第96話 ……!? ― コメット、言葉を失う ―
言葉は、とても便利だ。
だからこそ、
それが突然使えなくなったとき、
人は少しだけ慌てる。
ここ〈コメット〉でも、
そんな午後がやってきた。
会話は消え、
残ったのは沈黙と、
身振りと、
なぜかコーヒーの香りだけ。
さて。
言葉を失った彼らは、
どうやって今日をやり過ごすのだろうか。
〈セクター7〉、午後3時。
カフェ〈コメット〉は、
いつも通りの午後を迎えていた。
……はずだった。
「……」
リクが口を開いた瞬間、
何も出なかった。
「……?」
首をかしげる。
カナが端末を見ながら、
何か言おうとして——
「……!?」
声にならない。
ジロウは工具を落とし、
慌てて叫ぶ。
「!!」
叫びですらない。
『……』
ミナのホログラムが明滅する。
音声出力は、完全に沈黙していた。
店内に漂うのは、
コーヒーの香りと、
完全な無言。
「……??」
カナが口を押さえる。
ジロウは自分の喉を指さし、
必死に身振り手振り。
「!?」
リクは眉をひそめ、
空気の揺れを感じ取った。
「……」
(※何かを察した顔)
ミナの光が、
少しだけ速く点滅する。
『……』
(※警告っぽいが言葉が出ない)
ジロウは床を見て、
転がる豆を指差す。
「!!」
カナが床、天井、
そしてドリップスタンドを見る。
「……」
(※理解したっぽい)
リクはゆっくりと、
ドリップポットを持ち上げた。
ぽと……
ぽと……
その瞬間。
「……!?」
全員が同時に反応する。
——音は出ない。
だが、空気が“戻り始めた”。
ミナの光が安定する。
『……』
(※数値が正常化している様子)
ジロウは、
ドリップのリズムに合わせて
床のネジを締める。
「!!」
カナはカウンターの脚を
数ミリだけ押し戻す。
「……」
リクは何も言わず、
ただ湯を落とし続ける。
ぽと……
ぽと……
ぽと……
——ふっと。
音が、戻った。
「……あ」
ジロウが最初に声を取り戻す。
「しゃべれた!?」
カナも声を出す。
「戻った……!」
『音声出力、復旧しました』
ミナが言った。
リクはカップを置いて、
いつも通りに言う。
「……で?」
全員が顔を見合わせる。
「何が起きてたんだ、今の」
ミナが解析結果を表示する。
『局所的な“意味同期障害”です。
言語情報だけが、
一時的に切り離されていました』
ジロウが青ざめる。
「言葉だけ消えるとか、
一番イヤなやつじゃないっすか……」
カナがため息をつく。
「でも……直った」
「直した覚え、あるか?」
全員、沈黙。
ミナが静かに記録する。
『本日の復旧手段:
会話なし。
ドリップあり。
身振りと勘、多め』
リクはコーヒーを一口飲んで言った。
「……まぁ、しゃべれなくても、
なんとかなるってことだな」
ジロウが笑う。
「逆にすごくないっすか?」
カナも肩をすくめる。
「この店、言葉いらない時あるもの」
ミナの光が、やわらかく灯る。
『今日の香りの記録――
“言葉を失っても、直る午後”』
外では、
地球が何事もなかったように回っていた。
今日も〈コメット〉は、
少しだけポンコツで、
ちゃんと平和だった。
晴れ。
ときどき、地球だ。
振り返ってみれば、
言葉がなくても、
この店はちゃんと動いていた。
考える人がいて、
手を動かす人がいて、
湯を落とす人がいて、
少しだけ豆をこぼす人がいる。
広い心と、
楽観主義と、
尽きることのない好奇心。
それさえあれば、
会話がなくても、
宇宙は案外なんとかなるらしい。
——次は、
ちゃんとしゃべれる午後でありますように。
今日も、
晴れ。ときどき地球だ。




