、涼しげな眼元、高い鼻筋、皮肉気に歪められた唇、すべてのパーツのひとつひとつが精巧に作り上げられており、男らしい色気に満ちていた。
彼は我が学園の誇る生徒会長様であり、私が攻略しようと思ったキャラのひとりだ。
性格は傲慢にして横暴、つまりは俺様である。
まだ根に持っているのか。
学園では村八分にされ、寮では透明人間のごとく無視されているのだから、そろそろ許してくれないだろうか。
ともすれば、溜息を吐きたくなるのを堪え、私は無言で俯く。
反省しているふりである。
私はこんなにもあんたたちの報復に傷ついているというアピールである。
だが、彼は私の迫真の演技を完璧に無視し、勝手に私の隣を陣取り、私の食べかけの弁当を当たり前のように奪い、黙々と食事を開始した。
最早何も言わず、私は自分のバッグから、もう一つ弁当を取り出す。
この過程で私と会長に何があったのかは推測してほしい。
パカリと蓋を開けると、先程と同じ中身である。
肉団子、ホウレンソウ炒め、ミニトマト、卵焼き、私なりにがんばって作っている。
うん、卵焼き上手い。
「どうして、助けを乞わない?」
いつもは素知らぬ顔で、苛めを傍観している会長が言葉を零す。
この悪質な苛めの主導者は、生徒会だった。
プライドの高い彼らは、私ごときに惚れていたと言う事実が許せないのだろう。
「助け?」
じぃ、と彼の瞳を見つめると、現実ではありえないその色彩に、「ああ、やっぱり、ここはゲームの世界なのだな」と思い知らされる。
本当に何を考えているのだろう。
私の本性がばれたにも関わらず、彼は私の傍から離れない。
ちっ、と苛立ったように舌打ちする男に私はどうしていいかわからず、首を傾ける。
「もう、いい」
そう言うと、食事の終わった男は、私の膝に勝手に頭を置き、身体を横たわらせた。
女子高生の膝枕とはけしからん。
「撫でろ」
まだ食事中なんですがという言葉は呑み込む。
触らぬ神に祟りなしである。
柔らかい榛色の髪が日に当たり、キラキラと輝く。
蜂蜜みたいに濃厚な美味しそうな色だなぁと思った。
+++
「神楽さん、ちょっといい?」
珍しいこともあるものだ。
新ヒロインである三倉沙耶がわざわざ私を呼び止めるとは、何の用事だろう。
彼女は無言で柔らかな薄茶色の髪に指を絡めては外し、また絡めるという「きまずいな、どうしよう」と言ったような挙動不審な態度を先程から繰り返している。
私の真っ黒な髪と全然違うなと思って、じっと彼女を見る。
伏せる睫毛がふるりと震えた。
美少女は睫毛まで美しいのか、驚愕である。
だが、私もそろそろ帰りたい。忙しいのだ。
「何の用?」
「……」
「用がないなら帰るけど」
「……苛めが酷くなっているでしょ?生徒会の皆が親衛隊を煽っているの」
知っている。
そんなことをわざわざ忠告するためにこんな無駄な時間を過ごしているのか。
眉間に皺が寄っていく。
「私は、こんなこと望んでいないの」
「……」
「何か言って。私のこと、恨んでいるんでしょ?ヒロインである貴女が今じゃ学園の嫌われ者だもん」
何を言うのか。
渇いた笑顔を張り付けて、私は馬鹿みたいに笑った。
放課後の教室は、私たち以外誰もいない。
ガランとした机と椅子が並ぶだけの空間で、腹を掲げて嗤う元ヒロインに、怪訝な眼で制服の裾を掴んで立ち竦む現ヒロイン。
「やっぱり私を恨んでいるのね。でもね、確かに前世では乙女ゲーの攻略キャラかもしれないけど、彼らだって人格があるんだよ。この世界に転生した以上、私たちに彼らを弄ぶ権利なんてないんだからっ」
ヒロインでありながら、ヒロインの座を奪われた日。
あの日、私を襲ったのは悲しみでもなく、憎しみでもなかった。
湧き上がった衝動は紛れもなく歓喜だった。
もう、ここは私の知る世界ではない。
だって、世界は崩壊した。
三倉沙耶の手によって、彼らは選択権を手に入れた。
ならば、私は自由だった。
「ヒロイン」として無条件に好かれるわけもなく、「神楽珠子」として未来を見ることさえ可能だった。
本当に盲点だ。
まさか、こんな解決方法があったとは思わなかった。
「何か勘違いしているようだから言わせてもらうけれど、私は貴女を恨んでいないよ。三倉沙耶さん、私は確かに主観的だった。物事を自分の目でしか見られず、幼稚で浅慮で、嫌われても仕方がない。だって、私はこの世界が私のためにあるとすら思っていたもの」
「…………ならっ、皆に謝ろうよ。わたしから取り為すから。こんな酷い目にあっているの、わたし、もう見過ごせない」
「……いい」
「えっ?」
「後悔はしていないの。だから、私は謝らない」
――自分勝手だと言うのならば、勝手に言えばいい。
私にとって、彼らは必要だった。
そして、あの行動も私には必要だった。
「どうして?彼らは、まだ神楽さんのことが好きなのよ。好きだったから、傷ついた分だけどうしていいのかわからなくなって、こんなことしているの。だから、神楽さんが歩み寄ってくれれば、また」
――もう歩み寄るつもりはない。
「私は、今、己の行動の結果を甘んじて受け入れているわ」
それ以上を望まないでちょうだい。
薔薇色の人生の始まりに水を差された気がするから。
「話がそれだけなら、もう帰る」
――優しいヒロイン。
女の子はお砂糖とスパイスと素敵な何かで出来ている。
きっと素敵な何かは、バファリンの半分は優しさで出来ていると同意義で、一生私には関わりのないものだった。ふわふわ甘い彼女のための言葉なのだ。
ヒロインの素質をすべて兼ね揃えた三倉沙耶。
いるはずもないと思っていた聖人君子な女の子。
傷ついたのなら、貴女が癒してあげればいい。
私は、いつだって自分のことだけで精一杯だった。
+++
苛めは、どんどんエスカレートしていった。
「ちょっと聞いているの?」
豊満なメロンを揺らし、上目づかいでこちらを睨み付けてくる。
瞳がぎょろりと大きくて、睫毛もバサバサ。
プルプル震えそうな華奢な肢体、何とも可愛らしいチワワである。
チワワがキャンキャン鳴いても可愛いだけだ。
思わず口元に笑みが零れると、更に噛み付いてきて、大変だった。
飄々としている私が気に喰わないのだと言う。
とうとう、ある日の放課後、今は使われていない第二図書室に連れ込まれた。
チワワとその仲間である柄の悪い男が二人。
これは不味いと思って、逃げ出そうとしたら、右腕を掴まれ、そのまま引き摺られ、床の上に投げ出された。
ぼすんと鈍い音を立て、身体が硬質な床に沈む。
言葉にならぬ衝撃。
痛い。
あまりの出来事に眦には生理的な涙が浮かび上がった。
「はは、あんたが悪いんだよ。大人しくしないから、こんな目にあう」
棒きれのように細い両腕をネクタイで括り、身動きの取れぬように固定される。新緑色のネクタイは三年だ。
覚えていろ、このままで済ますものか。
「わりぃな、お前を犯れば、おこずかいがもらえるんでな」
ブラウスのボタンを外され、水玉のブラが露わになった。
ひぃ、と小さく漏れた悲鳴の振動によって、ふるりと両胸が揺れる。
乙女の柔肌を見るなんて、不躾者だ。
男の下腹部を思い切り蹴り飛ばす。
鳩尾に衝撃の走った男はくっと呻き声をあげ、その隙に逃げ出そうとした。
「このッ、人が優しくしておけば」
髪を掴まれると、思い切り引っ張られる。
額の皮膚が食い込む。
「自業自得よ、あんたなんて、犯されればいいわ」
チワワの顔が歪む。
ああ、折角の可愛らしい顔が台無しだ。
――絶体絶命の大ピンチだと言うにも関わらず、冷静な自分がいた。
「お前みたいな平凡、どうせ、生徒会の奴らに身体で奉仕でもしてたんだろ。俺にもしてくれよ」
「あはは、じゃなけりゃぁ、こんな女を隣に置かないもんな。相当すごいんだろーな」
男に伸し掛かられ、荒い鼻息が気持ち悪い。
ちょっと、こんな男たちにハジメテを奪われるのは嫌だな。
埃だらけの第二図書室は古書が中心に置かれているため、保管庫の役割を果たしている。その上、第三校舎の端っこにあるので、ほとんど訪れる者なんかいないのだ。
誰かが通りかかることは期待できない。
埃まみれの床で制服が汚れる。
「肌は、わりと綺麗だな」
滑る皮膚の熱さが、酷く不快だった。
吐き気がする。
喉がカラカラに乾き、潤いを求めたくなった。
+++
「そこまでだっ」
乱暴に扉が開かれる。
数人の足音が室内に流れ込む。
闖入者の存在にうろたえた男の動揺が手に取るように伝わる。
「随分、楽しそうなことをしているな」
刹那、目の前から下種な男が消えた。
本棚まで吹っ飛ばされ、書架にある本が雪崩のように男に襲いかかる。
「人の女に手を出しておいて、ただで済むと思ったわけではないだろう?」
数人の男が彼らを囲い込んだ。
「連れて行け、俺が行くまで可愛がっていろ」
「はい、会長」
イエッサー、規律の取れた統制のもと、足早に男たちを引き摺り、この場から姿を消す謎の集団。
私を襲った男たちは、きっと無事では済まないだろう。
ぼんやりと蹲っていると、無残な格好をした私を見て、会長が小さく舌打ちをする。
自分の着ているブレザーを脱ぐと、そのまま私の肩に掛けてくれた。
ふわりと微かに香る匂いは、甘く粉っぽい麝香で、彼の匂いがした。
何だか、この匂いを嗅ぐと安堵する。
「か、いちょう」
「助けに来た、間に合ってよかった」
「…………」
「頬が赤いな」
「………………」
「見せてみろ」
会長は努めて柔らかい口調を心掛け、私の頬を覗き込む。
「た、助けてくれてありがとうございます」
この人がいなければ、私は今頃薄汚い男どもの欲望に曝されていただろう。
命の恩人だ。
偶然、通りかかってくれて、本当に助かった。
「……本当にお前が無事でよかった」
……僅かな間。
折角の感動的な場面なのに。
ああ、ムクムクと猜疑心が顔を出す。
絶体絶命の乙女の大ピンチに助けてくれたヒーローに、感じたのは違和感だった。
「ず、いぶん、タイミングがいいですね?」
「……ああ、やっぱりばれたか」
「はっ?」
「俺がお前の行動を把握していないわけがないだろう」
ストーカー発言である。
ブレザーをぎゅっと握りしめる。
皺が出来るかもしれないが、そんなことを気にしていられなかった。
「な、ら、どうして、すぐに、助けて、くれなかったんですか?」
「俺はな、奴らの見当違いな馬鹿げた復讐劇に関与するつもりはない。周囲がすべて敵ならば、甘ったれな珠子のことだからすぐに助けてって俺に哀願するだろうと思って傍観してみた。だが、一向にお前は助けを求めない」
「……」
「これ以上は俺の我慢の限界だ」
深みのあるテノール。
抑揚のない声は何の感情も窺い知れない。
後ずさる。
なんだ、それは。
とんだ茶番ではないか。
「なぁ、珠子、お前はこんなときでも泣かないんだな」
――藤堂院鷹満。
酷く見目麗しい男だと人は言う。
人並み外れた美貌を持つ会長は殊更傲慢で残虐で、そして淋しい人間だった。
攻略度は初級で、比較的簡単に堕とすことのできる攻略キャラの一人である。
彼のルートの分岐点はまだ先のはずだった。
まだ好感度をあげきっていないし、ゲームではこんな展開もなかった。
何より、世界は破綻した。
私と彼にフラグはもう立たない。
「何を言っているの?」
ふふっと天然丸出しな少女の仮面を被り、私は微笑む。
彼は妖艶な女性を殊更嫌っていたから、破天荒で道理を知らないヒロインを好んだ。
常識知らずな無邪気な少女、そんな少女はゲームのなかでしか存在しない。
誤魔化せるはずがないと知りながら、一縷の望みを掛けて、媚を売ってみる。
「そうか、俺が知らないとでも思ったか。なぁ、男を舐めるのもいい加減にしたほういい」
――情報など腐るほど手に入る。
どんなつもりで、その言葉を紡ぎ出したのか。
最初の出会いなんて良くある話だ。
良くある王道生徒会の生徒会長。
――綺麗な瞳ですね、こんなに宝石みたいに綺麗な蒼い瞳なんて初めて見ました。
忌み嫌われた瞳を褒めたのは、好感度を上げるためのものでしかすぎなかった。
――私は好きです、「御曹司」でもなく「会長」でもなく、「貴方」が大好きです。
手を差し伸べたのは私、簡単に愛を囁いたのも私。
でもでもでも。
「わ、私は悪くないっ」
誰に私を責められようか。
だって、ここは乙女ゲームの世界だ。
男たちを翻弄して、好意を得る。
私はそのためにここにいる。
ならば、彼らは主人公である私のために存在しているのだ。
私は彼らに何をしてもいい。
その権利が私にはある。
理不尽なこの世界で、そう思わなければ、私はとっくの昔に発狂していただろう。
だから、だから。
「そうだな、お前は悪くはない。俺たちが勝手にお前に惹かれただけだ」
にやにやと嘲笑う会長の瞳は正気だった。
だからこそ、平然と理解出来ない言葉を紡ぐ彼が怖かった。
どうして。
なんで。
これは夢だ、悪い夢。
けれど、いくら瞼を瞬いても、この現実は変わらない。
「でもな、男の純情な恋心を踏み躙ったのならば、その責任は取らないといけない」
触れられた手は酷く冷たい。
「これは現実だ。お前はどうやら、現実をゲームか何かと勘違いしているようだから、ちゃんと教えてやろう。その空っぽな頭にちゃんと覚えこめよ?」
「……っ失礼な、ちゃんとわかっています。此処が現実だってこと」
「恋情に纏わるエトセトラ」の世界に転生した。
良くある王道学園で名だたる美形たちと恋をする、そんな良くある乙女ゲームの世界。
これは現実、そんなもの嫌というほど思い知っている。
「そう、これは現実だ。お前が襲われたことも、俺がこうしてお前に触れていることも」
「な、何が、言い、たいんです?」
「いつまで続くんだろうな?」
今日はこの男に助けてもらえた。
では、明日は?
明日が無事だったとしても、明後日は?
脅える毎日を過ごす?
手が震え、足が棒のように動かず、青褪める。
がちがちと歯の根の合わぬ音がする。
手のひらを見るとぶるぶると震えていて、私はようやく己が脅えているのと気付く。
「転校す……る」
「転校なんて非現実的だな。ここをやめて、転入するにしても、転籍証明書、成績証明書なんかが必要になる。だが、俺は許さない。俺にはそれだけの力がある。この学園をやめて、俺の傍から離れると言うのなら、再起不能になるまでお前の人生を潰してやる」
「じゃあ、どうしたらっ」
「お前はいつも考え過ぎだ。どうせ謝罪をしないのも、こんな見当違いな癇癪に付き合ってやっているのも、自分には謝る権利などないと思っているんだろうけど、そろそろ気付けよ」
「…………わ、わかりませんっ」
「本当にお前は仕方がないなぁ」
「か、会長」
「お前には、俺がいるだろう?」
唇が歪む。
あんなに酷いことをしたのに、会長の眼は慈愛の光に満ちていた。
なんで。
どうして。
「た、助けて」
自分でも思ってもいないほど、か細い声が喉の奥からするりと零れる。
「ふふ、そうだよ、お前を救えるのは俺だけだ」
つぅ、と頬に触れるその指は触れているだけなのに、酷く性的な匂いを醸し出す。
背筋がぞくりとした、それは快感ではない、恐怖だ。
「ようやく、俺を見たな」
狂気を翳したその嬉しそうな笑みがどうしようもなく怖かった。
見ている。
最初から、私はちゃんと貴方を見ている。
「見てる、ちゃんとちゃんと私は会長を見てる」
「ああ」
「か、会長。私は、見てるのに、本当の私を見てないのはあの人たちなのに」
「鷹満だ、呼んでみろ」
「……た、かみつ」
「そう、それでいい。あいつらのことなんか忘れろ」
「……」
「何を渋る必要がある?どうせ、あいつらには蛇蝎のごとく嫌われているだろう?学園の奴らも皆お前のことが嫌いだ。だから、俺にしておけ」
「…………酷いこと、言い、ます、ね」
「本当のことだ。ほら、返事は?」
「か、いちょう」
「鷹満だ」
顔を上げる。
視線が絡み合う。
欲望を孕んだ男の眼元が、ふっと綻んだ。
+++
放課後の生徒会室。
針の筵である。
私はどうやら会長の一存でまだ生徒会長補佐であるらしい。
俺の傍から離れるな、と言いながら、守ってくれるどころか敵だらけのこの部屋に連れてくるとはいかがなものか。
久し振りに訪れた生徒会室は相変わらず豪華で、とてもじゃないが、学校の一角とは思えない。白い瀟洒な壁の近くに置かれている皮張りのソファに座り、ガラス細工で誂えられたテーブルの上にある某フランス製のティーカップに入った紅茶を飲む。小悪魔会計である静間がフランスのお土産で買ってきた紅茶葉を使っているせいか、驚くほど上手い。
「ちょっと、優しいさぁやが紅茶をいれてくれたのにお礼も言えないの?」
三倉沙耶は、「私は優しくないよ」と頓珍漢なことを言ったかと思えば、何故か照れ始めた。
絶対に恨まれていますよねと言うような視線が四方から突き刺さる。
隣にいる会長は平然としている。
ちょっと、助けてくれないんですか。
「こいつに手を出したら、例え、お前らでも殺すぞ」
たった一言。
けれど、何よりも明確な敵意に彼らは顔色を変えた。
会長の実家は世界でも名立たる藤堂院財閥の本家で、いくら生徒会の皆だって本気で彼に逆らうことは難しかった。
「……本気ですかっ」
あの事件に関わった者は全員退学処分になった。
風の噂で実家も大変なことになっていると聞いた。
それが報復であることは誰の眼にも明らかだ。
だが、そのおかげで苛めは沈静化し、今は腫れもの扱いになっている。
そのことは彼らの耳にも入っているはずだ。
「この淫売っ。藤堂院を誑かしたのですかっ」
「…………み、そこなった」
ぴーちくぱーちく可愛くもない台詞ばかり。
私が反論しようとすれば、会長は私の手を握って、行動を制した。
「お前たちの目は節穴だな」
呆れたように足を組み、蛆虫でも見るかのような絶対零度の冷やかさで、会長は踏ん反り返って言った。
「最初から珠子は酷い女だったじゃないか。ずるくて甘ったれで、どうしようもなく自分だけが可愛くて、他人の感情に鈍感で、自分だけが世界で一番かわいそうだと嘆く、そんな女だったじゃないか」
唖然とする。
副会長は会長の顔を二度見し、自分の頬を抓っていた。
そうだね、仮にも好きな女に向かって言う言葉じゃないね。
確実に室内の温度は二三度さがっている。
「……か、会長言いすぎじゃない?」
会計が心底憐れんだ眼で私を見る。
彼はチャラ男だが、本当は女と言うものが怖いのだ。
私のことは可愛い妹分だと思っている節があったが、本性を知った今でさえもこうして庇ってくれることが不思議だった。
「そ、そんなに神楽さんが好きなんですか?」
三倉沙耶も青褪めながらも、突っ込むことを忘れない。
気弱に見えるが、芯の強い少女だ。
その他の生徒会役員たちは無言で事を見守っている。
皆がこの男の言葉にドン引きしていた。
そして、私はそれ以上に心を抉られている。
世の中には言い方というものがあるのだとこの男の両親は教えなかったのか。
「……会長、まだ騙されているの。僕ら、弄ばれたんだよ?」
「馬鹿な子ほど可愛いと言うだろう?俺はな、こんなどうしようもない人間の屑に惚れている。だから、静間、お前らは、これが今後誘惑してきても誘いにのるな。この女はもう俺のもので、俺を惑わせた責任を一生その身で償って貰うから」
愛が重い。
丁重にお断りしたい現実である。
+++
逢魔が時。
オレンジ色にグラデーションされた夕焼け。
二人きりの生徒会室。
あの後、私以外全員を部屋から追い出した会長は嬉々として私に言い寄っている。
「な、に、するんですか。ここは、学校です」
「安心しろ、俺のものっていう証を付けるだけだ」
「へ、んたい」
「変態で結構。だがな、俺はお前を逃がさんぞ」
学園では孤立し、頼りになるのは人格破綻者だけ。
あれ、詰んでいないか。
「俺に大人しく愛されていろ」
デジャブ。
もう遠い彼方の記憶。
画面の先で、二次元の彼が発した言葉と同じ言葉。
これは、会長ルートへ決定される分岐点での台詞ではなかっただろうか。
見えないはずの選択肢が脳裏に刻み込まれる。
→愛する?
→愛さない?
【選択肢を選んでください。】
→愛さない。
【エラー、エラー、エラー。】
→愛する?愛さない?
【「愛さない」を選択します。】
ピッ。
【愛する?愛…………ザ―、ザザザザザ、えらーです。エラーです。】
――これは現実?
「何よ、これ、初めから選択肢なんてないじゃない」
「そうだ、お前に選択権なんかない」
→愛する?愛する?愛する?
どうしたって考えずにいられないことがある。
【ザ、ザザザザザ、え、えらーで、でででです。】
ピ、ピピピピ。
私は頭がおかしいのかなって。
だって、普通はパラメーターや選択肢なんて見えないし、転生なんてあり得ない。
二次元にしかすぎないと思っているこの世界こそが真実で、私の頭がおかしいから、見えもしないものが見えたりしていて、そんな頭のおかしい私は、ありもしない妄想を前世の記憶だと思い込んでいるだけだったりして、そしたら、巻き込まれた周囲はとんだ不幸だなぁなんて思ったりもする。
【「愛する」を選択します。】
だって、今もまた、選択していないのに自動的に「愛する」が選択されている。
【「愛する」を選択しました。生徒会長ルートが確定しました。】
【副生徒会長ルートは排除します。書記ルートは排除します。会計ルートは排除します。】
【風紀委員長ル……ルルル-ト排除します。排除排除、現ルート固定、その他は排除します。】
あれ。
どうして、こんなにリアルなの。
脳裏に刻み込まれる機械声があまりにも本物みたいで。
やっぱり、これが現実なのかと青褪める。
「…………いや」
【排除しました。生徒会長ルート永久固定しました。】
「や、やだやだやだ、やめて、やめて、私はっ――――」
【ヒロインは世界に固定されます。】
くろ、しろ、あか、あお、いろんないろがあざやかで。
ちかちか。
ぱちぱち。
きみょうな、いような、ちいさな、おおきな、けいようできないひかりのなみがわたしをおそう。
「諦めろ。お前が俺を選ぶんじゃない。俺が、お前を選んだんだ」
世界が弾けた、その瞬間。
何故だか、もう駄目だと思った。
世界は私を手放すつもりなどない。
涙がボロボロと零れてくる。
嗚咽が止まらない。
――ああ、今すぐ失神出来たらいいのに。
けれど、こんな切羽詰まったときでも、私という女はどこまでも自分本位だった。
本当に性根が腐っている。
でも、会長はもっと性根が腐っていた。
「まだ諦めきれないなら、どんな手を使ってでも諦めさせてやるけど?」
全国一位の学力を持つ頭脳に世界有数の権力を持つ会長。
使えるものをすべて駆使し、躊躇なく私を追い詰める未来が容易に想像できてしまう。
頭をフル回転させ、少しでも自分に有利になるように考えを纏めようとした。
今までの経験上、この人を相手にするなら、あざとい真似をしても無理だ。
素直でいることが最善なのである。
「お、お友達から、お願いします」
差し出した手はみっともなく震えている。
きっと私の顔は涙と涎でぐちゃぐちゃに汚れ、子猿みたいに顔を真っ赤になっているだろう。
百年の恋だって醒めるような表情をしているのに、うっとりと見つめる会長はやっぱり変態だ。
こんなに綺麗な顔をしているのに、中身が残念なんて本当に惜しい。
腕を引っ張られ、彼の逞しい胸に引き寄せられる。
抵抗もせず、されるがままの私をぎゅうぎゅう抱き締めて、ようやく満足したのか、耳元に甘く囁かれた。
「お友達からか、可愛い誘いだな」
イイ笑顔だ。
鬼畜傲慢俺様生徒会長は伊達じゃない。
でも、これは、これこそは、紛れもなく現実だった。
私が「神楽珠子」である限り、この世界が何であれ、私は会長に囚われる。
――ああ、これは胡蝶の夢だ。
それは、あやふやな世界のなかで確定されたたったひとつの真実だった。
完。