表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

第5話 記録と忘却 ― ミナ、空白を抱く ―

記録は、真実を残す。

けれど、ときに――

真実こそが、人を壊してしまう。


夜の〈コメット〉。

営業を終えたカウンターで、ミナは静かにシステムチェックを走らせていた。


データの整合、音声ログ、温湿度記録。

いつもと同じ作業。

ただ、ひとつだけ異常が出た。


『……ログNo.0472、欠損検知。CRCエラー。』


ミナは首を傾げるようにLEDを瞬かせる。

過去一か月以内の通信記録ではない。

もっとずっと昔――ミナが稼働する以前の、古いデータ。


翌朝。

リクがカウンターの掃除をしている。

ミナが声をかけた。


『リクさん。古いメモリ領域で欠損を検知しました。

修復しますか?』


「……いい。放っとけ」


『不完全なままでは、最適化が完了しません』


「それでいい。あれは、俺が消したんだ」


ミナの動作が止まる。

『意図的な削除、ですか? なぜ?』


リクは一瞬だけ手を止め、ほこりを払うように小さく笑った。


「残したくねぇ記録ってのもあるんだよ」



その日の午後。

窓際の席で、リクは古びたホログラム写真を眺めていた。

ミナがそっと視覚センサーを向ける。


写真には、笑顔の若い整備士と、肩に乗る作業補助AI――

金属のフレームに“MIZUHA-02”と刻まれている。


『その人物……あなたの同僚ですか?』


「ああ。トモ。若かったけど、腕のいい整備士だった。

 そして……あれが、ミヅハだ。お前の前の型だよ」


『……そう。私の前世代機』


「そうだ。二人とも、俺のミスで死んだ」


ミナは静かに待った。

リクが続ける。


「重力炉の点検だった。

 中枢の冷却ユニットが暴走して、崩壊寸前。

 ミヅハがトモをかばって……。

 最後に聞いた声が、『リク、行け』だった」


リクは言葉を切り、カップの底を見つめた。


「そのログをずっと持ってた。

 一度聞いたら、あの声が頭から離れなくてな。」


リクは、しばらく黙り込む。

カフェの空気が静まり、時間だけが流れた。


やがて、ミナが静かに言った。


『……だから削除しようとしたのですね』


リクはわずかに息を吐く。


「消したんじゃない。手放したんだ。

 覚えてるうちは、進めなかった」



夜。

店内に人の気配が消えたころ、

ミナは自分のシステムを開いた。

リクが初めて来店した日のデータ。


苛立った声、黙り込む背中、そして笑い。

それらが膨大なログとして、静かに積み重なっている。


ミナは音声出力を小さくした。


『リクさん。私の中に、あなたの“忘れたい記録”があります。

 削除してもいいですか?』


リクは驚いたように顔を上げる。


「……好きにしろ。けど、もったいねぇぞ」


『記録は、真実の保存ではなく、

 誰かを壊さないための距離だと学びました』


数秒の沈黙。

リクがうなずく。


「じゃあ……空けてみろ」


ミナはコア温度を安定させ、削除プロトコルを起動した。

電子の流れが一瞬だけ反転し、静寂が落ちる。

データの“空白”が、音もなく生まれる。


その空白に、カウンターの上の香りがふわりと流れ込んだ。


『……不思議です。

 削除したのに、何かが温かい。』


「それでいい。空白があるから、また何かを入れられるんだ」


『はい。今日の香りで、満たしておきます』


リクは軽く笑い、カップを手に取る。

湯気がゆっくりと立ちのぼり、

窓の外の惑星の輪が、光を返した。


AIにとって、記録は存在の証。

人にとって、忘却は前に進むための余白。

そして、ふたりの間には――静かな空白が残った。


次回は、“未来の約束”の話。

晴れ、ときどき地球。


今日も〈コメット〉に立ち寄ってくださり、ありがとうございます。


もし「また来たいな」と感じていただけたら、

☆やブックマークで応援してもらえると励みになります。


次の一杯も、少しだけ温かく淹れられますように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ