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掌編小説

十五歩

作者: 斎藤康介

「十五歩だよ」と友人は言った。酒席での話だ。ちょうどビールを三杯飲んだあと、ハイボールに口を付けた時のことだった。


「十歩までは簡単に歩ける。次の五歩も何とか歩くことはできる。でもそこで足が止まる。暗闇の中で何かにぶつかるのではないかという恐怖、何かに躓くのではないかという恐怖。それに暗闇自体が持つ恐怖。そんないろいろなものが重なって絶対に歩けなくなる」


 目を瞑って歩けるか、という話だった。なぜそんな話になったのか、まったく覚えていない。あるいはその場の戯言だったのかもしれない。だが友人の言った「十五歩」という言葉が妙に頭の片隅に残った。

 その後、一時間ほどして店を出た。

 いつもならすぐにタクシーをつかまえるのだが、この日はどうしてか歩きたく、カバンから音楽プレイヤーを取り出してイヤホンを耳にさした。夜の街は本来ならば身震いする寒さであったが、アルコールで火照った身体には心地好い。またここから自宅まで歩いて四十分という距離も酔い覚ましにちょうど良かった。


 人とタクシーが通りに入り乱れている。だがイヤホンから流れる曲が、外界と私の意識とを完全に切り離し、その光景は他人事のように見えた。最近はもっぱら歌詞のない曲ばかり聴いており、いま流れているのはエリック・サティ『ジムノペディ』だった。

 第一番の「ゆっくりと悩める如く」人混みを歩く。そんな私にキャッチは誰も声を掛けてこなかった。車に注意しながら繁華街を抜けて橋を渡った。家まであと半分というところだ。曲は『ジムノペディ』が第三番まで終え、『犬のためのぶよぶよとした前奏曲』へと変わっていた。


 深夜のため車も人通りも少なくなった道を歩きながら、酒席での友人の言葉が蘇った。「十五歩だよ」と友人は言った。そしてそれ以上は「絶対に歩けなくなる」とも言った。月は雲間に隠れていたが、幸い街灯は道路に沿って等間隔に立ち、道は明るい。私は前後を見て人や障害がないことを確認し目を瞑った。先に出したのは右足だった。


(一・二・三・四・五……)


 左右の足を交互に前に出し歩く。ペースもいつもと変わらない。


(六・七・八……)


 酔いのため少し足元がおぼつかない感じを受けるが、それでも傍から見ればおかしな点はないだろう。


(九・十・十一・十二・十三・十四……)


 身体が左右に大きく揺れる。そして、確認をしたはずなのに目の前に電柱が迫っているような、また自転車が近づいて来ているのではないかという圧迫を感じた。暗闇が私の活動できる範囲を、確実に削っていく。周りには何もない。ただ闇だけが前後上下左右、あらゆる方向から私を囲っていた。


(十五)


 耐えきれず足を止め、目を開けた。

 しかし、目の前には電柱も、ましてや自転車を乗った人もいなかった。振り返れば、先ほどまで自分が立っていた場所が十五歩分の距離だけ後ろにあった。

 掌に滲んだ汗をズボンで拭いた。

 曲は『官僚的なソナチネ』に変わっていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 文章に、どんどん引き込まれていきました。 斎藤さんは読者の心を掴むのがお上手ですね^^ 素敵な作品を、ありがとうございました!!
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