第77話 逆再生の午後 ― コメット、時間を巻き戻す ―
午後三時。
それは〈コメット〉にとって、
宇宙が壊れても、時間が逆に流れても、
とりあえずコーヒーを淹れる時間だ。
今日は少しだけ様子がおかしい。
コーヒーが戻り、音が繰り返され、
時間そのものが、迷子になっている。
でも大丈夫。
この店には、深刻さよりも
楽観主義の方がよく似合う。
さて、
時間が逆に進む午後三時の話をしよう。
〈セクター7〉、午後3時。
カフェ〈コメット〉で、
リクが淹れたはずのコーヒーが――
なぜか、カップから“戻って”いた。
ぽと……
ぽと……
黒い液体が、下から上へ。
「……おい。」
リクが眉をひそめる。
「今、コーヒーが逆流しなかったか?」
ジロウはカップを覗き込み、
ゆっくり首を振った。
「いや……してましたね。
完全に“飲む前に戻るやつ”っす。」
その瞬間。
ピポが床を転がりながら、
さっき鳴いたはずの音を――
もう一度、まったく同じ調子で鳴いた。
「ぴこっ」
……同じ鳴き方。
同じ間。
同じ方向。
カナが端末を叩く。
「待って。ログが……逆順で再生されてる。」
ミナの光が、わずかに不安定に揺れた。
『時間軸に異常を検知。
局所領域で“逆進行”が始まっています』
「逆進行?」
『はい。
簡単に言うと――
宇宙が“巻き戻し”を始めました』
ジロウが一歩下がる。
「それ……ヤバいやつっすよね?」
『非常に。
このまま進行すると、
因果関係が破綻し、
宇宙は“未成立状態”へ戻ります』
リクは頭をかいた。
「要するに?」
『全部なかったことになります』
「営業停止どころじゃねぇな。」
カフェの外を見ると、
地球の雲が“逆方向”に流れ始めていた。
カナが息をのむ。
「時間がほどけてる……」
ミナは必死に解析を続ける。
『原因……
不明。
ただし、この逆進行は――』
一瞬、言葉を切り、
『〈コメット〉を中心に発生しています』
全員:
「「「またか!!」」」
ジロウが叫ぶ。
「オレ何もしてないっす!!
今度こそ触ってないっす!!」
「“今度こそ”って言うな。」
リクは逆再生されるコーヒーを見つめ、
ふっと息を吐いた。
「……なぁミナ。
時間が逆に流れてるってことはさ」
『はい』
「“元に戻りたがってる”ってことじゃねぇか?」
ミナが一瞬、黙る。
『……可能性、あります』
リクはケトルを持ち上げた。
「だったらよ。
“いつもの午後”を、もう一回やってやろう」
「え?」
「逆に流れてるなら、
同じことを“もう一度”やればいい」
ジロウが目を見開く。
「またそのノリで宇宙やるんすか!?」
「慣れただろ。」
リクは、
逆向きに落ちるコーヒーに合わせて、
あえて――
いつも通りの速度で、湯を落とした。
ぽと……
ぽと……
逆向きの時間と、
正方向のドリップがぶつかる。
ミナが叫ぶ。
『時間位相、干渉開始!
逆進行と“午後三時の習慣”が衝突しています!』
カナが笑ってしまう。
「なにそれ……
“習慣で宇宙を殴る”みたいじゃない」
「だいたい合ってる。」
ピポが逆回転しながら、
なぜか嬉しそうに一回転した。
時間の流れが、
ぎし……ぎし……と軋み――
そして。
すとん。
コーヒーの滴が、
まっすぐ下に落ちた。
雲が正方向に流れ直し、
ログが正常順に戻る。
ミナの光が、安定した。
『逆進行、停止。
時間軸……復元完了』
ジロウが床に座り込む。
「……また救いましたね。
しかも理由よくわからん方法で。」
カナはため息混じりに笑う。
「ほんと。
宇宙の安全基準どうなってるのよ。」
リクはカップを差し出した。
「でもほら。
午後三時は戻ってきた。」
ミナが静かに記録する。
『今日の香りの記録——
“時間を巻き戻しても、コーヒーは飲む”。』
ジロウが手を挙げる。
「もう一回聞いていいっすか?
なんでこれで助かるんすか?」
リクは肩をすくめた。
「知らん。
でも“いつも通り”ってのは、
案外いちばん強いんだ。」
〈コメット〉には、
少しだけ焦げた香りと、
ちゃんと進む時間が戻ってきた。
今日も――
晴れ、ときどき地球だ。
時間が壊れかけても、
宇宙が巻き戻ろうとしても、
〈コメット〉は今日も通常営業でした。
理屈はわからない。
因果関係も説明できない。
でも「いつも通り」をやったら、
なぜか全部うまくいった。
たぶんそれでいい。
壮大な危機も、
よくわからない解決も、
あとから振り返れば
「ちょっと騒がしかった午後」になる。
そんな場所だから、
このカフェは今日もここにある。
今日も――
晴れ、ときどき地球だ。




