第35話 苦い一杯 ― オオバ艦長、来航 ―
宇宙で一番こわいのは、AIの暴走でも、未知の信号でもない。
“昔の艦長”が、突然カフェにやってくることだ。
〈セクター7〉、午後1時。
ドアが開く音を聞いた瞬間、リクは手を止めた。
どこか懐かしい、でも背筋が自然に伸びる気配。
「……まさか。」
入ってきたのは、短く切りそろえた白髪に、赤い艦服の女性。
光沢のあるブーツが床を鳴らす。
「やっぱりここね。あんたが“カフェを開いた”って聞いて、
耳を疑ったよ。」
リクの表情が凍る。
「オオバ艦長……!」
ジロウが驚いたようにリクを見た。
「リクさん、知り合いっすか?」
「昔の……艦長だ。」
「へぇ〜。リクさんにも“上司”いたんすねぇ。」
「おい、それどういう意味だ。」
ミナの光が静かに揺れる。
『お客様を検知。敬称“艦長”を登録します。』
「AIか。……随分と気が利くね。」
オオバ艦長はカウンターに腰を下ろし、腕を組む。
「じゃあ、あんたの“最高の一杯”をもらおうか。」
「……了解しました。」
リクの声が、無意識に軍隊調になる。
『音声解析。緊張度、平常値プラス48パーセント。』
「ミナ、実況すんな。」
ジロウが吹き出した。
「ははっ、リクさん、完全に部下モードじゃないっすか。」
「うるさい。」
リクは慎重に豆を計り、ドリップを始めた。
オオバ艦長が腕を組んだまま、淡々と観察している。
「焦るな。整備士の基本だろう?
手が震えてるぞ。」
「……癖、抜けませんね。」
「いいえ。昔よりは、手際は悪くない。
でも、“味”はまだ未知数だね。」
「はぁ……今も昔も、試験みたいだな。」
「そうよ。艦の整備も、コーヒーも、命を預かる仕事。
どっちも中途半端は許されない。」
リクは、少し黙って湯を注いだ。
その手の動きは、昔の教練を思い出したように確かだった。
湯気がゆらぎ、香りが満ちていく。
オオバ艦長の表情が、わずかにほころんだ。
「……悪くない。
苦いけど、後味に“現場の空気”がある。」
リクは照れくさそうに笑った。
「褒め言葉と受け取っておきます。」
「そうしなさい。叱られても、褒められても、
動き続けるのが現場だ。」
ジロウがカップを覗き込んでつぶやく。
「艦長さん、さすがっす。言葉が全部“金言”っすね。」
「ジロウ、口動かす前に掃除しろ。」
「ひどい!」
艦長が笑った。
「いい部下を持ったじゃない。……AIも、悪くない。」
『ありがとうございます。記録します。“悪くないAI”』
「記録すんな!」
カフェに、柔らかな笑いが広がった。
やがて艦長は立ち上がり、
空になったカップを静かに置いた。
「また来るよ。
次は“叱られない味”を淹れてくれ。」
リクが小さく敬礼する。
「……了解です、艦長。」
ドアが閉まり、残ったのは香ばしい苦味と、
どこか懐かしい“宇宙艦の匂い”。
ミナが静かに告げた。
『今日の香り、タイトルは
――“苦い一杯、でも後味は悪くない”。』
リクは笑ってカップを拭いた。
「……ほんと、敵わねぇ人だ。」
叱られるのは、見てくれる人がいる証。
苦味のあとに残る香りこそが、成長の味。
今日も宇宙のどこかで、
リクのコーヒーが少し苦く、少し温かい。
☕️
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