第67話 わからない揺れ ― 正体不明、それでいい ―
〈コメット〉では、
何かが起きる前に「なんとなく変だな」と気づくことがある。
原因はわからない。
数値にも出ない。
でも、確かに空気だけが少し違う。
今回は、そんな
正体不明の揺れと向き合う午後のお話です。
〈セクター7〉、午後4時。
〈コメット〉の午後は、
だいたい「何も起きない時間」であるはずだった。
――はずだった。
リクがカウンターでカップを並べていると、
ふと、手が止まった。
「……今、なんかあったか?」
ジロウは椅子に座ったまま、首を傾げる。
「え? 何もしてないっすよ。
オレ、今日はちゃんと何も触ってないっす。」
「“ちゃんと何も触ってない”って言い方が怪しいんだよ。」
カナは端末を見ていたが、
画面をスクロールする指が止まっていた。
「数値は……正常。
通信も重力も、香気濃度も問題なし。」
それなのに。
空気だけが、
ほんの一瞬、遅れたような感触を残していた。
ミナの光が、いつもより静かに揺れる。
『異常は検出されていません。
ですが……“検出できない違和感”はあります。』
「出たな。いちばん嫌なやつ。」
ジロウが腕を組む。
「わからないやつっすね。
正体不明。原因不明。対処不能。」
カナは苦笑した。
「全部そろってるわね。」
その瞬間だった。
――カラン。
カップが、
誰も触っていないのに、ほんの少しだけ鳴った。
倒れたわけじゃない。
割れたわけでもない。
ただ、「そこにあった音」がしただけ。
全員が黙る。
リクはゆっくりと、そのカップを見た。
「……倒れないなら、いい。」
「え?」
ジロウが聞き返す。
リクはカップを元の位置に戻しながら言った。
「壊れない。
暴れない。
主張もしない。
ただ、そこに“ある”だけなら……放っとけ。」
カナが少し驚いた表情で見る。
「調べなくていいの?」
「調べたら、たぶん逃げる。」
『……可能性は高いです。』
ミナが小さく同意する。
『これは“現象”というより、
“気配”に近いものです。』
ジロウが目を丸くした。
「気配って……
宇宙の話っすよね?」
「人の話だろ。」
リクはケトルを手に取った。
「わからないものを、
無理にわかろうとするから壊れる。
だったら――」
ぽと。
一滴、湯が落ちる。
ぽと、ぽと。
「わからないまま、
同じことを続けりゃいい。」
香りが、
いつも通りに広がった。
その瞬間。
空気の“遅れ”が、
すっと消えた。
何かが解決した感触も、
成功した手応えもない。
ただ、
何も起きなくなった。
ミナが静かに確認する。
『違和感、消失。
原因……不明のままです。』
ジロウが肩を落とす。
「結局、なんだったんすかね……」
リクはコーヒーを差し出した。
「知らん。
でも、もう来てない。」
カナはその様子を見て、ふっと笑った。
「ほんと、ここは不思議ね。
“解決”してないのに、安心する。」
ミナの光が、やわらかく揺れる。
『わからないまま、
受け入れられる場所は……安定します。』
リクは小さくうなずいた。
「それでいい日もある。」
窓の外、
地球は何事もなかったように回っている。
理由はわからない。
正体もわからない。
でも――
今日もコーヒーは、ちゃんと香っていた。
今日も、
晴れ。ときどき、地球だ。
わからないことは、
全部わかる必要はない。
直さなくてもいいし、
説明できなくてもいい。
それでも香りは残り、
コーヒーは落ち、
午後はちゃんと続いていく。
〈コメット〉では、
“わからないまま受け止める”ことも
ひとつの解決です。
今日も、
晴れ。ときどき、地球だ。




