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第28話 前編

扉に浮かんだ紋章が、鈍く光っていた。


小雨が降っていた空は、いつの間にか少しずつほどけていた。

雲の切れ間から、白の月明かりが差し込む。


その光が、風車の扉を静かに照らし出していた。


白の月明かりの下で浮かぶその古い印は、ただ光っているだけじゃない。

まるで、これからの様子を見ようとしているみたいに、静かに脈を打っていた。


「……ラファお姉ちゃん」


琥珀が小さく呼ぶ。


ラファは扉を見たまま、静かに応じた。


「反応は継続しています」


「でも……」


開かない。


確かに応じたはずなのに。

重く閉ざされたままの扉は、びくりとも動かなかった。


そのかわり。


足元から、ぞわ、と細かな震えが這い上がってくる。


石畳の下で何か大きなものが噛み合い直しているような、低い振動。

扉の奥からは、金属のこすれる鈍い軋みが絶えず響いていた。

押し返すような空気圧も、まだ消えていない。


正面に立っているだけで、胸の奥をじわじわ押される。


琥珀の耳が、ぴくりと揺れた。

しっぽも落ち着かずに揺れている。


「開かない、ね……」


「はい。ですが、拒絶だけではありません」


「えっ」


ロクスが低く声を漏らす。


すぐ動けるよう足を開いたまま、扉と琥珀たちを交互に見た。


「なんだよそれ。開かねえのに、まだ何かあるってのか」


ベルグは返事をしなかった。


白いひげの奥で口元を引き結び、扉の紋章と、その下を支える冷却機構を細く見ている。


管を流れる冷気は、まだ保っている。


けれど余裕はない。

大きな氷を芯にした機構の低いうなりが、張りつめた空気の下で鳴っていた。


琥珀は、ぎゅっと息を呑む。


胸の奥が、少しだけ早く打つ。


怖くないわけじゃない。


でも。


ここで止まりたくなかった。


「……行こう!」


ラファがすぐに頷く。


「はい」


琥珀とラファは手を繋いだまま、扉の前へ一歩出る。

繋いだ手とは反対の手を、そっと扉の前へ差し出した。


次の瞬間、二人の身体が淡く光をまとった。


「……っ」


ロクスが思わず息を呑む。

ベルグの目も細く見開かれる。


扉の紋章が、それに応じるようにひときわ強く光った。


ひゅ、と誰かが息を呑む音がした。


その光は扉の表面に広がるのではなく、するりと下へ落ちていく。


琥珀の足元。

ラファの足元。


二人を囲むように、淡い光の輪がふわりと現れた。


「ラファお姉ちゃん……!」


「大丈夫です。手を離さないでください」


「うん……!」


光の輪が、ふっと縮まる。


かと思った瞬間、今度は一気に立ち上がった。


足元からあふれた光が、二人の体を包み込む。


ロクスが前へ踏み出す。


「琥珀!」


だが、届かない。


光の中で、琥珀の耳が揺れる。

ラファの髪がふわりと浮く。


ほんの一瞬だけ、その場の音が消えた。


風も。

冷却機構のうなりも。

街の人たちの息遣いさえも。


世界そのものが、そこで一拍止まったみたいに。


そして。


す、と光が引く。


あとに残ったのは、まだ鈍く明滅している扉の紋章と、何もない空間だけだった。


そこにいたはずの二人の姿は、もうなかった。


「……は?」


ロクスの声が、遅れて落ちる。


誰もすぐには動けない。

理解が追いつかないまま、その場の空気だけが張りつめていく。


扉の前では、何事もなかったみたいに、冷却機構の低い音だけが鳴り続けていた。


カシャン、と遅れて音がした。


光に包まれる直前まで二人に繋がっていた管が、石畳の上へ落ちる。


「琥珀!」


はっと我に返ったように、ロクスが一歩踏み出す。


「待ちな!」


離れた場所から、鋭く声が飛ぶ。

ロクスの足が止まる。


「でも……!」


「信じるんだよ!」


声を張ったその一言が、ざわつきかけた場の空気をまっすぐ貫いた。


「今ここで持ち場を崩すんじゃないよ! あの子たちが戻る先まで崩したら、迎えられないだろう!」


ざわつきかけていた空気が、その声でぎりぎり踏みとどまる。


街の人たちも、息を呑んだまま扉を見つめていた。


ベルグは黙っていた。


その目だけが、消えた二人のいた場所と、扉の紋章、その足元で唸る冷却機構を順に追っていく。


大きな氷を芯にした仕組みは、まだ止まっていない。

低いうなりも、冷たさを保つ流れも、途切れてはいなかった。


「……切れとらん」


ぽつり、と落ちる。


「え?」


「反応が途切れたんじゃない。まだ、どこかで続いとる」


ロクスが扉を見る。


消えた二人の代わりに、そこには何もない空間と、鈍く明滅する古い印だけが残っていた。


「じゃあ……弾かれたんじゃねぇのか」


「分からん。じゃが、失敗した止まり方ではない」


その言葉のあと、誰もすぐには喋らなかった。


張りつめた空気の下で、冷却機構の低い音だけが鳴り続けている。


そのうなりが、ふっと遠のいた気がした。


人の息遣いも、湿った外気も、遠くなる。


代わりに、覆いの内側へ熱がじわりと溜まる。


息を吸うたび、喉の奥へ熱が張りついた。


「……ラファお姉ちゃん」


琥珀が小さく声を漏らす。


繋いだ手の感触は、ちゃんとそこにあった。


目の前には壁。


近い。

思ったよりずっと近くて、逃げ場のない硬い面が、すぐ前に立ちはだかっている。


「はい」


ラファの声も、すぐ隣から返ってくる。


二人は、手を繋いだまま壁の前に立っていた。


琥珀が息を呑む。


外とは違う。

空気が重い。


熱は前みたいにむき出しに焼きつくのではなく、覆いの内側へ逃げ場なく溜まり続けている感じがした。


「……ここ」


壁。

金属の継ぎ目。

熱の向こうに揺れる、見覚えのある面。


前に、見た。

あの時は苦しくて、ちゃんと追えなかった。

でも、確かに見た場所に近い。


「前回、琥珀ちゃんが話してくれた壁とはこれですか?」

「となるとここは二階でしょうか」


琥珀の耳が、ぴくりと揺れた。


あの時は、熱くて、苦しくて、足元もおぼつかなくて、見えているものを追うだけで精いっぱいだった。


でも今は違う。


息は苦しい。

熱もまだ強い。


それでも、前みたいにすぐ意識が遠のく感じはない。


衣装の内側にこもる熱はある。

けれど、前よりは保てる。


ちゃんと立てる。

ちゃんと見られる。


「前より……見える」


こぼすように言う。


ラファが頷いた。


「はい。対策は機能しています」


その一方で、ラファの目は冷静だった。


「ただし、長時間の滞在は推奨できません。活動継続は可能ですが、悠長にはできません」


琥珀は小さく頷く。


覆いの内側は、もう少しずつ熱を抱え始めていた。

背中にも、じんわりと汗がにじみ始めている。


前よりは動ける。

でも、ここが危険じゃなくなったわけじゃない。


ただ、前より“届く”ところに来ただけだ。


「うん……」


壁の前で、そっと息を整える。


ラファの手がまだ隣にある。

そのことが、前とは違った。


ひとりじゃない。


立ったまま、見られる。

受け取れる。


琥珀はゆっくりと壁を見上げた。


何もないように見える壁面は、熱の向こうで静かに沈黙していた。

けれど、ただの壁では終わらない気配があった。


琥珀が壁を見上げた、その時だった。


何もなかったはずの壁面に、ふわ、と淡い光が滲む。


「……っ」


小さく息を呑む。


熱の揺らぎの向こうで、白い粒子がひとつ、またひとつと浮かび上がっていく。


それは風に舞うようにも見えた。

けれど、風とは違う。


粒子は散らばらず、細い線をなぞるみたいに、壁の上をゆっくりと流れていく。


「動いてる……」


声は、ほとんど呟きだった。


ラファも壁を見つめたまま、静かに応じる。


「壁面に反応があります。視覚記録の再生に近い現象かもしれません」


琥珀の耳が、ぴくりと揺れる。


前に見た時は、苦しくて、絵が動いていたかどうかも分からなかった。

でも今は違う。


ちゃんと見られる。


粒子は壁の上を流れながら、何もなかった面に少しずつ形を浮かび上がらせていった。


最初に見えたのは、広い土地だった。


何もない。

建物も、風車も、まだない。

ただ静かな地面だけが、淡い線でそこに広がっている。


「……何もない」


「はい」


ラファも短く頷く。


けれど、その静けさは長く続かなかった。


壁の下の方。

地の奥を示すみたいな場所に、小さな赤い光が滲む。


炎、というよりは火種だった。


眠っていたものが、そこにずっと残っていたみたいに、赤い脈がかすかに打つ。


琥珀が思わず、しっぽを揺らす。


「あれ……」


粒子がその赤をなぞるたび、火種は少しずつ強くなっていく。


小さかった脈が、広がるのではなく、内側から膨らむ。


地面の線が、わずかに歪む。


静かだった土地が、その熱を抱えきれなくなっていく。


目に見えて燃え広がるわけじゃない。

なのに、落ち着いていたはずの場が、少しずつ保てなくなっていくのが分かった。


「……暴れてる」


「均衡が崩れているように見えます」


その時だった。


壁の上に、今度は二つの影が浮かぶ。


はっきりした姿ではない。

人らしきものが、二つ。


そう見える輪郭だった。


ひとつは人の形に近い。

もうひとつも人に見えるのに、どこか少しだけ違う。


それでも二つの影は並んでいた。

向かい合うのではなく、同じ方を見ている。


琥珀が、無意識にラファの手を少し強く握る。


壁の中の二つの影もまた、何かへ手を伸ばしていた。


戦うような動きじゃない。

壊すような動きでもない。


置く。

支える。

整える。


そんな動きだった。


粒子がその手元から広がり、今度は大きな形を描き始める。


柱。

巡る羽のようなもの。

流れを通す器のような構造。


風車そのものを言い切るほどはっきりしていないのに、それが“整えるためのもの”だと分かる形だった。


「……これ」


言葉は続かなかった。


壁の中で、その“整えるもの”が置かれた瞬間、荒れていた赤い脈が変わる。


消えたわけじゃない。

なくなったわけでもない。


けれど、暴れていたものが、ゆっくりと静まっていく。


歪んでいた地面の線が落ち着く。

張りつめていた場に、静けさが戻る。


何もない土地だった場所に、やっと“保たれている”空気が生まれる。


「……消したんじゃない」


ぽつり、と漏れる。


「静かにした、みたい」


「はい。止めたのではなく、整えたように見えます」


琥珀は壁を見つめたまま、ゆっくり息を吐く。


その時、壁の粒子がまた変わった。


静まったはずの光景の中で、白い線がひとすじ、下へ沈んでいく。


壁の奥へではない。

地の下へ。

もっと深い場所へ。


そこだけが、まだ終わっていないみたいに。


「……下だ」


琥珀の声が、自然に落ちる。


ラファも壁を見たまま、小さく頷く。


「はい。深部に、まだ何かある可能性が高いです」


その瞬間だった。


どこからか、声みたいなものが聞こえた。


「――――」


琥珀の耳が、ぴん、と立つ。


「え……?」


聞こえた。


そう思ったのに、次の瞬間には歯車の回る音が重なる。


金属の噛み合う音。

ピストンの押し返す音。

奥の方で何か大きなものが動く、鈍い響き。


声は、その全部に遮られて、言葉にはならなかった。


「ラファお姉ちゃん、今……」


「音声の断片を検知しました。ですが、判別は困難です」


琥珀は小さく息を呑む。


分からない。

何て言ったのかは、全然分からない。


それでも。


ただの音じゃない気がした。

呼ばれた、みたいだった。


「……まだ、先がある」


こぼすように言う。


覆いの内側には、また少しずつ熱が溜まり始めていた。

息をするたび、喉の奥が重い。


長くはここにいられない。


けれど、ここで見たものはもう消えない気がした。


壁の粒子が、ふっと揺れる。


さっきまで壁をなぞっていた光が、今度は少しずつ下へ落ち始める。


琥珀の足元。

ラファの足元。


白い粒子が、静かに集まり始めていた。


白い粒子が、足元でふっと揺れる。


「……っ」


琥珀が身を強ばらせる。


次の瞬間、視界がぶれた。


壁も。

熱の揺らぎも。

足元の感触さえ、するりとほどける。


思わずラファの手を握り直した、その直後だった。


湿った外気が、一気に覆いの外から押し寄せる。


冷却機構の低いうなり。

人の気配。

張りつめた空気。


「……戻った」


足元にあるのは、さっきまで見ていた硬い壁じゃない。

石畳だった。


「琥珀!」

「ラファ!」

「無事かい!」


琥珀とラファは、外の扉の前へ戻っていた。


さっきまで二人が消えていた、その場所へ。


けれど、声を返すより先に、ベルグが動く。


「じっとしとれ!」


低く鋭い声と一緒に、ベルグが二人のそばへ踏み込む。


落ちていた管を素早く拾い上げ、そのまま迷いなく二人の補助具へ繋ぎ直していく。


金具がかちり、と噛み合う。


次の瞬間、衣装の内側へ、冷たい流れがするりと入り込んだ。


「……っ」


覆いの内側にこもっていた熱の層が、そこでわずかに押し返される。


首元。

胸元。

背中の内側。


まとわりついていた重たい熱気のあいだを、冷たさが細く抜けていった。


一気に楽になるわけじゃない。

でも、息が少しだけ通る。


張りついていた苦しさが、ほんの少しほどける。


ラファにも同じように管が繋がる。

冷却機構の低いうなりが、二人へ戻ってくる。


ラファはすぐに琥珀を見る。


「琥珀ちゃん。冷却は戻っていますか」


「う、うん……」


まだ息は浅い。

それでもさっきよりは言葉が出た。


「少し、楽……」


ラファは小さく頷く。


「接続を確認しました。冷却補助は再開しています」


ベルグはそこでようやく短く息を吐いた。


「よし」


琥珀も短く呼吸を整える。


覆いの内側にはまだ熱が残っている。

けれど、冷たい流れが少しずつそれを崩していく。


完全に落ち着いたわけじゃない。

でも、立てる。

話せる。


「大丈夫……」


その一言で、場の緊張が少しだけ形を変える。


ロクスが一歩近づく。


「どこ行ってたんだよ! 急に消えたと思ったら……!」


ベルグはその横で、まだ二人の様子を見ていた。


無事か。

立てるか。

話せるか。


その確認を終えてから、ようやく問いを向ける。


「何があったんじゃ? 今回は前とはちと違う感じがしたが」


琥珀は短く息を吐く。

それから、ラファと一度だけ目を合わせる。


「見た」


その一言で、場の空気がまた締まる。


琥珀はまだ少し熱の残る息を整えながら答える。


「昔の、みたいだった。何もない土地に、火があって。それがだんだん強くなって……」


ロクスが眉を寄せる。


「火?」


「うん。でも、消したんじゃないの。整えて、静かにした感じだった」


ラファがその横で補う。


「壁面反応の記録から推測する限り、風車は火を止めるためではなく、均衡を保つために置かれた可能性があります」


ベルグの目が、わずかに細くなる。


「……整える、か」


低く落ちたその声のあと、ベルグは扉を見る。


「……わしらは、流れを通すことばかり見とった。その先で、どこに無理が溜まるかまでは見切れとらんかった、ということじゃな……」


その言葉に、ロクスも扉の方を見る。


さっきまで布を当て、風を通し、呼吸を整えてきた。

それは間違いではなかった。


けれど、ただ通せばいいわけでもなかったのだと、そこで初めて重みが変わる。


琥珀は続ける。


「それでね。最後に、光が下へ沈んでったの。壁の奥じゃなくて……もっと下」


「深部です」


ラファが即座に引き取る。


「内部のさらに下層に、まだ何かある可能性が高いです」


マーレが遠くから息を吐く。


「まだ奥があるってことかい」


「たぶん。まだ終わってない」


その言葉に、しばし誰も返さなかった。


扉の前の熱。

まだ唸っている冷却機構。

鈍く明滅する紋章。


全部が、その“まだ終わっていない”を裏打ちしていた。


「……二人だけを先に見せたんじゃな」


ぽつり、とベルグが言う。


ロクスが顔を向ける。


「なんだよ」


「扉は、あの二人にだけ先を見せた。じゃが、そのまま通したわけではない」


ベルグの視線が、琥珀とラファから、その周囲へゆっくり移る。


冷却機構。

布。

足場。

支えている街の人たち。

離れた場所から場を見ているマーレ。


「見せる役目は、あの二人だったんじゃろう。じゃが、先へ進むのに必要なのは、それだけでは足りんということじゃ」


その言葉に、場の空気が少しだけ変わる。


ロクスが無意識に、自分の足元を見る。

マーレもまた、扉と、その前にいる二人を見る。


ただ見守っているだけではない。

ここにいる全員が、何かしらで支えている。


そんな形が、そこで初めて言葉になった。


「で」


ロクスが低く息を吐く。


「どうする。引くのか、行くのか」


その問いは、勢いじゃなかった。

覚悟の確認だった。


今なら、一度引くこともできる。

見たものだけ持ち帰って、立て直す道もある。


でも、進むならここだ。


その重さが、短い言葉の中にちゃんとあった。


琥珀は扉を見る。


古い印は、まだそこにある。


前に引き込まれた時みたいな、ひとりで呑まれる感覚とは違う。


ラファの手が、今も隣にある。

背後には、ベルグとロクスがいる。

マーレもいる。

街の人たちも、支える側としてここに立っている。


琥珀は、ぎゅっとラファの手を握った。


「風車に呼ばれてる」


声は震えていなかった。


「でも、今度は一人じゃない」


小さく息を吸う。

それから、まっすぐ前を見た。


「みんなで行ける」


その言葉のあと、ラファが静かに頷く。


「はい。琥珀ちゃんの感覚は、先ほどの壁面反応とも一致しています。進む意味はあります」


ベルグが低く息を吐く。

ロクスは口元を引き締めたまま、短く頷く。


マーレは遠くから、けれどはっきり聞こえる声で言う。


「だったら、持ち場は決まりだよ! 無事に帰ってきな。 美味しいもん、たーくさん用意しとくから。 皆! 風月へ戻るよ。 また、手伝っておくれ」


誰かひとりだけの決意じゃない。

支える者も含めて、この場の向きがひとつになる。


次の瞬間だった。


鈍く明滅していた紋章が、ひときわ深く光る。


「……っ」


琥珀の耳が、ぴんと立つ。


さっきまでの反応とは違った。


二人だけへ向くような、細い選別の光じゃない。

もっと重い。

もっと広い。


その場にいる全員の覚悟を、扉そのものが確かめるみたいな光だった。


「来るぞい」


ベルグが低く言う。


ロクスが息を呑む。

マーレも遠くから扉を見据えたまま、言葉を挟まない。


古い印の光が、扉の表面をゆっくりと這っていく。


石の継ぎ目。

金属の縁。

中央の合わせ目。


まるで長い眠りの中で固まりきっていたものが、ひとつずつ目を覚ましていくみたいに。


その光が、扉全体へ染み込んだ時だった。


――ゴゥン。


腹の底へ落ちるような音がした。


石と金属の奥で、何か巨大なものが噛み合い直す。

足元が、ずん、と重く震える。


琥珀は反射的にラファの手を握り直した。


「ラファお姉ちゃん」

「はい」


ラファも扉を見たまま応じる。


「応答が変わりました」


「うん……」


今度は分かる。


これは、さっきみたいに二人だけを運ぶ反応じゃない。

扉そのものが、ようやく次の段階へ入ろうとしている。


ぎ、……ぎぎ……。


重い音が、ゆっくりと続く。


閉ざされた扉の合わせ目が、ほんのわずかに震えた。


それだけで終わるかと思った。

けれど、止まらない。


石と石が擦れ、金属がきしみ、長く封じられていた重みそのものが少しずつ動き始める。


「まだじゃ」


ベルグは短く返す。


「開いとるんじゃない。開かされとる最中じゃ」


扉は抵抗していた。


ただ重いんじゃない。

押し返すような圧が、まだ奥に残っている。


それでも、光は消えない。

冷却機構の低いうなりも止まらない。


街の人々が見守る中、扉は少しずつ、ほんの少しずつだけ、道を作り始めていた。


「……開いて」


こぼれる声は、小さかった。


願いみたいでいて、ただの願いではない。

ここまで整えてきたものが、やっと形になろうとしているのを、目の前で見ている声だった。


合わせ目の中央に、黒い隙間が生まれる。


針の先みたいに細いそれが、次の瞬間、一気に広がった。


「下がれ!」


ベルグの声が飛ぶ。


同時に。


ごうっ、と熱気が吹き出した。


「っ!」


覆いの内側にまで、一気に熱が押し込まれる。


さっきまでの外気とは比べものにならない。

扉の向こうから、溜まり続けていた熱そのものが噴き返してきたみたいだった。


石畳の上に残っていた湿り気が、目に見える勢いで消えていく。

地面の色が変わる。

空気が歪む。


近くの布の端が、熱を受けてばさりと鳴った。


ロクスが反射的に前へ出る。


「琥珀とラファは俺の後ろに!」


腕で熱を庇うようにしながら、二人の前へ身体を入れる。


考えて動いたんじゃない。

危ないと感じた瞬間、先に身体が出ていた。


マーレのいる後方まで、むわ、と押し寄せる熱の塊が届く。

街の人たちの間にも、思わず息を引く気配が走った。


ラファはすぐに琥珀を見る。


「琥珀ちゃん。冷却は保っています。ですが、内部熱は想定以上です」


「うん……」


苦しい。


でも、立てないほどじゃない。

繋がった冷却が、ぎりぎりで中を保っている。


それがなければ、今の一吹きだけでもかなり危なかったと分かる熱だった。


確かに、道はできた。


「まずは、馬力車に乗るんじゃ!」


ベルグがすぐに声を飛ばす。


琥珀とラファは頷き、そのまま馬力車へ向かう。

ベルグも続いて飛び乗る。


馬力車の上では、冷却機構がまだ低く唸っていた。


大きな氷は残っている。

けれど、揺れは少し不安定だ。


冷たい流れは続いている。

ただし、余裕があるわけではない。


「氷はまだ保っとる。じゃが、無茶はさせられん」


ベルグの手が素早く機構を確かめる。


管の接続。

氷の残り。

流れの揺れ。


どれもまだ生きている。


完璧じゃない。

でも、止まってもいない。


「冷却補助、継続中です。不安定さはありますが、機能は保持しています」


琥珀は馬力車の上から、扉の隙間を見る。


熱の奥。

歪む空気。


その向こうはまだ見えない。


けれど、確かにそこへ入るための道が生まれていた。


今は、隣にラファがいる。


そして。


これまで埋もれていた試作達も、もうただの試作じゃない。

ここへ来るまでに支えてきたもの。

今この場で応えているもの。


それぞれが、ひとつの役目を持って動いている。


その時だった。


キュィン――


機構のどこかで、小さな高い音が鳴る。


琥珀の耳が、ぴくりと揺れた。


それは壊れかけの音じゃない。

応える音だった。


琥珀はその音を聞いて、小さく息を吸う。


怖さが消えたわけじゃない。

熱も、拒みも、この先にある。


けれど今は、前みたいに一人で呑まれるだけじゃない。


支えるものがある。

応えるものがある。

そして、一緒に進む人がいる。


琥珀はラファの手を、もう一度しっかり握った。


「皆で行こう!」

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