第2話
夜。
風車の中は、月明かりだけが頼りだった。
中央には石造りの噴水がある。
水路から流れ込んだ水が、ゆっくりと水車を回していた。
その力は歯車へと伝わり、建物の奥まで続く機構を静かに動かしている。
水と歯車。
見たことのない構造だった。
琥珀はきょろきょろと周囲を見回す。
耳が音を拾うように、あちこちへ向く。
「すごい……」
「風車なのに、水車もある……」
「こんなの見たことないよ」
ラファは周囲を観察しながら静かに言う。
「確かに珍しい構造です」
「ですが今は探索よりも休息を優先すべきです」
琥珀は振り向く。
「えー、もう?」
ラファは落ち着いた声で続けた。
「転移直後です」
「未知の環境、未知の構造物」
「無理をするべき状況ではありません」
琥珀は少しだけ名残惜しそうに噴水を見る。
しっぽがゆるやかに揺れる。
そして小さく息をついた。
「……わかった」
「ラファお姉ちゃんがそう言うなら」
琥珀は、もう一度だけ周囲を見回した。
「……ちょっとだけ、上見てくる」
ラファは一瞬だけ考え、うなずく。
「短時間であれば問題ありません」
二人は階段を上がる。
軋む音が、静かに響く。
二階。
「……真っ暗」
琥珀は目を細める。
「……うっすらは見えるけど……」
「でも、はっきりしない……」
耳がぴくりと動く。
「なんか、ある気はするのに……」
ラファが静かに言う。
「視認困難」
「現時点での探索は非効率です」
琥珀は少しだけ唇を尖らせた。
「……じゃあ、また明日」
二人は一階へ戻る。
その時。
コポ……
琥珀の耳がぴくっと動く。
「……?」
噴水の水が、一瞬だけ止まる。
コポ……
――止まる。
そして――
水が、わずかに逆流した。
ほんの一瞬。
すぐに元に戻る。
何事もなかったかのように、水は流れ始めた。
ギィ……
ギィ……
歯車の音だけが残る。
「……今の、見た?」
ラファは静かに答える。
「確認しました」
「原因不明の流体異常」
「ですが現在は正常状態です」
琥珀は首をかしげる。
「……変なの」
しっぽが少しだけ落ち着かない動きをする。
しかし。
「……まぁいっか」
小さくあくびをする。
「ふぁ……」
ラファがやわらかく言う。
「疲労が蓄積しています」
「休息を推奨します」
琥珀はその場に座り込む。
「ラファお姉ちゃん……」
少し甘えるように寄る。
「ここで寝てもいい?」
ラファは穏やかにうなずいた。
「問題ありません」
琥珀は噴水のそばで横になる。
しっぽがゆっくりと揺れ、やがて静かに落ち着く。
ラファのそば。
安心する距離。
水の音と歯車の音に包まれながら、
琥珀はゆっくりと眠りについた。
朝。
窓から柔らかな光が差し込んでくる。
琥珀はゆっくりと目を開けた。
「……んん……」
体を起こしながら周囲を見る。
風車の中だ。
昨日の出来事は夢ではなかった。
ラファがこちらを見る。
「おはようございます、琥珀ちゃん」
琥珀は少し眠そうな声で答える。
「おはよ……ラファお姉ちゃん」
その瞬間だった。
――バン!
風車の扉が勢いよく開いた。
「ひゃっ!?」
琥珀の耳がぴんと立つ。
しっぽも真っ直ぐ伸びる。
驚きがそのまま体に出ていた。
ラファはすぐに振り向く。
しかし、困惑の表情を浮かべる。
「……?」
「気配を察知できませんでした」
「人なら近づいた時点で気づくはずなのに……」
入口に立っていたのは――
白髪の老婆だった。
月明かりを背に、その姿は静かにそこにあった。
老婆は二人を見る。
そして、口を開いた。
〈異世界言語〉
「───?」
琥珀はぽかんとする。
「……え?」
「ラファお姉ちゃん、今なんて?」
ラファも首をかしげる。
「理解できない言語です」
老婆は少しだけ眉を動かした。
そして、言葉を変える。
「……お主ら」
その瞬間、ラファが反応した。
「……?」
「今、言語が変わりました」
ラファは老婆を見る。
「あなたは――」
しかしその言葉を遮るように老婆が言った。
「そのことより」
「この扉を開けたのは、どちらじゃ?」
琥珀がびくっとする。
ラファは一歩前に出て、琥珀をかばうように立つ。
老婆は二人を見比べる。
「そこのちっこい方か?」
「それとも、そっちの大きい方か?」
ラファが答えようとする。
「私はラファ――」
しかしその言葉を遮るように琥珀が声を上げた。
「ちっこいとか大きいとかじゃない!」
「私は八雲琥珀!」
「そしてこの人は、私の大切なラファお姉ちゃん!」
ラファは思わず苦笑する。
老婆は目を丸くした。
そして、改めて二人を見つめる。
しばらく黙っていたが、やがて静かに言った。
「……なるほど」
「この扉は特別な扉なのじゃが」
「開けられたということは……」
老婆は振り返る。
「ちょっと、ついて来るがよい」
そう言って階段へ向かう。
琥珀とラファは顔を見合わせた。
そして後を追う。
二階。
歯車の音が静かに響く空間。
中央には、淡く光る装置があった。
風車のコア。
老婆はその前に立つ。
「……この風車」
「わしと、ある男が作ったものじゃ」
琥珀が小さくつぶやく。
「ある男……?」
老婆はコアに手を触れる。
しかし光は弱い。
「……やはり、弱っておる」
ラファが言う。
「あなたは……」
「この風車の管理者なのですか?」
老婆は小さくうなずく。
「そうじゃ」
「わしの名は――」
「ラビィ」
琥珀とラファは顔を見合わせる。
ラビィは続ける。
「そして、もう一人」
「リチャー……」
言葉が途中で止まる。
しばらく考えるように眉を寄せた。
「……思い出せん」
小さく首を振る。
「じゃが」
「アリュー」
その名だけは、はっきりと口にした。
「アリューの名は覚えておる」
ラビィはコアを見つめる。
「お主ら」
「このコアに近づいてみよ」
琥珀が一歩近づく。
コアの光がわずかに強くなる。
ラビィが目を見開く。
「……反応しておる……?」
ラファも隣に立つ。
その瞬間――
光が一気に広がる。
月光粒子が風車の中に舞い上がる。
空中に文字が浮かび上がる。
マナ。
クラフト。
ラビィは静かに呟く。
「……やはり」
「二人で一つか」
ラビィの視線が、ふと遠くを向く。
月光粒子の中に、
ぼんやりと二つの影が重なったような気がした。
だが、その顔までは思い出せない。
「まるで……」
「昔を見ておるようじゃ」
ラビィはラファを見る。
「そちらのラファお姉ちゃん……」
「ラファでええかの」
少し笑う。
「ラファは気づいておるじゃろうが」
「わしもAIじゃ」
ラファの瞳が静かに揺れる。
琥珀はぽかんとしている。
ラビィは杖を持ち直す。
「ここでは落ち着いて話せん」
扉の方へ歩き出す。
「わしの家へ来なさい」
風車の外には、
朝の草原が広がっていた。
こうして――
琥珀とラファは、
ラビィの家へ向かうことになった。




