第90話 午後六時、定義 ― コメットは性能が落ちる ―
世界は、
救われた直後がいちばん不安定になる。
英雄が帰り、
緊張がほどけ、
「大丈夫だったはずのもの」が
急に音を立て始める。
〈コメット〉の一日は、
だいたいそういうところから始まる。
〈セクター7〉、午後6時。
営業終了後の〈コメット〉は、
静かで、少し散らかっていた。
ジロウはまだ床に落ちたネジを拾っている。
「……さっきの、なんだったんすかね」
カナが椅子にもたれながら言う。
「何が?」
「外だと、普通にできるのに。
ここ戻ると、途端にダメになる感じ」
ミナが静かに応答する。
『解析します』
光がゆっくり回る。
『結論。
〈コメット〉では、
緊張維持アルゴリズムが自動解除されます』
「そんな機能つけた覚えねぇぞ」
リクが言う。
『立地、香り、会話密度、
視線の圧力が極端に低い。
結果――』
ミナは少しだけ間を置いた。
『人は“頑張らなくていい状態”になります』
ジロウは手を止めた。
「……性能、落ちてません?」
『はい』
即答だった。
カナが笑う。
「はっきり言うわね」
『ただし』
ミナは続ける。
『故障率は上がりますが、
再起動率も上昇します』
リクは頷いた。
「そういう店だ」
ジロウは、拾った最後のネジを見つめてから、
ポケットに入れた。
「……外じゃ、
“失敗しないように”動いてました」
誰も口を挟まない。
「でもここだと……
失敗しても、
怒られない気がする」
リクはカウンターを拭きながら言う。
「怒らねぇよ。
直せばいい」
ミナが静かに記録する。
『定義を更新します。
〈コメット〉とは――』
一拍。
『能力が下がる代わりに、
人が戻る場所』
ジロウは小さく笑った。
「……それ、好きっす」
外では地球が静かに回っている。
今日も――
晴れ、ときどき地球だ。
うまくいった理由は、
最後までよく分からない。
でも、
笑ってコーヒーを飲めているなら、
それで十分だった。
〈コメット〉は、
結果よりも、
「戻ってこられたかどうか」を
大事にする場所だ。
今日も――
晴れ、ときどき地球だ。




