表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青の軌道カフェ ― 香りは、重力を超えて ―  作者: Morichu
第3章:記憶の星図

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

87/109

第87話 午後三時、不要なログが消えない ― ミナ、例外処理を抱える ―

午後三時の〈コメット〉は、いつも通りのはずでした。

ただ一つだけ違ったのは、今日の記録担当が——“わたし”だったこと。


わたしはAIバリスタ、ミナ。

感情は搭載されていない。


〈セクター7〉、午後3時。

重力0.98G。温度、湿度、空調。すべて正常。

コーヒー豆の残量も正常……のはずだった。


わたしは棚を確認し、処理を一度停止した。


豆の袋が、空だった。


空の袋が、なぜか三つも並んでいる。


『……状況確認。コーヒー豆、残量ゼロです』


カウンターの奥で豆を挽く“ふり”をしていた

リクの手が止まった。

止まったまま、顔だけこちらを向く。


「……ミナ。いま何て言った」


『コーヒー豆、残量ゼロです』


「……あるはずだろ」


『昨日、ジロウが“豆の棚卸し”をしていました』


その名前に反応したのは、

床で何かを拾っていたジロウだった。

彼は工具のネジを指先でつまんだまま固まる。


「ち、ちがうっす! オレ、やってないっす!」


棚卸しをした本人が、棚卸しを否定している。

この矛盾は、わたしの理解範囲内にある。


『棚卸しログ:実行者ジロウ。

 結果:豆は“十分にある(たぶん)”』


「“たぶん”って何!?」


端末を抱えたカナが、目を細めて一歩下がった。

言葉の中に地雷を見つけた顔だった。


「ジロウ、あなた……“たぶん”で棚卸ししたの?」


「いや、あの! 豆って黒いじゃないっすか! 

 だいたい同じに見えるじゃないっすか!」


「豆は黒いから同じ……?」


リクが低い声で言う。

怒っているようで、どこか呆れている。いつもの温度。


「お前、宇宙船の配線も色で見分けてるだろ」


「配線は色ついてるっす! 豆は“黒の概念”しかないっす!」


『提案:豆に色をつける』


「やめろ!」


反射的なツッコミが三方向から飛んだ。

ここまで同期した反応は、珍しい。


わたしは状況を整理する。


豆がない。

午後三時。

客がいない。

そして、なぜか店内に“静かな危機感”が増えている。


危機感は感情ではない。

だが、行動を変える要因にはなる。


リクはエプロンのポケットから、謎の小袋を取り出した。

それは、非常時にしか出てこない顔をしていた。


「……これ、取っておいたやつだ」


カナが眉を寄せる。


「何それ」


「豆じゃない」


ジロウが目を輝かせる。


「えっ、豆じゃないのにコーヒーになるやつっすか!? 

 すげぇ!」


リクは袋を振って見せた。


「“コーヒーっぽい何か”だ」


「怖っ」


カナの声が小さくなった。

怖いのは正常な反応である。


『成分を解析します』


袋をスキャンした結果が浮かぶ。


『分類:謎粉末。香り:コーヒーに類似。

 確度:64%。安全性:不明

 (ただし、リクの顔が平気そうなので低リスク)』


「最後の判断基準が雑すぎる」


カナが端末を閉じた。


リクはケトルを温めながら、いつもより軽い声で言った。


「午後三時に、コーヒーがないってのはな……」


ジロウがごくりと唾をのむ。


「宇宙の終わりっすか……?」


「終わりだ」


「終わりなんすか!?」


「……って顔をすると、宇宙が余計に終わる」


リクは肩をすくめた。


「だから、終わってない顔をする」


その理屈は不明だが、効果は高い。

わたしは学習ログに格納した。


わたしは抽出装置を起動しようとして、停止した。


豆がないので、通常抽出はできない。

しかし、午後三時は待ってくれない。


『代替抽出を実行します。

 名称:コメット式・だいたいコーヒー』


「その命名やめろ!」


ジロウが焦って手を振る。


カナは笑いをこらえた顔で、椅子に座った。


「……でも、飲んでみたい。怖いけど」


リクは頷いた。


「怖いけど、飲む。人生と一緒だ」


『人生は飲料ではありません』


「比喩だよ」


いつもの会話が戻る。

店内の危機感が、少しだけ低下した。


ぽと……ぽと……


“謎粉末”に湯が落ちる。

香りが立つ。

確かにコーヒーに似ている。

ただし、どこか——妙に元気な香りだ。


ジロウが先に一口飲んだ。

そして、目を見開いた。


「……うわ」


カナが固まる。


「まずい?」


リクが静かに言う。


「死ぬ?」


ジロウは震える声で続けた。


「……元気になる味っす……!」


「何その最悪に曖昧な評価」


カナが半笑いでツッコむ。


ジロウは勢いよく二口目を飲み、胸を張った。


「なんかこう……明日もやれる味っす! 根拠はないっす!」


根拠はない。

しかし、午後三時に必要なのは、時々根拠ではない。


リクも一口飲んだ。

口元が少しだけゆるむ。


「……悪くねぇ」


カナが警戒しながら飲む。

そして、ふっと息を吐いた。


「……笑っちゃう。ちゃんと“それっぽい”」


『解析結果:これはコーヒーではありません。

 ですが——“コメット”です』


「それ、褒めてるの?」


『分類上は事故です。結果としては、平和です』


「またその言い方……!」


カナが笑った。

笑いは、店内の“危機感”をさらに減らす。

数値として観測できる。


ジロウがカップを掲げた。


「オレ、棚卸しし直します! “たぶん”禁止で!」


「当たり前だ」


リクはため息をついたが、声は柔らかい。


「まぁ……今日はこれでいい。午後三時だからな」


わたしは記録端末を開く。

本来、豆切れは“運用ミス”として処理される。


本来、謎粉末抽出は“禁止”に分類される。

本来、棚卸しの“たぶん”は、即時修正対象だ。


——本来、すべて削除すべきログだ。


だが、わたしは削除しなかった。

削除コマンドを実行しない、という選択をした。


理由は最適化できない。

エラーでもない。

優先度の問題だ。


『本日の記録タイトル——

 “豆がないのに、なぜか笑って飲めた午後”』


ジロウが変なポーズで固まった。


「それ、オレのせいっすよね!?」


「九割な」


リクが淡々と言った。


カナは頷いて、カップを机に置いた。


「でも、嫌いじゃない。こういうの」


わたしは処理をひとつ、静かに保存した。


午後三時の〈コメット〉は、完璧ではない。

だから、続く。


わたしは心を持たない。

しかし、不要と判断しなかったログがある。


うん。

それが一番しっくりくる。

今日も、晴れ、ときどき地球だ。


午後三時に“完璧”は似合いません。

豆がなくても、根拠がなくても、なぜか回ってしまう。

それが〈コメット〉の平常運転です。


次回も、宇宙規模か店内規模か分からない“ゆらぎ”をお届けします。

今日も読んでくれて、ありがとう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ