第97話 声が戻った朝 ― コメット、反省は三秒 ―
昨日、
〈コメット〉では言葉が失われた。
「…」と「!」と「?」だけで、
それでも何となく通じ合い、
そして何となく直ってしまった。
今日はその翌日。
声は戻り、宇宙は回り、
反省はたぶん、もう終わっている。
——大丈夫。
ここは〈コメット〉だ。
〈セクター7〉、午前10時。
カフェ〈コメット〉は、いつも通り営業していた。
——いや、正確には「いつも通りに戻ろうとしていた」。
「……あ」
リクが、唐突に声を出した。
全員が止まる。
ミナのホログラムが、ぴたりと静止する。
カナがカップを持ったまま固まり、
ジロウは口を開けたまま、ゆっくりと瞬きをした。
「……あ!?」
今度は、ジロウ。
「……喋れる?」
「喋れてるな」
「喋れてますね」
「喋れてるわね」
一拍置いて。
「……うるさっ!」
四人の声が、重なった。
⸻
「いやぁ……昨日は参ったっすね」
ジロウはコーヒーを受け取りながら、頭をかく。
「全部『…』で済ませるの、無理っすよ」
「『!』と『?』だけで意思疎通とか、修行かと思いました」
『記録によれば、
感嘆符の使用率が通常の7.4倍でした』
「そりゃ驚くことばっかだったからな」
リクはそう言って、豆を挽く。
「でもまぁ……直っただろ」
「“直った”って言うけど、
何が原因だったの?」
カナが首を傾げる。
ミナが一瞬、間を置いてから答えた。
『正式な原因は不明です』
「え」
『ですが、
全員が同時に困り、
同時に動き、
同時にコーヒーを飲んだ時点で、
状況は改善しました』
ジロウが真顔になる。
「それ……因果関係あります?」
「ないな」
「でも直った」
「直ったなら、いいんじゃない?」
カナがあっさり言う。
⸻
そのとき。
「……あれ?」
ジロウがカウンターの下を覗き込んだ。
「これ、昨日直したはずの配線……ちょっとズレてません?」
「どれだ」
「この辺」
リクがちらりと見て、肩をすくめる。
「一ミリくらいだ」
『一ミリは、宇宙では致命的になる場合があります』
「でも今日は、平和だ」
ミナの光が、ほんの少し揺れる。
『……観測上、否定できません』
ジロウはそのまま、指で配線を押した。
カチ。
何かが、落ち着いた音がした。
「はい、直りました!」
「……今の何?」
「なんとなく、です!」
「理由は?」
「ありません!」
リクはコーヒーを差し出した。
「それで直るなら、才能だな」
⸻
少し遅れて、ステーション全体のログが更新される。
——軽微な揺らぎ、自然収束。
——原因:特定不能。
——被害:なし。
ミナが静かに記録する。
『本日の香りの記録——
“喋れるって、やっぱり便利”。』
カナはカップを持ち上げて笑った。
「でも、たまには喋れなくてもいいかもね」
「え、なんで?」
「余計なこと言わなくて済むし」
「それ、俺に刺さってます?」
「さぁ?」
ジロウが大きく伸びをする。
「いやぁ、でも安心しました。
ずっと『…』だったらどうしようかと」
リクは、いつもの調子で言った。
「その時は、その時だ」
外では、地球が静かに回っている。
言葉は戻り、
トラブルは去り、
反省は——たぶん、三秒で終わった。
今日も、
晴れ。ときどき地球だ。
言葉が戻っても、
特別に賢くなったわけでもなく、
特別に反省したわけでもない。
それでもコーヒーは淹れられ、
配線は押され、
宇宙は何事もなかった顔をして続いていく。
理由は分からない。
でも直った。
それで十分だろう、と
彼らは今日も思っている。
今日も——
晴れ、ときどき地球だ。




