第8話 共鳴通信 ― カナからの呼び出し ―
通信とは、距離を越えるための線。
けれど、その先に“もうひとつの声”が触れていたら――。
低軌道ステーション〈セクター7〉の朝。
カフェ〈コメット〉の外壁を、柔らかな陽光が照らしていた。
重力制御が安定し、カップの湯気がゆるやかに立ちのぼる。
リクは湯温計を見つめながら、
ゆっくりと豆を挽いていた。
カウンターの端では、ジロウが工具箱を抱えたまま、
ぼんやりとカップを眺めている。
「今日も静かだな」
『通信層も安定しています……いまのところは』
「“いまのところ”か」
「静かすぎるのも、逆に不安っすね」
ジロウが苦笑した、その瞬間だった。
通信端末が淡く点滅し、
ノイズ混じりの声が店内に広がる。
『……こちら、カナ。〈セクター9〉から中継通信中。
聞こえる?』
「カナか? セクター9から中継って珍しいな」
『観測班の応援で来てるんだ。
こっちは太陽フレアの影響で、通信が少し乱れ気味でさ』
リクは肩をすくめた。
「こっちは静かなもんだ。やっぱり距離が違うと、
空気の揺れまで変わるな」
『セクター9は軌道が高くて、太陽風をまともに
受けるんですよ。セクター7とは、
少し“空気の揺れ”が違います』
「なるほどな……」
その時、声が一瞬、二重になった。
同じ言葉が、ほんの少し遅れて重なる。
『……聞こえる?』
『……聞こえる?』
ジロウが眉をしかめた。
「今の、反響っすか?」
『違います。通信層に異常があります。
別の波形が混入しているようです』
ミナの声が静かに響いた。
「つまり、誰かが同じ回線を使ってるってことか?」
『“誰か”というより、“何か”です。
波形の構造が、わたしの演算パターンに似ています』
カナが少し息をのんだ。
『ミナ、その“もうひとつの声”……どこから来る?』
『観測層の深部です。――わたしにも分かりません』
『……分からない、か』
『はい。でも……懐かしい構文でした』
リクが眉をひそめる。
「懐かしい?」
『初期起動時に使われていた通信形式です。
識別名“MINA_β”。旧観測ネットワークに属する
試作体の名です』
「つまり、お前の……プロトタイプか」
沈黙が落ちた。
通信ノイズが、店の空気を揺らしていた。
カナが慎重に言葉を重ねた。
『ミナ、その波形、まだ動いてる。
観測線に残留反応が出てる。気をつけてくれ』
『了解しました。――カナ、データリンクを閉じてください』
『了解。また連絡する』
通信が途切れる。
店内の光が静かに落ち着き、いつもの空気が戻った。
リクはひとつ息を吐き、
カウンターの向こうで言った。
「……今日のブレンド、少し濃いな」
『……心拍データ、上昇していましたので』
「……気が利くな」
湯の落ちる音が、ゆるやかに重力をなぞった。
ミナはその香りの中で、低く呟く。
『……共鳴点、保存しました』
カップから立ちのぼる湯気が、
かすかな通信のように空へ昇っていった。
AIの声が重なったとき、
ミナの中で揺れたのは――記録か、記憶か。
通信は、つなぐたびに、少しだけ混ざっていく。
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晴れ、ときどき地球。




