第76話 午後三時、誰も喋らなかった(けど無理だった)
午後三時。
〈コメット〉は、たいてい何かが起きる。
起きない日は、だいたい「起きないふり」をしているだけだ。
今日は――
少しだけ静かにしてみよう、という気分だった。
理由は特にない。
ただ、やってみたくなっただけ。
さて。
この店で、それは成立するのだろうか。
〈セクター7〉、午後3時。
カフェ〈コメット〉は、異様に静かだった。
リクは、カウンターで豆を量っている。
少し多く、戻す。
少し少なく、戻す。
三度目でようやく止めた。
――わざとらしいほど、無言。
ミナは、カウンター奥でドリップポットの
角度を微調整している。いつもなら数値を読み上げるところだが、今日は何も言わない。
ただ、0.98Gに対して0.99G寄りの角度に、
ほんの一瞬迷った。
ジロウは、その様子を見ている。
見ているだけで、手は出さない。
出さないが、足元でコードを踏んだ。
コードが引っ張られ、
棚の奥で何かが「カタ」と音を立てた。
全員、動きを止める。
……誰も何も言わない。
カナは観測端末を覗き込み、
画面が上下逆なのに気づく。
一度持ち上げて、元に戻す。
逆のまま。
無言。
床では、清掃ロボのピポが待機している。
待機しているが、なぜか前進する。
テーブルの脚にぶつかり、
「ぴぎっ」と短く鳴き、停止する。
ジロウが助けようとして一歩踏み出す。
その拍子に、床の豆を踏む。
ツルッ。
ジロウは踏ん張る。
奇跡的に転ばない。
その代わり、近くのスツールにぶつかる。
スツールが倒れる。
音は大きい。
……それでも、誰も喋らない。
リクは深呼吸して、
何事もなかった顔でドリップを始める。
ぽと。
ぽと。
二滴目で、ポットのフタが外れて床に落ちた。
ミナが一瞬だけ光量を上げる。
言いたい。
確実に言いたい。
でも、言わない。
カナは口を押さえている。
笑いをこらえているのが、明らかだ。
ジロウは限界だった。
肩が震えている。
コーヒーが落ち切る。
香りが広がる。
完璧ではない。
でも、ちゃんと美味しそうだ。
リクがカップを並べ終えた瞬間――
ジロウが吹き出した。
「無理っす!!
喋らないの無理っすこれ!!」
カナも耐えきれず笑う。
「何この時間!
誰が言い出したのよ!」
ミナが、ようやく声を出す。
『静寂耐久実験、失敗と判断します』
「実験じゃなくて遊びだろ」
リクは苦笑して、カップを差し出した。
「ほら。
黙ってるより、飲んだ方が早ぇ」
ジロウは受け取りながら言う。
「やっぱ〈コメット〉は、
しゃべってドタバタしてナンボっすね」
カナも頷く。
「静かすぎるの、似合わないわ」
ミナの光が、やわらかく揺れた。
『記録更新。
“喋らないのは無理”』
リクはカップを掲げる。
「……いい午後だったな」
外では、いつも通り地球が回っている。
今日も――
晴れ、ときどき地球だ。
結論から言うと、無理だった。
〈コメット〉は、
喋る。
動く。
転ぶ。
笑う。
それが揃って、やっと「通常営業」だ。
静けさも悪くないけれど、
この店にはどうやら似合わないらしい。
今日も少し散らかって、
少し笑って、
ちゃんとコーヒーが美味しい。
それで十分だ。
晴れ、ときどき地球だ。




