第65話 午後の静電気 ― 触れた瞬間、少しだけ近づく ―
午後という時間は、
何かが起きそうで、何も起きない。
でも、何も起きていないように見えるときほど、
空気の中では小さな出来事が行き交っている。
今日の〈コメット〉で起きたのは、
ほんのわずかな「静電気」の話。
触れた瞬間に気づくこともあれば、
気づかないまま通り過ぎてしまうこともある。
そんな午後の記録です。
〈セクター7〉、午後4時。
午後の〈コメット〉は、やけに静電気が多かった。
カウンターに触れた瞬間、
「パチッ」と小さな音がして、思わず手を引っ込める。
「……乾燥してんな。」
そう呟きながら、リクはエプロンで手をこすった。
カナも端末を置いて、指先を気にする。
「さっきから何かに触るたび、ピリッとするわ。」
床を転がっていたピポも、
カウンターの脚にぶつかった瞬間、
「ぴぎっ」
と短く鳴いて、その場で停止した。
ミナの光が、いつもより細かく瞬く。
『静電気量、通常値の約1.8倍。
原因は空調と、微細な重力揺らぎの複合です。』
「また“複合”か。」
リクは苦笑しながら、コーヒー豆を計量した。
そのときだった。
カナがカップを取ろうとして、
リクと同時に手を伸ばしてしまう。
ぱちっ。
小さな音と一緒に、二人とも一瞬固まった。
「……今の、ちょっと強くなかった?」
「静電気だ。気にすんな。」
そう言いながらも、
リクは一瞬だけ指先を見つめた。
ミナが静かに続ける。
『静電気は、電子の移動です。
つまり――触れた瞬間に、
“何かを分け合った”状態とも言えます。』
カナが少し笑う。
「ずいぶんロマンチックな説明ね。」
『事実です。
量は微量ですが、確実に共有されています。』
ピポが再起動し、
今度は慎重に床を進み始めた。
「……ぴ……そろり……」
「お前、気をつけ方覚えたな。」
リクが声をかけると、
ピポは誇らしげに一回転した。
午後の光が、カウンターに斜めに落ちる。
静電気は相変わらず起きているが、
誰も気にしなくなっていた。
リクがコーヒーを淹れる。
ぽと……ぽと……
その音に合わせるように、
空気が少し落ち着いていく。
ミナが静かに記録する。
『今日の香りの記録。
“触れた瞬間、ほんの少し近づく午後”。』
カナはカップを受け取り、
今度はゆっくりと指先を添えた。
「……悪くないね、静電気のある日も。」
リクは軽く肩をすくめる。
「見えないもんが動いてるってのは、
生きてる証拠だからな。」
〈コメット〉には、
ピリッとした空気と、
やわらかい香りが同時に漂っていた。
今日も――
晴れ、ときどき地球だ。
静電気は、目に見えません。
でも、確かにそこにあります。
ほんの一瞬、触れただけで、
何かを分け合って、少しだけ距離が変わる。
〈コメット〉の日常は、
いつもそんな小さな変化の積み重ねです。
派手な事件がなくても、
宇宙が救われなくても、
それでも時間はちゃんと流れていく。
また次の午後も、
同じように、少しだけ違う空気が流れるでしょう。
今日も、
晴れ、ときどき地球だ。




